パジャマパーティーはじまり
午後六時半。そろそろかなと姉弟そろってリビングでのんびりしていたところ、インターホンが鳴った。玄関のドアを開ければ、もうそこにぐるみと沙織がそろって立っている。これが沙織だけだったら門のところで待ってるんだろうけど、もはやさすがというべきか。
「おじゃましまーす」と声をそろえる二人に、「おぅ」とぶっきらぼうな返事のあや。
あえて制服姿のまま訪れた二人は、洗面所を経てそのままリビングへと通された。これも割といつもの流れで食卓を囲む。
いつもと違うのは、そこに僕も含まれること。
これがぐるみだけなら、僕は置物状態で一緒に食事をする。けれど沙織がいれば話は別で、そんな置物があっちゃせっかくのパジャマパーティーが台無しだ。僕は部屋に引っ込んで一人で食事をとっていた。
だからなんだか新鮮だ。我が家の食卓に沙織がいる。我が家の箸と茶碗を持って、家で炊いた白米を頬張っている。
僕の対面、義母さんの隣に座った彼女は、そんな僕の視線に気づいてにこりと笑う。
目を逸らした先、隣にはあや。座高が低いものだから、ほとんど遮られることもなくぐるみの顔も見える。
なんというか、華のある食卓だなぁ、なんて思う。彼女らを想う男たちに刺されそうだ。ふと浮かぶ朱子君の顔。彼は何て言っていたっけ?
「あーや、お醤油とってぇ」
「ん」
僕の傍ら、あやから見れば反対側にあった醤油に手を伸ばし、ぐるみの方へ。その動作に遠慮がなくて、それが嬉しい。それこそ昔に戻ったみたいで、懐かしい気持ちにもなる。
沙織も両親がいる空間に少しずつ慣れているんだろう、普段と変わりない明るさで会話に参加する。
「菜の花のおひたしなんてウチじゃ出ないなー。おいしいです!」
「そう、よかった。ちょっとお年寄り臭いかなと思ったけど」
「全然そんな。シャキシャキで、……シャキシャキで」
言葉に詰まる沙織に、あやとぐるみがそろって噴き出す。それをにらむ沙織をフォローするように、義母さんは菜の花のお得情報を彼女に教えた。曰くビタミンCが豊富で、お肌に大変よろしいのだとか。
「なるほど、あーやのぷりぷりのお肌はそのせいか」
「ウチは幼いからだろ」
「自分で言うなよ」
「それが売りだからな」
身体はともかく心の方はすくすくと強く育っているのは確かだ。とにかくあやはあらゆる身体的特徴を欠点と捉えることがない。そこは素直に羨ましいし、それは確かな彼女の強さだ。
その小さな手が僕の頬をぐいぐいと押す。こっち見んなと言いたいようだ。
「ぬい、風呂どーする?」
「一緒に入ろぉ」
「ん。沙織は?」
「んじゃあ私も。綾人も?」
「わけねーだろーが。……つか、綾人?」
ぎくり、と胸が跳ねる。けれど沙織ときたらどこ吹く風、「そだよー」と笑うばかりだ。
そりゃそうか。仲良くなって呼称が変わる、なんてのは普通のこと。そもそもそこに後ろめたさを感じる必要もないんだ。
なんて、そんな理屈で心は納得しないわけで。
「じゃありょー、お前は?」
「……沙織?」
「はぁい」
「はぁ? いつの間にそんな感じなん」
いつの間に、と聞かれるとなんとも答えに困る。きっかけはといえばコーヒー店での出来事はそうなんだろうけど、それもあくまできっかけでしかない。
ぐいぐいと裸足で僕の心に踏み入ってくる沙織の、不躾さとでも言うべきもの。興味の赴くままに、「そればかり」になってしまう視野狭窄。言葉を並べてみればネガティブになりがちなイメージも、彼女の行動を伴うと不思議と受け入れられる。
けれどそれはあくまで、その好意を受け取る側だからこそのもの。傍目から見ると、やっぱりそれはちょっと奇妙に映るのである。
とはいえ、ここにいる二人は、かつてそれを受け取る側だったわけで。
「相変わらずなんだねぇ」
「めんぼくない」
「いい加減痛い目見るぞ……つか、見たとこじゃねーか」
「あーやの弟だし、大丈夫かなーって」
「そりゃまぁ、そうだけど」
「りょーちゃんは人畜無害だからねぇ」
すんなり、とは言えないものの、やっぱり受け入れてしまうのだ。
