4
一通りの荷物の確認を終えた私は、女性の様子を見ようと馬車を覗いた。馬車を走らせる前、私は彼女を座席の上に横たえさせていたはずなのだけど、覗いてみると何故か彼女は座席に背をもたらせて座って寝ていた。
もしかしたら私が怖くて、死んだふりをしているのかなと思い、触手で女性の手の甲をツンツンとつついてみたが、彼女が悲鳴をあげることもなかったし、顔を引き攣らせることもなかった。やっぱり寝ているのかな?もしかしたら女性は寝相が腕白なのかもしれない。私は馬車の後ろに入っていた毛布を取り出し、彼女の体にかけておいた布袋を取り払い、毛布を掛け直しておいた。
女性が起きそうになかったから、私は彼女が起きるのを待つ間に川で手を洗い……いや、足なのか?……とにかくザブンと全身入って水浴びをすることにした。自分の体の匂いをどこにあるのか未だにわからない鼻で確かめ、多分大丈夫だろうと思えるくらい全身を徹底的に洗いはじめた。
え?何で、いきなり水浴びしたんだって?だって私、生まれて直ぐに森の中をずっとさまよい歩いていたし、さっきは男達とちょっと揉み合いにもなっていたし、今も馬車の中を探っていてホコリまみれになっちゃったんだもん。日中動きっぱなしだったんだから、きっと汗もかいているだろうし、ただでさえ怖い外見なのに、その上、汚くて体臭まで臭くなっていたらダメージ半端ないじゃん。
途中、私が水浴びするのを馬が怯えもせずにジッと見ているのに気がつき、試しに少し水をかけてみても馬が驚かないようだったから、元から汚れていた馬も洗ってあげることにした。この短時間で馬は私に慣れてしまったのか、こんなに恐ろしい見た目の私が触っても泡を吹かなくなっていた。
そのことに私は驚いたけれども、短い時間と言えども私の傍にいさせることになった可哀想な馬を気の毒だと思っていたから、慣れてくれたのがとても嬉しかった。馬を洗い始めて気がついたのだけど、馬は牝馬だった。なんだ、馬もか弱き乙女だったんだ。女の子同士、気兼ねなく水浴びをしようね。気を良くした私は馬を丁寧に洗ってあげた後、ついでに三人の男達が着ていた衣類もまとめ洗うことにした。
だって、それもすっごく汚れていたし、かなりきつめの悪臭がしていたんだもん。我慢強く、この異臭によく耐えて、馬車を引いて走っていたんだねと馬を褒めてあげると、馬は嬉しそうにヒヒ〜ンと短く嘶き、私にスリスリと甘えてきた。……うっ。嬉しいけれど地味に痛い。馬のスリスリって、結構激しめなんだね。触手が擦り切れちゃうかと思ったよ。
馬が満足するまでスリスリに付き合った私は、洗い上がった衣類を干すことにした。馬車の荷物に入っていた紐を取り出し、木々に括り付けると、その紐にかけるようにして、洗濯物を干していった。う〜ん、前世の私には洗濯を自分でする機会は、なかったからなぁ。まさか初めての洗濯をウニョンウニョンな体で川で行うとは思わなかったよ。
馬は私が川から出たのに着いてきた後、自ら身震いして、ある程度の水気を自分でふるい落としだした。なんてお利口さんなのだろう。けれど、まだ水気が残っているようだったから、私は馬車の荷物に入っていたタオルを取り出し、ポンポンと優しく馬の体にタオルを押し当てて拭いていった。
馬のお尻についていた傷は出血が止まっていたが痛々しいことに変わりはなかった。重たい馬車を引っ張って走ってくれる働き者の馬に何と酷いことをするのだろう。私は馬車の中に薬があったことを思い出した。馬につけても問題のない薬かどうかを確かめるために薬の香りを嗅ぎに行ってみた。
どこにあるか、やっぱりわからない鼻で嗅いでみて、馬に使用しても大丈夫だと体の本能が告げてきたので、私は馬を労いながら薬を塗りつけておいた。そうこうしている内に日が沈み、夜が直ぐそこまで来ていたが、女性が目が覚める様子はまだなかった。
『多分、私がいれば夜行性の動物に襲われることはないと思うけれど、他に私みたいな生き物がいないとも限らないよね。そうでなくとも真っ暗な森は怖いし。う〜ん。……よし、ここは一つ、火起こしでも挑戦しようかな?』
前世では火起こしなんて、したことはなかったけれども、前世の人としての感覚がある私は真っ暗な夜が怖かったし、馬車の荷物にマッチが入っていたから、何とか火をつけることくらいは出来るだろう。そう考え、枯れ枝を触手でくるんで掴んで独り言を呟いた私に、馬がヒヒンと愛想よく相槌を打った。
