裕の想い
2、
―裕―
―俺と一緒に、この町を、出よう。
星菜が目覚めた時、奇跡だと思った。
もう、無理だと思った。
また大切な人が一人、この世からいなくなるんだ、って。
でも神様が、「奇跡」を起こしてくれた。
星菜を、助けてくれた。
また、こうして傍にいてくれる。
俺はもう、星菜を失いたくない。
「え……。」
最初は、こんな反応だと予想はしていた。俺だって、急にそんなことを言われたら驚く。
「なんで…?」
星菜のサラサラした髪が、風に靡いている。
「俺、この町を出て、したいことがあるんだ。星菜も一緒に、来て欲しい。」
そんなこと、全部嘘だ。
全部、星菜を守るための、嘘。
「そう…なんだ…。」
本当の理由。
それは―
4歳の夏、母が死んだ。
死因は、事故。
でも葬式の時に見た母の遺体は、事故で死んだとは思えないくらい綺麗で整っていた。
父は母が死んで、家に帰ってこなくなった。
理由は分からない。仕事のせいか、他の女と会っているからか、俺の顔を見たくないのか―?
とにかく父の姿を、4歳の頃以来、見ていない。
俺は父の父―祖母に育てられた。祖父は気難しく無口で、真面目な人だった。でも祖父は、俺のことを我が子のように、大切に育ててくれた。
でも祖父も、「フレミスク学園」に入学してすぐ、病気で死んだ。
祖父も死に、一人暮らしにも慣れてきた、14歳の夏。
母が死んで丁度、10年後だったと思う。
俺の元に、一通の手紙が届いた。
誰からだろう―そう思うより先に、母の好きだった藤色の封筒に、一番端に書かれた『裕くんへ』という朗らかな字形を見た時。
母だ―と直感的に思った。
母さんが、死ぬ前に贈ってくれたのだろうか―?
俺は急いで封を開け、中を確認した。
そこに、書いてあった。
星菜が今年の冬、死んで、星菜が死んだ後の来年の秋、咲良が死ぬこと。もし星菜が死ななければ、星菜の妹―琴が死ぬこと。だから、星菜と咲良、琴を連れてこの町を逃げて欲しいということ。
この手紙を貰ってすぐ、星菜と咲良、琴に手紙を見せ、この町から逃げることを計画し始めた。
でも―
突然、星菜がいなくなった。
知っていたはずだった、でも間に合わなかった。星菜がいなくなった後、咲良は死ななかった。なぜなのかは分からなかったけど、星菜がいなくなったことで、俺たちは逃げることを諦めた。
それから1か月経ったある日、病院の院長が星菜が道端で倒れているところを見つけ、運んだのだ。
俺たちが病院に駆けつけると、そこには青白くなった星菜の姿があった。
もう星菜は目覚めない―と院長は言った。
このまま脳死するか、目覚めないまま老化して死んでいくか、だと。
それから2年間、星菜は寝たきりだった。
俺が何度声をかけても、何度お見舞いの花を持って行っても、目覚めることはなかった。
でも―
星菜は目覚めた。
桜が花開くように、冬の終わった頃。
記憶を失った状態で。
生きていてくれた。
笑っていてくれた。
その時心に決めた。
俺はもう、
―絶対に星菜を行かせない。
例え自分の命が欠けようとも―
「返事は、今すぐじゃなくていいから。」
「う、うん…。」
どこか浮かない顔の星菜に、腕時計を確認しながら言う。
「星菜、時間大丈夫?もう6時30分だけど…」
「あっ!もうこんな時間!私、帰るね!」
「うん。バイバイ。」
「また明日ね、裕くん!」
そう言って、芝生の上を駆けていく星菜の背中に言った。
「うん。…また明日。」
『また明日』その言葉が本当になるために―
『また明日』も、星菜が笑っていられるように―
俺は今日も、生きている―