人畜無害には自信のある僕は、あえてその会話には乗っからず、シャキシャキとおいしい菜の花をかみしめるのだった。
その後三人は荷物を手にそろって浴室に向かって行った。僕は食器の片づけを手伝った後自室に戻り、出ていた課題に手を付ける。
机に向かって無心にペンを握っていれば、隣の部屋から賑やかな声。どうやらお風呂から上がってきたようだ。
こういう時、僕はトイレとお風呂以外で部屋から出ることはない。だから彼女らと鉢合わせることもなく、例えば沙織がどういう服装なのか見たこともない。幼馴染であるぐるみのパジャマさえ、小学生、せいぜい中学生の頃の記憶で止まっている。
今日、ぐるみは僕のギターを聞きに来ている。沙織もそれに連れ添う形だ。
であれば当然、この後僕の部屋を訪ねてくるんだろう。夜中になればギターも近所迷惑だろうから、もう近いうちにだ。
そうなるともう課題どころじゃない。何を言っているかはわからないけれど賑やかなことはわかる、壁越しの三人。その声が響くのに合わせて鼓動が鳴る。時折どたばたと床が鳴るのも聞こえる。びくりと身体を竦ませる。
この生々しさをどう表現したものだろう。それこそ着替えの時の衣擦れと同じ、姿は見えないのにそこにいるのがはっきりわかる時のような。その先の動きをついつい想像してしまう、そんな自分に少し羞恥と罪悪感を覚えてしまうような。
ああ、自分が気持ち悪い。
トントン、と、賑やかさとは裏腹の大人しいノック。これはぐるみだ、間違いない。僕は深呼吸を一つ挟んでドアを開いた。
予想通り、ドアの前に立っていたのはぐるみ。
「来たよぉ」
「私もだー」
その横から沙織が顔を覗かせる。
二人は、可愛らしいもこもことしたパジャマを着ていた。ぐるみはブラウン、沙織はグレー。何より特徴的なのは、頭を緩く包んだフードについた、犬と兎の耳。
「……そんなの持ってたっけ?」
「三人お揃いで買ったんだよぉ。こういう時に一緒に着よぉって」
「どーだ、かわいいだろう」
「うん、二人とも似合ってるね」
あやはここには来ていないようだった。たぶん来ないだろうと思っていたし、来ていないことに落胆もない。
ぐるみもそれをわかっているし、そんな彼女の様子を見て、沙織もそれを察している。だから話題にすら上らない。
僕は二人を部屋に招き入れ、適当に座るように言う。
「きれーにしてるねー」
「ねー。なんだか安心するなぁ」
「あっちに積んでるのはキャンプ用品かな?」
きょろきょろと僕の部屋を見回す二人に、けれど「やめてよ」とは言いづらい。幸いにして普段から清潔に整頓してあるから、今日も慌てず二人を迎えることができた。
二人はベッドの隅に座り、前のめりになって僕を見る。
僕は部屋の隅にかけてあるギターケースから、少し古びたアコースティックギターを取り出した。
「あ……」
聞こえたぐるみの呟き。僕は聞こえないふりをして、さっきまで勉強に使っていた椅子に腰かけ脚を組んだ。
ギターを膝に乗せ、いくつか音を鳴らしてチューニング。ペグを回すと音が変わる、そんな当たり前が毎回結構楽しかったりするんだ。それが終わったら安物のチューナーをケースに入れて、改めてギターを構える。
「おぉ、それっぽい」
「それでしかないよぉ」
楽譜は、とりあえず今日のところはなしで弾こう。どのみち僕のレパートリーなんて多くはないし、そのどれもが「イマドキの子」には伝わらない。
でも音楽なんて万国共通、時代を問わない。響くものは響くし、響かないものは響かない。もちろん流行があってそれが求められている、というのはわかるけど。
僕の弾きたいものは、あの日聴いていたものばかりだから。
「沙織にはちょっと、わかんない曲ばっかりだと思うけど」
「いいよー全然。とりあえず浸ってみる」
彼女に響くかどうかはわからない。でも、気に入ってくれると嬉しい。
頭の中に譜面を浮かべて――なんて、器用な真似は僕にはできない。でも、身体が覚えている。この曲はこう、あの曲はああだ。数少ないからこそ、何度も何度も弾いてきた。
それではお聞きください、なんて気取ったセリフは、頭の中に留めておいた。
弾き始めは、Cコードから。