焚き火用の枝を探しに行けば、何故か馬が私の後をついてきて、しょっちゅう私の触手にすり寄って足止めしてきては、松ぼっくりや細い葉が沢山ついた枝を咥えて私に渡してくれた。お返しに私も柔らかそうな青草やクローバーを見つけては馬にあげてを繰り返していた。
そんなことをしていたからか、思った以上に枝集めに時間をかけてしまって、馬車に戻ったときには空は真っ暗になっていた。馬に見守られながら集めた枝や葉を一旦、地面に置いた私は火起こしをするなら先に水を用意しておかねばと思い、馬車の後ろからバケツを出してきて川に水を汲みに行った。
そうして水を汲んで戻ってきたら、そこにはボンヤリとした表情で立ち尽くしている女性がいた。枝を持って帰ってきた時はいなかったから、私が水を汲んでいる間に馬車から出てきたのだろう。女性は馬車から出るのに苦労したのか、血の匂いはしていなかったが、スカートの膝から下の部分が草の汁で汚れていた。
もっと早くに女性が起きたことに私が気がついてあげられたら、御者席に備え付けられていた馬車の昇降に使われているだろう踏み台を出してあげられたのにと何だか申し訳ない気持ちになった。気が利かなかった自分に反省しつつ、女性を見ていると、ふと彼女の目線がどこを見ているのかが、気になった。
どこを見ているのか、それともどこも見ていないのか、全くわからない。彼女の見つめる視線の先を見てみても、そこには真っ暗な木々があるだけだ。心ここにあらずと言った風情の彼女は、恐ろしい生き物が彼女の視界に入っているはずなのに悲鳴すらあげようとしない。
彼女をここに連れてきた男達の会話によると、この女性は公爵令嬢で婚約者の王子が雇った男達に誘拐されて魔物が棲むという森に連れ去られた。それだけでも女性には辛すぎる出来事なのに、更に女性はそこで男達に暴行されかけたところをウニョンウニョンな私に襲われ、森深くまで連れこまれたのだ。ショッキングなことの連続で、心が追いつかないのかもしれない。
せめて言葉が通じれば、言葉を尽くして襲うつもりはないと説明出来るのだけど、あいにく私の声を発する器官は人語を話すようには出来ていない。何を言っても、ギギギとしか言えないのだから、ここで下手に声を出して彼女の恐怖を煽るより、彼女が何らかの動きを見せるまでは、そっとしておいたほうがいいだろう。そう考えた私は、彼女の様子を気にかけながらも火起こしに意識を向けることにした。
前世でも体験したことがなかった初めての火起こしはマッチがあったことで直ぐに火がつき、無事に焚き火をすることに成功した。だけど火が着いた瞬間から私は謎の悪寒と恐怖感に襲われて、折角水浴びしたというのに冷や汗がダラダラと体中から出始めた。
どうして急に悪寒と恐怖感に襲われているのだろう。夜の森にいるから恐怖感が強いのかな?悪寒は……。嫌だな、風邪の前触れかしら?そう言えば前世ではしつこいくらい手洗いうがいをしていたのだけど、ウニョンウニョンに転生してからは、まだ一回も手洗いうがいをしていなかった。ここは汗をしっかり拭いて、こまめに着替えを……って!私、裸だった。ガーン。
うわぁ〜ん、裸のまま外を平然として、うろついていたなんて恥ずか死ねる。……まぁ、仕方ないか。だって私、ウニョンウニョンになっちゃったんだもんね。服を着ようにも肝心の服がなかったんだもん。前世では完全アウトだけど今の私は触手。ギリギリセーフだよね。ね?……よし!
気を取り直した私は悪寒と恐怖感に襲われ続けながらも、火は絶やしてはならないと焚き火に木をくべ続けた。幸い、焚き火は順調だ。暫くして気が付いたのだが、どうも私が集めたものよりも馬がくれたものの方が火がつきやすくて、よく燃えるものばかりだった。もし馬がいなかったら火起こしは出来ても、こんなに上手く焚き火にすることは出来なかったかもしれない。
『あなたが手伝ってくれたおかげで無事に焚き火が出来たわ。本当にありがとう。あなたはとても賢い馬なのね。とても助かったわ』
「ヒヒン!」
馬のたてがみを撫でながら礼を言っていると突然、女性のいる方向から、バサッという衣擦れの音が聞こえた。




