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かわいい下級生




 朱子(あかね)と名乗った彼は、きょろきょろと周囲を見回した後、遠慮がちに隣に腰掛けた。僕がぼうっとしている間に後片付けも終わったらしく、金網越しのコートは練習中の賑やかさが嘘のように閑散としている。


 隣に座る茶髪の爽やか系男子。高い身長、スマートな体型、甘いマスク、その上テニスまでうま……くはないけれど、そこは将来性に期待ということで、まぁモテないわけがないだろうっていうのが一目見てわかる。


 そんな彼が座ったきり黙り込んで俯いてしまうものだから。なぜだろう、放っておけない気持ちになる。


「黒瀬さん、大丈夫かな」

「っすね……いつもキリっとしてるんで、あんな弱ってるとこ見んの初めてっすよ」

「無事だといいけど」

「っすね。できることないってのがちょっと、もどかしいっすけど」


 正直なところ、「あんたのせいで」と責められることさえ覚悟していた。心配そうに眉根を寄せる朱子君に、けれど先ほどまでの複雑な表情は見られない。


「名前聞いてもいいっすか?」

「ああ、ごめん。綾瀬、です」

「……あやせ」

「テニス部の二年にいるよね? 僕の姉」

「姉? え、お姉さん? っすか?」


 驚き、戸惑い、そんなものを顔に張り付け、期待した通りのリアクションを見事に見せてくれる。


 とはいえ仕方のないことでもある。彼はたぶんこの町の出身じゃなくて、黒瀬さんと同じように外からやってきた転校生なのだ。――少なくとも僕が小学五年生になって以降の。


「双子じゃないよ。義理の姉ってやつなんだ」

「……っすか」


 好奇心がくすぐられている、けれど何となく複雑そうだから聞けない――なんというか、僕以上にわかりやすい子なのかもしれない。


 そんな素直な彼が微笑ましく思えて、なんだか僕は気が大きくなってしまうのだった。


「それで、用件を聞いてもいい?」

「あー……いや、最近仲良さそうだな、と話に聞いてて……いや、でもなんか納得しちゃったというか」

「あー……」


 例の三人組に何らかの感情を抱いていて、それと急に仲良くなった男がいるから気になったと、そういうことなんだろう。そしてそのうちの一人と姉弟ということで、あっさりと疑問が解決してしまった。


「あれ、でも最近って」

「ちょっと、ね。喧嘩ってほどでもないけど、疎遠気味だったんだ」

「あるんすね、綾瀬先輩にもそういうの……って、綾瀬先輩じゃわかんねっすね」

「綾人、でいいよ」

「あざす」


 とは言うものの、僕らはまだまだ初対面。お互い何も知らない同士で、会話が弾むはずもない。黒瀬さんの時のように共通の話題があるとわかればやりようもあるけど、なんとも、同年代の男子となると経験値がなさすぎて。


 疑問が解決したんだから解散すればいいんじゃないか、なんて脳裏を過ぎったりもするけれど。


「黒瀬先輩、なんか、変だったっすよね」

「あ、うん。らしくない、ってほど知らないけど」


 逃げてばかりもいられない。黒瀬さんが練習台(・・・)になると言ってくれた以上、僕自身その練習に前のめりにならなくちゃ。


 僕が憧れた、僕が思い描く「温かなカフェ」で、ただ黙してコーヒーを淹れるだけの機械でいたくはない。


 お母さんは、どうしてたっけな――


「黒瀬さん、何か変わったこととかあった?」


 僕の問いかけに、朱子君はしばらく俯いて考えるとぱっと顔を上げた。


「あいつ……平井って先輩、つか大学生なんすけど、そいつがなんかやらかしたらしいっす」

「あー」


 思い当たり過ぎて何とも言えない。黒瀬さんが言っていないのなら、僕からことの詳細を話すわけにもいかない。素直な後輩を騙すようなことはしたくないけれど。


「つってもなんかあんまり気にしてる感じでもないすよね。いや気にしてないわけないとは思うんすけど、そこまで深刻ってわけでもないってか」

「うん、言いたいことはわかる。でも、だからこそ変っていうかね」

「そーなんすよ! なんか結構騒いでたから、結構なことされたんだと思うんすよね。だから聞き出せないってのもあって」


 春先とはいえ寒い山中に放置された、というのは確かに結構なことだろう。あの時の黒瀬さんは確実に不安だっただろうし怖かっただろうし、きっと傷ついていたことだろうと思う。


