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これが僕のとっておき




 電話は結局一時間ほど続いて、黒瀬さんのあくびでお開きとなった。ほとんど彼女の一人喋りだったから、そりゃあ疲れるだろうなぁ。


 僕からの話も全くしなかったわけじゃない。引き出しは少ないものの、興味は共通してるんだ。セルジュ、コーヒー、キャンプに知人。あや、ぐるみや店長夫婦の昔話なんかも盛り上がる。それから、僕の話も。


 昔はここまで消極的じゃなかった。あやとぐるみと一緒にいたのは確かだけど、逆に言えば彼女たちと一緒なら色んなところに駆けていった。親しい間柄なら、自分から遊びに誘うことだってあった。


「じゃあ次のハードルはそこだね」


 通話を切る数分前の黒瀬さんの発言がそれだ。


 つまり僕は、黒瀬さんを遊びに誘うことを求められているわけで。楽しそうに笑う彼女の声は、そのハードルが僕にとってどれだけ高いか、理解した上での発言だと明確に示していた。


 彼女とのデートを思い出す。彼女の目的のため、僕がそれに付き添うという形で誘ってくれた。今思えばそれも僕に気を遣わせないためなのかな、と思わないでもないけれど。


 僕がこれからいきなり百点を求めても仕方ない。「ここだけは」を意識した方がいい、と思う。


 そもそも世の男子たちはどんなことを考えて女子を誘うんだろう。もっと気楽に、「いこーぜ」でどこにでも行けてしまうんだろうか。


 わからない。わからないけど、それを自然にこなせるんなら尊敬するよ、本当に。


 彼女は今、自分を見失って手当たり次第「興味」に向けて突撃している。キャンプ然り()然り、他人からの目をまるで気にしていない様子だ。心配になるくらいではあるけれど、とはいえ自暴自棄とまでは言えない。


 こういう時どうするのが正しいか、なんてわからない。でも僕は、それでもテニスをやれと言えるほどの度胸はない。言いたくもない。


 それなら最初から選択肢は一つ。それに、心配なら尚更誰かが一緒に動いていた方がいいんだから。


 さておき行くならどこがいいか。


 迷いはしたものの、一か所だけ黒瀬さんが興味を持ってくれそうな場所に心当たりがあった。恐らく行ったことがないであろう、僕の行きつけだ。


 決まってしまえばあとは行動。


 とはいうものの、学校での黒瀬さんは基本的にあやとぐるみが一緒にいる。なんとなく目の前では誘いづらくて、電話の翌日は結局切り出すことができなかった。


 誘うだけならトープのチャットでいいじゃないか、と気付いたのはその夜のこと。


「一緒に行きたいところがあるんだけど」


 とメッセージを入れれば、ほんの数分で返信があった。


「待って待って、行き先は言わないでね。日付と時間と、あとは電車に乗るかどうかだけ教えて」

「今週土日はダメだよね。じゃあ、来週とか? あと電車は乗る」

「うーん。いっそ明日の放課後とかでもいいんじゃない?」

「黒瀬さんが大丈夫なら、大丈夫だけど」

「じゃあ決まりで。ガチガチで期待しとくからねー」


 ハードルを上げないで、と打とうとして、やめた。越えられる自信があるわけじゃないけど、かといって卑屈になるのも違うような気がしたから。


 それとなれば早く寝なければと目覚ましをかけ、いそいそとベッドに潜り込む。眠気はすぐにやってきた。




「またなん?」

「またなんだよ」

「私もお出かけしたい……」

「ぐるみにおサボりができるかな?」

「できない……」


 さもありなん。二人の追及をかわした黒瀬さんが、僕の方に振り向いた。


 今回は趣向を変えて教室にお迎えのパターンだ。次があれば逆がいい、とのことらしい。


 僕はスクールバッグを持って立ち上がり、歩き出す黒瀬さんに続いて教室を後にした。恨みがましそうに僕を見るあやとぐるみに関しては、あとで何らかのフォローをしておこうと思う。


 そもそも悪いことをしてるわけじゃないんだけど、それでも二人は笑顔がよく似合う。


 とはいえ約束は約束、今日は黒瀬さんと出かけるともう決まってる。であれば、僕は彼女だけを見てなくちゃいけない。


「電車乗るんだよね?」

「うん。郡浜」

「キャンプ用品奢ってくれるとか?」

「さすがにない」

「ですよね」


 まぁ、小物をいくつか買うくらいならやぶさかでもないんだけど。考えてみれば最初のデートで買ったカトラリーくらい、僕が出してもよかったかな。


「そういえばカトラリー、使ってる?」

「かとらりぃ……あぁ、あのスプーンとか。まだ使ってないなー。たまに取り出して撫でてる」

「撫で……」


 確かにスプーンの曲線がきれいなのはわかる。わかるけど、用途が違う。


 呆れた目の僕に、黒瀬さんはにこっと笑って親指を立てた。わからない。でもなんでだろう、意味が分からないやり取りで笑い合うっていうのが、なんというかこう、青春っぽいというか。


