これからの日常
その後駄弁りながらコーヒーを飲み干すと、三人はあやの部屋へ戻っていった。以降は騒ぐ声も聞こえてはこず、お風呂に入ってから寝るまでの時間を静かに過ごした。
電気を落としてベッドに入り、目を閉じて呼吸を落ち着ける。
なんだか寝付けない。今日は本当に色々あった。昔を思い出してちょっと切ない気持ちになった。色んなゲームと罰ゲームで、自分では考えられないくらい騒いだ。ちょっと揉めて、ぶつかり合って、いい具合にまとまった。
一日の出来事とは思えない。あんまりにも濃い経験に目が冴えて、僕は枕元のスマホを手繰り寄せるように手に取った。
撮った写真、動画は一日で数十枚に十数本。どれをとってもみんな楽しそうで、見ているだけで頬が緩む。
SNSには上げないようにと釘を刺された。もちろんそんなつもりはさらさらないけど、心のどこかにこれを自慢したい気持ちもあったりして。
指をふらふらとさまよわせていると、ふとドアの方で物音がした。視線をやれば、廊下の灯りがわずかに漏れ出ている。
足音を抑えてベッドサイドまで来たのは、ぐるみだった。
「来ちゃったぁ」
「来ちゃったって……」
スマホを置いて照明のスイッチを入れ、上体を起こす。悪びれもしないぐるみは、勉強机の椅子を持ち上げてベッドサイドに寄せると、そこに腰掛けた。
「どうしたの、明日も朝練じゃないの?」
「そうだよぉ。がんばる」
「いやがんばるじゃなくて」
「お話しよぉと思って」
「それはいいけど。寒くない?」
「ちょっと。入っていい?」
「ダメ。クローゼットに上着あるから、着るかかけるかしてね」
「はぁい」
入っていい、なんて言おうものなら、ぐるみは本当に布団に潜り込んでくる。いや、今の彼女がそうとも限らないけど、性格的にはそうなってもおかしくない。
クローゼットから厚手のコートを取り出して座り直すと、それを膝にかけたぐるみ。据わりが悪いのか、コートを何度も手で押さえている。
「本当はね、ちょっと勇気出したんだ」
「……初恋の話?」
「そぉ。今も、ちょっと顔見るの恥ずかしい」
言いながらも僕の顔をじぃと見る。ほのかに頬が染まって見えるのは、気のせいなのか何なのか。
信じられない、とは言わない。あの頃のぐるみは今より内向的で、僕に懐いていたのは確かだ。
「ほんと、大人っぽくなったよね」
「そぉかなぁ。あんまりわかんないや」
「言動はあんまり変わってないけど」
「それはわかる。あーやにも言われるもん」
そういうあやだって、そこまで大きく変わったわけじゃないんだけど。
寝る前だからか低い位置のサイドテールを肩から垂らして、少しだけ身体を縮こまらせて。そんな様子がどこかエロティックで、僕は思わず視線をそらしてしまう。
「……そういうのはさすがに、気付くよぉ」
「だよね。ごめん」
「いいんだけど。わたしもりょーちゃんの手とか、えっちだなぁって思うし」
「ぶっちゃけるね?」
あとその感覚もよくわからない。手フェチ、なんて言葉もあるくらいだから、そりゃあり得ないってこともないんだろうけど。
それにしても、そういうことを大っぴらに話すような子だっただろうか。と考えて、ああ、僕の「欲」をどうにか肯定してくれたんだなと理解した。
こういう、想像で他人の行動の意図を補完しようとするのが、きっと僕がぼっちたる所以なんだろうけど。
「こういうドキドキしそうなシチュエーションで、お話したかったの。なんかわかりそうでしょ?」
「確かに」
「じゃあはい、手」
差し出された手。僕は無言のまま、そこに自分の手を重ねた。
握り込まれる手。僕もそれを握り込む。
「昔はこうやって色んなとこで遊んだけど……やっぱり、昔とは違う、ね?」
「そう、だね。やっぱり、女の子だ」
「うん」
しっとりと温かくて、どこか硬質感を残しながらも柔らかな。その手は大きくて、握る力も大人のそれだ。
それでもなんでだろう、不思議と昔を思い出す。僕とぐるみの手をあやが引き、僕とぐるみで手を繋ぐ。そんな変なトライアングルが、とても心地良くて楽しかった日々のことを。
「平気で手を繋げる、って、どうとらえたらいいんだろぉ」
「……逆にわかんない」
「ねぇ。逆にわかんなくなっちゃった」
困ったように笑うぐるみ。
結局答えは出ないまま、彼女は部屋を後にした。不思議とすぐに眠気を覚えて、僕は抗うことなく眠りに落ちた。
翌朝。目覚ましに起こされて身体を起こすと、カーテンを開く。しとしとと降る雨。予報は曇りだったのになぁ、と内心ごちながら着替えを始めた。