 僕から事件のことについて話すわけにはいかない。それなのに僕から朱子君に事件の関係者のことを尋ねるのはどうだろう、卑怯なんじゃないか。


 なんて言い訳がましい迷いを見透かすように、彼は自ら話し始めた。


「最初はいい先輩だったらしいんすよ。何しろ全国行ってるって話で」

「あ、そうなんだ」

「全国行けるって、ほんとやべーっすからね。一握りの一握り、一つまみっすよ」

「ひとつまみ……」


 素直な彼の独特な言葉選びに何となく心が和む。


「それが大学入った辺りでおかしくなって、まー要するにチャラくなってったってらしいっす」

「チャラく、ねぇ」

「俺が入ってからも一回練習見に来てたっすけど、練習見に来たっつーか黒瀬先輩狙いに来てたっすね」

「もうそこまで来ると末期感あるなぁ」

「っすよねー。わざわざ卒業した高校に女子狙いに来るとか……」


 目を見合わせ、互いに肩を竦めた。言葉にすると「きっつい」という感想しか浮かんでこない。直接被害にあった黒瀬さんなら尚更だろう。


 ともあれ事件のあらましはなんとなくわかった。推測ではあるけれど、黒瀬さんがなぜ置き去りにされたか――ひいては彼、平井という男についていったのかも。


 テニスに真摯な彼女は、今は変わってしまったテニスに真摯であったはずの先輩に、元に戻って欲しかった。それでなんとか話を続けようとしていた。


 あくまでも推測の域を出ないものではあるけれど、遠くないだろうと思う。


「じゃあ、もう切れたってことでいいのかなぁ」

「っすかねー。つか黒瀬先輩が嫌だっても、向こうが強引だとやべーっすよね」

「気をつけなきゃね」

「っす」


 僕が守る――なんていうほど強くはないから、こういう情報はやっぱり共有した方がいいんだろうと思う。もちろん一度警察沙汰になっている、あるいはなりかけた以上はもう直接的な手出しはしないだろう、と考えることもできる。


 けれどやっぱり、やべーやつというのは想像もつかないくらいやべーからこそやべーやつ、なわけで。


「……僕のことは、怒ってる人とかいないのかな」

「え? あー……まぁ、妙な勘繰りしてるのはいるっすけど」


 妙な勘繰り、の意味をあえて深堀はしない。表情をころころと変える素直な朱子君を眺めながら言葉の続きを待つと、どうにも複雑な表情で――それこそ話しかけてきた時の。


「まぁ、でも、コートの外とはいえぼーっとしてたの黒瀬先輩っすから」

「そっか。大人だなぁ、皆」

「ふつーっすよ。綾人先輩がカメラでも構えてたら違っただろうすけど」

「さすがにそこまでしないね」


 事前にイジられたことでもあるし、たとえ許可が出ていてもやらなかった。仮にそれを撮るとしたら、他に誰もいない状況で本人に「撮れ」と言われた時くらいだろう。


「まー、部活中の写真見たけりゃPicto(ピクト)に上がってるんすけどね」

「え、そうなの?」

「意外と人気なんすよ。まー、あくまで意外とっすけど」


 ピクトとは、写真や動画を中心に投稿するタイプの、現在若者の間では主流となっているSNS。それこそなんてことない学生から人気ピクター(・・・・)まで、さまざまな人が使っている。何を隠そうセルジュがちょっとバズったSNSもこれであり、僕もなんでか「恩義」みたいなものを感じてたまにチェックしている。


 しているけれど、葛木高校のテニス部にアカウントがあることすら知らなかった。何しろ三人組からそれを一切聞いたことがないし、他にその話題を出す友人もいない。


「ふつーに葛木高校テニス部とかで検索したら出てくるんで、興味あるんなら見てみて欲しいす」

「うん、チェックしてみる」


 部活中の三人は、普段の三人とはまた違う一面を見られた。でもそれはまるで別人なんてこともなくて、あくまでも普段の彼女たちの延長線上にあって、だからこそ一層きれいに見えたんだ。


「ちなみに、なんすけどー」

「え? うん」


 ちなみに、とは言うけれど。


 朱子君の表情はそう言っていなかった。素直でわかりやすい、今までで一番真剣な顔をしていた。


「綾人先輩は、好きな子とかいるんすか?」


 ぎくり、と心音が聞こえた、気がした。


 色々と頭を過ぎるものがある。朱子君の気になる人が黒瀬さんだった? あるいは彼の友人が? 僕のそれを探ってどうしたいんだろう? もしも恋敵(ライバル)になったとしたら、僕には彼に勝るものがあまりにも少ない。


 ――でもそれは一瞬のこと。慌ててごまかすような朱子君に止められた。


「いや、すんません。初対面で聞くことじゃないすよね」

「あ、うん……ごめんね」

「いや、全然全然。俺だって……こんな状況で言わないっすよ」


 やっぱり素直な子で、まだまだ気になると顔には書いてあるけれど。


 ちょっとほっとした。そして同時に思い知った。僕はまだまだ弱いままで、誰も彼もにまるで届いていない。もっと頑張らなくちゃいけない、ということを。


 趣味がおしゃれ? おいしいコーヒーが淹れられる?


 そんなもの、人の価値のほんの一部で、あるいは幹についた枝葉に過ぎない。どれだけそれを伸ばしたところで樹木は立派とは言えないし、バランスを失えば歪になるのは人もまた同じ。


「じゃあ、すんません、これで」

「ああ、うん。じゃあまた」

「また」


 荷物を背負い、朱子君は足早に立ち去って行った。


 盆地は日が短い。辺りはうっすらと赤く染まり、これもすぐに落ちて暗くなっていく。なんとなく彼を追いかけるようで気は進まないけれど、僕はスクールバックを拾い上げて校門へ向かった。


 朱子君との会話は楽しかった。けれどだからこそ一人になると不安がぶり返す。


 黒瀬さんは大丈夫かな? あやとぐるみがついていたから僕は残ったけれど、ぶつかるところを直接見ていた僕も行くべきだっただろうか?


 僕のせいじゃない、と言われても、やっぱり拭いきれないものがある。


 帰ったらあやと話してみよう。黒瀬さんの容体も聞きたいし、この不安もきっといくらかは和らぐはずだ。そしてできるなら、あやの不安を取り除くことだって。


 ……甘えてるな、本当。





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