川沿いの小さな丘
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「キーンコーンカーンコーン…」
長い7時間の授業が終わり、下校の時間となった。
「フレミスク学園」の重く分厚い門が、コンクリートの地面を擦りながら開いた。
生徒たちは解放されたような顔で、門を潜り、下校を始めた。
私は、少し教室で時間を潰し、人の多い時間を避けて帰ることにした。人の多いところが苦手らしくて、周りに人がいない方が落ち着けるのだ。
教室で10分くらい時間を潰したら、丁度いい時間になっていた。
周りにはすっかり人がいなくなり、見回りの先生の姿も見当たらない。
私の家は、川沿いを通って、橋を渡る前の土手の近くに建っている。下校の時間は私にとって唯一の自由時間で、少しでも長く自由な時間をつくれればと思い、遠回りして帰ることにした。
橋を渡り、川沿いをぶらぶらと歩いてみる。
家の近くのこの川は、「東雲川」という。春山の上流からずっと長く続いていて、町のふもとまで流れている。昔はもっと荒れた川で、よく氾濫を起こしていたらしいが、昔の人たちが氾濫しないように作り変えてくれたとか。そのおかげか、ここ数年は全く水害が起きていないようだ。
そんな東雲川の、中央部くらいまで来た時。
「わぁ…」
東雲川に沿うようにしてある、小さな丘。
「きれい…」
天然の芝生に、色とりどりの花たちがたくさん咲いている。紫陽花に芝桜、エンダーフラワーに、ビバーナムスノーボール。初夏に咲く花たちと一緒に、マスカットのようなフルーティーな香りが風に乗って匂ってくる。
どこか懐かしいようなその香りと景色に、不思議と心が癒されていく。
家に居ても、落ち着かなかった。
少しでも勉強でないことをすると、母が部屋に入って来る。見張られているような、そんな気分になって、心が休まらなかった。まるで、きつく硬く絶対に切れない鎖を括り付けられているよう。愛情なのかよくわからないもののせいで、身動きが取れず、縛られているのだ。
ここにいると、そんな嫌なことや不安が、全部洗い流されていくようだった。
やっと、居場所を見つけられたみたい。
私は、桜の木の下の、小さな木陰に腰を下ろした。
ボーっと、川に流れる水の音を聞いた。
澄んだ薄い空の色が水面に映り、その上に最後の春の欠片が舞い落ちた。焦げたような茶色の枝の先に散らばる色は、今は瑞々しい青緑に変わってしまった。
でも私は、春の桜も、夏の桜も、秋の桜も、冬の桜も、全部桜だと思う。美しくない季節があったとしても、その時空があるからこそ、たくさんの花たちを咲かせられるのだと思う。桜は、散ってしまっても変わらずそこにあるのだから。
「ガサッ…。」
背後から誰かの気配がした。後ろを振り返ってみる。
「星菜…!何で、ここに…?」
目を大きく見開いて、今まで見たこともないほど驚いた、裕がいた。
「裕くん…。たまたま、回り道して帰ってたら、見つけてね。すっごく綺麗な場所でしょ。」
少しだけがっかりしたような顔を浮かべた後、裕は私に横に腰を下ろした。
「うん。ここ、綺麗な場所だな。」
裕の反応を少し不思議に思いながらも、私たちは目の前の景色を見つめた。
「私、ここにいると、嫌なこと全部洗い流れていくみたいなの。」
「うん。なんか、川の流れと一緒に、嫌な気持ちも流れてくみたいだな。」
ここから見るとちっぽけな町の景色に、悩んでいたこともちっぽけに思えてくる。山に川、桜の木に、街路樹。空に、雲に、ほんのり暖かい初夏の空気。お母さんに、お父さん、琴、裕くん。大切なものがこんなにも傍にある。それだけでもう、十分だ。
「なぁ、星菜。」
「うん?どうしたの?裕くん。」
「……やっぱ、いいや。」
「う、うん。そっか…。」
なんだか気になりながらも、聞き返してはいけないような気がした。
「なぁ、星菜。」
「ん?なに?」
「……」
急に黙り込んでしまった裕のほうを、自然と向き直った。
「俺と一緒に、この町を、出よう。」