 だから思わず笑ってしまって、黒瀬さんもまたにやりと笑う。


 今もって「人付き合いが苦手」というのが信じられない。距離感がおかしいとは言うけれど、それだって受け入れてしまえばなんてことはない。むしろその人懐っこさが可愛らしいくらいだ。


 けれどあの電話で言っていた、「雑談と言えばテニス」というのがその根拠ではあるんだろう。そういう意味では彼女も人付き合いの経験が希薄で、趣味すらテニスだったのも想像に難くない。


 くるみ色サーフェスという少女漫画がある。


 テニスでプロになることを有望視されている才能に溢れた少女。そんな少女にかつてテニスを教えた青年。少女が高校三年に上がったその日、青年が部のコーチとして赴任してくる。テニスの楽しさ、厳しさをその身でもって体現していた青年は今や見る影もなく。


 少女との交流の中、青年がかつての情熱を取り戻すまでのラブストーリー。


 少女の言う交流は、まさにかつての黒瀬さんだ。テニスのことしか考えていない。あるいはその常軌を逸した情熱は、友人さえも遠ざけて。


「……黒瀬さんって、ちょっとかなた(・・・)に似てるよね」

「わかる! つまりくるフェスは名作ってワケ」

「そういうとこも」

「……わかる!」


 少女「かなた」も黒瀬さんと同様、テニス以外では言動がちょっと迷子になることがある。なのに妙に自信満々で、擦り切れたような青年にはそれがかえって響いたりもした。


 僕は別に、擦り切れちゃいないつもりではあるけれど。


「今度一緒にアニメを観よう」

「アニメ版は見たことないなぁ。出来良いの?」

「とても。テニスのプロネーションまで再現度がすごい」

「ぷろね……しょん?」

「プロネーション。手首の回内動作のことである」

「へー」


 つまり細かいところまで作画のこだわりが詰まったアニメだってことらしい。


 実はアニメ自体あまり見ないけれど、黒瀬さんと一緒に観るならそれも楽しそうだ。それであればあややぐるみも加えても。


 でも今は二人きりを存分に楽しみたい。


 着いた駅のホームで、肩を並べて電車を待つ。そんな時間さえも楽しい。ころころと表情を変えて、爽やかに声を響かせて。ぽつりぽつりと答える僕の声に、大げさなくらいにリアクションをしてくれる。


 電車に乗って、郡浜に着いて、目的地には歩いて向かう。そりゃもちろん、話が全く途切れないわけじゃない。そこには気まずさも、全く感じないわけじゃない。


 でも次の一言が待ち遠しい。それを待つのもまた楽しい。僕が何かを思いついて、話すのにも躊躇がなくなってきた。


 黒瀬さんなら受け取って、何かを返してくれるとわかるから。


「あ、そろそろ……ここの路地にちょっと入ったとこ」

「おぉ。なんか通っぽい」

「なんの?」

「なにかの」


 気持ちはわかるけど。


 さておき目的地は僕の行きつけの店。同時にセルジュの買い出しで訪れる店でもある。


 レンガ造りの外壁に、木とガラスの扉。オレンジ色の庇テント。昔ながらのレトロなお店は、この時代に見ると不思議とおしゃれだ。「おー」と感嘆の声を上げる黒瀬さんは、ドアの横に掲げられた看板の文字を読み上げる。


(ほうじ)……とな」

「そう。コーヒー豆の焙煎をしてくれるお店」

「へー! え、めっちゃいいじゃん。楽しそー!」

「そっか。喜んでくれてよかった」


 ぽんぽんと僕の肩を叩き、店と僕とを見比べながら満面の笑み。


 僕はどうやら正解(・・)を選べたらしい。胸が熱くなるのを感じる。ここまで喜んでくれる黒瀬さんが、可愛くて仕方ない。


「早く入ろ!」


 そう言って僕の手を掴む。


 どれくらいぶりだろう。それこそ小学生の頃、あややぐるみ相手がせいぜいだ。


 黒瀬さんの手は前に触れた時と同じ、ところどころ少し硬くて、そりゃあ漫画みたいに「柔らかい」と言えるものじゃないけれど。


 ぎゅぅと握られたその力強さが、かえって僕の心を躍らせる。


 ――温かい手、だなぁ。





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