一階に降りて洗面所へ。先客に「おはよう」と言えば、鏡越しに「おはおー」と返ってくる。
沙織だ。着替えを終えて、歯磨きをしているところだった。しゃかしゃかと心地の良い音が、隣に立つ僕の耳をくすぐる。
それに倣って歯磨きを始めれば、鏡越しの彼女と目が合った。
「おほはひひへんほ」
「落ち着いて」
しゃべるならせめてひと段落ついてからにして欲しい。歯磨きの「ひと段落」ってどこなんだろう、という疑問はさておき。
じゃかじゃかとペースを速めた沙織は、ゆっくりと磨く僕を尻目にコップの水を含む。じゅくじゅくと口の中をゆすぎ、「ぇ」と吐き出した。なんだか見ちゃいけない気がして、思わず目を逸らす。
「お泊りイベントって感じだよねー、並んで歯磨き」
「それは確かに」
「器用にしゃべるなー」
沙織が不器用なだけだと思う。変なところで不器用をお出しされると、ギャップがまた可愛く思えるからやめて欲しい。
「そういや今更だけど、ドすっぴんの私に何か感想を寄こせ」
「え、……ちょっと幼く見える」
「それなー。でもこう、幼い方面はあーやが最強すぎて」
「あやはメイクもそっちで作るからね」
「そーそー。あれもう完璧確信犯かっこ誤用のやつだよね」
鏡越しに見る沙織のすっぴん。昨日の時点でそうだったけど、全く意識に上っていなかったものだから。改めて見ると、「可愛い」が強調される。普段の彼女は、その中に多分の「きれい」が見えるんだ。
「実際、メイクもあーやに教わったんだよね。マジでやってこなかったから、私」
「そうなんだ。あやってああ見えて可愛いに敏感だよね」
「ああ見えてっていうか、むしろど真ん中でしょ。私初めて会った時びっくりしたもん」
噂をすれば影。パジャマ姿のあやが洗面所に入って来て、無言のまま歯磨きを始めた。
「おはよう」
「おぉ」
続いてぐるみも。挨拶を交わして隣に並ぶと、いよいよ洗面所も手狭になってきた。沙織はあやの背後に回り、その腰を抱くように密着する。煩わしそうなあやだけど、あえてそれを振りほどこうとはしなかった。
これもあやの処世術。甘やかされる分、可愛がられることも甘受する。直接そうしてると聞いたわけじゃないけど、こればっかりは見ればわかる。
ぐるみにとってもそれは当たり前のことで、何事もないように歯磨きを始める。
それにしても――
こうして並ぶと、方向性は違えど本当に「可愛い」揃いだ。恵まれてるなぁと思いながら口をゆすぎ、吐き出す。歯磨きが終わっても、なんとなくこの空間から出たくない。一歩下がった僕は、二人のそれを見守ることにした。
「……せめーよ。終わったら出てけよ」
「ごめん」
あっという間に沙織と二人追い出され、僕らはリビングで食事をとることにした。
「部活、中止になったんだ」
「そだね。となると四人で登校ってことだ」
「……僕一人で」
「だめぇー」
腕で大げさに「バツ」を作り、意地悪な笑顔で楽しそうな沙織。
四人で行動することに、今更忌避感はない。それならお弁当だって一緒に食べてないんだから。
登下校の特別感もさることながら、一緒の時間が増えることそのものだ。他人の目に触れる機会が増えれば増えるほど――こう言うとだいぶ語弊があるけど――後ろめたさが生まれる。僕なんかが、なんて卑屈が。
それも含めて練習。それに慣れれば、きっとどんなことにも物怖じしなくなる。ある種のショック療法だ。
賑やかな食事を終えて各々準備を済ませ、僕らはぞろぞろと玄関を出る。
色とりどりの傘を差し、歩き出す。傘の色も、三人違う色になるように一緒に買いに行ったらしい。あやは黄色、ぐるみは緑、沙織は青。それから僕は黒で、少しだけ濁した結果にはなるけれど。
傘を鳴らす雨音と、濡れた地面を踏みしめる僕らの足音。さぁさぁ、ぴちぴち、傘も湿気も煩わしいけど、この音ばかりは心地いい。それから、三人の話し声も。
「明日から大会かー。そーいや沙織、見学はさすがにすんだよな?」
「そりゃーもちろん。監督補佐みたいなこともしてやるぞ」
「頼もしぃ。ねぇ、りょーちゃんも見に来てよぉ」
「え、いいの?」
「いいのもクソもあるかよ。普通に誰でも見に来るぞ」
「私が解説してやろー」
楽しみが増えた。初めて見るテニスの試合。初めて見るあやとぐるみの勇姿。そこに沙織が含まれないのは、正直なところ残念ではあるけれど――隣にいてくれるなら、それもまたよし。
ひとまずは今日を楽しもう。沙織と働くバイトの時間も、まだ続くんだから。




