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憧れのあの子




 黒いキャンバスに白砂を散らしたような晴天の空。白く浮き立つような上弦の月。木々の黒い影が窓枠のようにそれらを切り取る。視線を下ろせば、橙色の火がすすと煙を吐きながら夜闇を照らしている。


 焚き火は「窓」みたいなものだ。物語の中でも、そこに「願望」や「憧憬」を映すなんてのはよく聞く話で。


 すべてを奪った(モノ)の中に、奪われた両親(モノ)の面影を見ている。その安らかなるを見ている。


 小さな折り畳みのローテーブルからマグカップを持ち上げ、口に運んだ。


 僕の趣味は大きく三つ。そのうち二つがキャンプとコーヒー。


 人口三万人ほどの田舎町。ここ葛木町は大きめの盆地にあって、それを囲む山々は様々な恩恵を僕らに与えてくれる。


 葉擦れの音。虫と蛙の声。きれいな空気。木々と、土と、煙とコーヒー。鼻腔をくすぐる香りは不思議と調和がとれていて、深呼吸をしたくなる。


 ここには僕以外に誰もいない。ちょっと下ればちゃんとしたキャンプ場があるけれど、ここは違う。義父(・・)が経営する会社の福利厚生のため造られた、小さなキャンプ地だ。森を拓き砂利を敷き、ちょっとした倉庫を設えただけのシンプルな。


 だからこそ自然を楽しむのにはもってこい。僕は毎週のようにここに来て夜を明かす。


 五月に入ったけれど、夜になるとまだまだ冷える。コートを着てブランケットを羽織り、焚き火に当たると、その寒さがかえって楽しみでもあるんだけど。コーヒーの熱もよく沁みる。


 だからそう、あり得ないんだ。


 こんなところにこんな時間に、薄着の女の子が独りぼっちで歩いているなんて。ましてやそれが同級生で、いつも目で追ってしまう憧れの女の子だなんてことは。


「……黒瀬さん?」


 黒瀬沙織。葛木高校二年。テニス部所属。成績優秀、素行良し、インターハイ出場経験あり。


 非の打ちどころのない彼女は、震える体を自らの腕でかき抱き、怯え切った表情で僕の方に目を向けた。


 橙色の灯りに照らされた僕の顔は、果たして彼女の目にどう映ったんだろう。その顔を認めると、おずおずと僕の方へ歩み寄ってきた。


綾人(りょうじ)くん?」


 綾瀬綾人。葛木高校二年。帰宅部。成績素行共に十人並で、カフェでアルバイトをしている。


 黒瀬さんはそこの常連だ。毎週金曜日、部活終わりに友達と一緒に立ち寄ってくれる。知った顔を見て少しは安心してくれたんだろうか、その顔からは少しだけの安堵が見て取れた。


「どうしたの、こんなところで」


 正直頭が真っ白になりかけたけど、彼女を見ていたらそうも言っていられない。何しろ彼女ときたら薄手のブラウスに薄手のロングスカートと、とてもじゃないけどこの寒さに耐えられる服装をしていなかった。


「えっとー……まぁ、友達? に、置き去りにされたー……みたい、な」

「えぇ。大丈夫なの?」

「じゃないかも」

「だよね。とりあえずこれ、耐火ブランケット。火に当たって」

「いい? ありがとぉ」


 立ち上がる僕からブランケットを受け取り、差し出したローチェアにゆっくりと腰掛ける。冷え切った身体はすぐには温まらないだろう。けれど、吐き出されたため息は安らぎに溢れていて。


「あったかい」

「うん。ちょっと待って、コーヒー淹れるから」

「え、そんな……って言いたいところだけど、お願いします」


 頷いて、僕はローテーブルに向き合った。


 ガス缶に五徳をセットして、水を入れたケトルを火にかける。その間にさっきまで使っていたドリッパーをゴミ袋に捨てて新しいものに。家で挽いてきた豆を量り入れて、樹脂製のコーヒーサーバーにセットする。


 黙々と準備する僕の隣で、黒瀬さんはその様子を興味深そうに見ている。横目にそれを見て、僕はそれでも手を休めない。


 コーヒーにはいつも全力で向き合いたい。憧れの人に見られていても、平常心のまま最高の一杯を。


「そだ、スマホ、あとで借りていい?」

「うん、もちろん。あ、番号わかる?」

「あ、ごめんわかんないかも。おばさんに繋がる?」

「うん。じゃあ淹れ終わったら」

「ありがとね。あぁ、ほんとよかった。助かったー」


 その声色に、吐息に、心からの安堵を感じた。不謹慎かもしれないけれど、胸が浮き立つのを自覚する。手元が狂わないよう深呼吸を挟んで、吸い寄せられそうな視線をコーヒーに固定して。


 こんなシチュエーションであっても、二人きりでいられる。僕にそれくらいの信用があったことに、少し感動してしまった。


 そりゃあこんなシチュエーション、望んじゃいなかったけれど。


 憧れに少し近づいた気がしたんだ。





 僕にとって彼女はバイト先の常連で、義姉(・・)と幼馴染の親友。


 端的に言って、ほとんど関わりないと言っていい。


 僕がバイト先のカフェ「セルジュ」に向かう前、テニスコートを横切る時に黒瀬さんを見る。横目に数十秒、軽快に走り思うままラケットを操り、ボールを繰り出す爽やかな彼女の姿を。


 陽の光を溶かし込んだように艶めく黒の髪。普段は軽く流しているけれど、部活中は一つにまとめていて、ただそれだけでずいぶん印象が変わる。見る人に清涼感を与えるような爽やかな顔立ちで、発せられる声は快活で、伸びやかによく通る。


 彼女がエースなら二番手は義姉。二人で打ち合っているとまるでセッションしているようで、その時の彼女ときたらそりゃあもう。


 ため息の出るような。


 そして練習のあと、黒瀬さんは幼馴染を連れ立ってバイト先に現れる。昨日もそうだった。


 けれど僕らは、それでも。


 義姉も幼馴染も、両親を(・・・)亡くして(・・・・)しばらく、いつまでも立ち直れない僕とは疎遠になって久しい。


 だから「いらっしゃいませ」と「ご注文は?」、それから「ごゆっくりどうぞ」。交わす言葉なんてそれくらいのものだ。ほんの一言二言、ないわけじゃないけれど。


 そんな僕にも黒瀬さんは明るく朗らかに、「いつもの」なんて冗談めいた言葉で楽しそうにコーヒーを注文するんだ。


 ブレンドを、ミルクありで。



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