ぶつかりそうでぶつからない
ドアを開く前から、あやが何に怒っているのかわかった。なぜこのタイミングかはわからないけど、沙織はどうやら「バレる前に話す」ことに決めたらしい。バレたら揉める、とはぐるみの言だけど、内容が内容だ。
こうなるだろうなぁ、とは思っていた。
僕は臆することなくドアを開く。いつの間にか勉強机の方に移動していた沙織と、ベッドの隅に腰掛ける二人。相対する形でにらみ合う――いや、にらんでいるのはあや一人。沙織は真剣な顔でそれを受け止めているし、ぐるみはなんというか、「腑に落ちた」ような顔をして黙している。
入ってきた僕に一瞬視線を向けたけれど、あやは追及を止めるつもりはないようだった。僕はテーブルにコーヒーを並べて、その傍らのクッションに座り込んだ。
カップを一つ手に取った沙織。それを香って、一口飲んだ。
「どういうことだよ、出ねーって」
「言葉の通り。もうこの怪我の前からきょーこちゃんには伝えてあるし」
眼帯に触れながらの言葉。きょーこちゃんは恐らくテニス部顧問の「栽原杏子」先生のことだろう。
「そーじゃねーよ、どういう理由でって聞いてんだよ」
「うーん……これ言うとあーや怒りそうだしなー」
「あぁ!?」
うん、それはもう怒らせる前振りだよ。
でも実際のところ、僕が聞いた「あれ」が理由なら、それをあやが知れば怒るであろうことも理解できる。
要するにこの葛木町が、葛木高校テニス部が、「逃げ場」でしかなかったということだから。あややぐるみ、その他の部員や顧問の栽原先生がどれだけ頑張ろうと、沙織にとっては「楽しむ」以上の意味を見出せないということだ。
僕があやの真剣味を量ることはできない。でも、部活の様子を見るに、手を抜いているようにはとても思えない。
真剣であればあるほど、その事実はきっと彼女を追い詰める。
「そだ、第三者にお任せしよう。その方が冷静に聞けそうだし」
「……知ってんのか、りょー」
「うん。第三者だから、だけど」
僕の方をにらむあやは、その言葉に視線を緩めた。つまり「親友」でなかったからこそ、そこまで近しい人間ではなかったからこそ話せたことだ、というのを理解してくれた。
沙織から聞いたことを、できる限りそのまま伝えた。漏れがないよう、そして盛らないように。あとのことは、僕の関わることじゃない。そのくらいのつもりで。
雰囲気は重苦しいまま、話を終えた後もしばらく沈黙が続いた。それを破ったのは、やっぱりというか、あやだ。
「よーするに、やる気出ねーってことだよな」
「まーはちゃめちゃに要約するとそんな感じ」
「本気出したこともねー、ってか?」
「どーだろ? 去年のインハイ以降はないって言えるけど」
それにしたって、沙織は飄々とし過ぎだ。あやをあえて煽ってるんじゃ、とすら思う。
僕が入ったことで、あやの中に冷静さが出てきた。けれどそれも怒りを抑える「蓋」程度のものでしかなくて、沙織を見る目はむしろ厳しさを増していく。
「ウチが」
「あーやの本気なんて知れてるよ」
口を開いたあやの機先を、沙織が制した。
「前いた学校じゃミーティングなんて全員参加が前提だったよ。出てない子はもう、大会出る気がないって思われてた。実際はオーダーから外されてたしね。ウチはどう? 半分出ればいい方じゃん」
「……それは」
いつだったか聞いたなぁ、あやの現状。センス頼みで理屈がついてこない。ミーティングもサボりがちだって。
確かに沙織からしてみれば、それが本気だなんてそれこそ「ちゃんちゃらおかしい」レベルでしかないんだろう。
事実一つで突きつけられる、あやと沙織の差。あるいは、強豪校と葛木高校の差。
「あ、でもあーやを褒めた言葉に嘘はないよ。センスは絶対ある。バネはあるし柔らかいし、感覚も鋭いし」
「お、おぅ」
黙らされたあやは、今度は褒められて戸惑ってしまう。沙織の手の上だ。
「でも納得できねー」
「うーん、そういわれてもなぁ。もうエントリー締め切ってるよ」
「そりゃわかってるって。でも……あー」
おそらくは沙織の「告白」に飛びつくように激昂したあやは、冷静になった今、感情を持て余してしまっている。振り上げた拳の、下ろしどころをなくしてしまった。
ぐしぐしと頭を掻きむしり、腕を支えに上体を後ろに傾ける。天井を仰いで、ため息一つ。
「んだよそれ。ウチらがよえーから、本気じゃねーって。んだよマジで」
「それはちょっと語弊があるような」
「そう言ってんだろ。少なくとも、要素の一つではあるんだろ」
「はい!」
「元気いーなクソが」
沙織はもう、話すと決めた時点でなんらかの覚悟を決めてしまっている。何の準備もしていなかったあやとは違う。
じゃあ、もしかしたらと思っていたぐるみはどうだろう? 彼女も真剣に部活に取り組んでいた。恐らくはミーティングにも出ているはずだ。そういう子だ。
ぐるみは手を伸ばしてカップを取り、コーヒーを一口。「おいし」と呟いてからカップをテーブルに戻し、改めて沙織に向き合う。
「テニスが嫌なわけじゃないんだよね? さーちゃん」
「そりゃあもちろん。でもこう、私思ったより本気じゃなかったんだなー、って思ったら、力抜けちゃって」
「わたしは、その、力が抜けたさーちゃんしか知らないけど」
厳密に言えば、沙織の現状において、トドメとなったのは、かつての部活仲間との試合。高校一年のインターハイだ。だからほんの数か月、彼女のやる気はまだ保たれていた、とも言える。
けれど結局のところ変わらないのは、葛木高校は強豪校ではない、という事実。
「みんなそれに引っ張られるくらい、さーちゃんはがんばってた、と思うんだけど」
「逆に言えば、それくらいの温度差なんだよ、ぐるみ」
「……そう、だよねぇ」
強豪との温度差に戸惑っていた沙織でさえ、皆をけん引する立場になってしまう。改めて聞くと、少し恐ろしくなるくらいの「差」だ。
結論は変わらない。現実は変わらない。沙織は今大会を辞退して、テニスに対する向き合い方を考える。
もう決まったこと。それをあやとぐるみも、実感してしまった。
「で、それでどーすんだよ。次の大会とか、それに向けての練習とか」
「うーん。それも含めて、ちょっと部活の頻度落として考えたいんだよね」
「……そこまで、なんか」
「そこまでなんだ。具体的に言うと、土日は休みたいって先生には伝えてる」
思ったより。沙織のその言葉が、僕らにとっても「思ったより」だったから、皆一様に押し黙ってしまった。
「……切り替える為に必要な時間、なんだよね?」
僕はテニスを、もっと言えば競技を知らないから。だから一般論とか経験に当てはめることしかできない。
だから僕は、僕が熱中したものを当てはめる。
蒸らし時間を間違えた豆は、もう使えない。注いだ湯の温度を間違えても、その湯が溢れても。分量を間違えたらそれこそ台無しだ。そんな風に淹れたコーヒーを客前には出せない。一度全部捨てて、ポットも洗って、一から淹れ直しだ。
「そーいうことだね」
沙織の分岐点は色々と多い。コーヒーもまた同じ。どこから間違えたかわからないのなら、いっそまっさらな状態に立ち返る必要がある。
わかってる。比較対象がおかしいことくらい。僕が言えたことじゃないことくらい。
「じゃあ僕はいくらでも付き合うよ。僕でよければ、だけど」
「いいねー。あっちこっち引っ張りまわしてやろー」
そんな僕らの会話を聞いて、あやはコーヒーを一気にすべて飲み切って、「ぶはっ」と豪快に息をつく。
「その間にウチに追い抜かれてもしらねーからな」
「そりゃー願ってもないね。やってみたまえ」
「クソが」
あくまで余裕の沙織に、あやは悔しみながらもどこか楽しそうに。
「わたしもがんばろぉ。……でもたまに合流したいなぁ」
「ぐるみはマイペースだなぁ」
ぐるみの笑顔に、毒気が抜かれたような沙織の笑顔。
やっぱりバランスが取れてる三人だ。いいトリオだなぁ、と思う。
さておき三人の差は思ったよりも大きく、彼女らがテニスにおいて対等に競い合う日は、たぶん相当に遠いんだろう。
おそらくその前に、沙織の心境が変わる。切り替えると決めた以上、彼女はなんらかの答えを出す。
それなら僕はその隣にいたいなぁ――僕は、その理由に淡い「好意」を感じながら、思うのだ。
「とりあえず大会だな。見てろ、地区大会くらいには進むからな」
「あーやはいけるよ。必要なら次のミーティングで色々教えてあげる」
「……いーだろ」
勝ちたいならミーティング出ろ、と何よりのアドバイス。
なんとなく、いい方向に向かったな。
思ったよりも揉めなかったことに安堵して、僕はぐるみに視線をやった。沙織がこうして打ち明けたことに、彼女の言葉が関係していないとも思えない。もっと言えば、僕がコーヒーを淹れている間の時間さえ。
穏やかな笑みを浮かべたぐるみはコーヒーを一口。こちらに気付くと、可愛らしくピースサインで応えてくれた。




