3
「ギギギギギギギギギー!ギギギ、ギギギ、ギギギギ!ギギョギギギー!!」
怖い魔物になったつもりで襲いかかるふりをしたところ、麻痺や催眠の粘液を生成して噴射する必要もなく、男達は呆気なく気絶してしまった。狼藉を働こうとしていた男達から女性を守ることが出来て良かったものの、私の怒りは中々収まらず、何が仕方ないだー!痴漢、アカン、絶対!でしょうがー!!と、誰も聞いていない空に向かって、もう一度叫んでしまった。
それにしても襲ってもらおうと思って様子を伺ってみれば、とんでもない場に居合わせてしまったものだ。無実の女性を襲おうなんて血も涙もない。襲ってもらおうと思ったのに、卑劣過ぎる犯罪行為が行われようとしていたから、つい体が動いてしまったじゃないか。でも、この後、どうしよう?今は男達は気絶しているけれど、ここにいるのは、か弱き乙女だけだから心配だ。
え?誰がか弱き乙女だって?……失礼な。確かに私は年配者に育てられたからか、ところどころ言葉の言い回しが古臭いのは否めないが、前世では10代で病気で死んじゃったし、今世は生まれて一日も経っていないんだから、例えウニョンウニョンであっても私は、か弱き乙女なのだよ。だいたい変質者と言うやつは一人見つけたら三十人は隠れていると思って用心しろと昔から言われて……あれ?何かとごっちゃになっている?
か弱き乙女である私は、ウニョンウニョン人生初となる催眠効果がある粘液を生成し、ブシャッと男達の顔めがけて噴射した。それでも安心できなかった私は男達の身ぐるみを下着も含めた全て剥ぎ取ることにした。悪人とは言え、下着まで脱がせたのは少し気が引けたが、小さな油断が命取りになったらいけないと思ったからだ。
もしも男達が腕の立つスパイとか暗殺者だったとしても、裸ん坊のままでは襲ってこようとはしないだろうし、怖い私がいるから、もう女性を襲おうとはしないだろう。怖い魔物のふりをした私のせいで、可哀想な馬が恐怖で泡を吹いて今にもショック死し寸前状態になってしまったので、私は謝りながら鎮静効果のある粘液をミスト化して、馬に噴射して落ち着かせた。
さて、ではこの場から女性を連れて逃げるとするか……っと、あっ!そうだ。私は逃げる前に金貨……男達の財布から失敬した……を一枚、三人の男達の間に置いておいた。男達は夜が来る前に森を出たがっていた。夜行性の動物や私のような異形の生き物に襲われることを恐れていたからだ。私は短時間で目が覚めるよう催眠成分を軽めに調節しておいたから、直に男達は目を覚まして皆で森を出ていくだろう。
罪もなき人を誘拐し、更には陵辱し、人身売買をしようとした犯罪者をこのまま逃がしていいのか?逃した犯罪者がまた罪を犯したらどうするんだ?……という葛藤が、私の中に色濃くあることはあるが、もし男達をこのまま森で放置して、夜行性の獣に彼らが襲われた場合、血の匂いに引き寄せられてやってきた他の動物に、同じ人間である彼女が襲われないとも限らない。
それに今は大丈夫でも万が一、男達の血の匂いで私自身が誰彼構わずに触手を突っ込んで全ての生き物を蹂躙していくだけの魔物に豹変してしまう可能性だってある。そう思ってしまったら、私には男達を放置する選択は出来なくなってしまった。
結局私は自分可愛いだけの偽善者なのかもしれないと自己嫌悪に陥るが、女性が獣に襲われるのも、私が触手を誰かに突っ込むようになるのも嫌なのだから仕方がない。私は男達が森から逃げた後に、また見知らぬ誰かを襲ってはいけないと思ったので、彼らの財布から金貨を一枚だけ取り出して、彼らの傍に置いておくことにした。
この世界のお金の価値はわからないが、男達の話に出てきた王子の報酬は金貨だと言っていたのだから、きっと金貨が一番価値が高いはずだ。実際、男達の財布を開けてみれば、銅貨や銀貨の枚数に比べ、金貨は数枚程度しか入っていなかった。
金貨が王子から貰った前金であると考えるならば、金貨の価値は相当に高いと考えていいだろう。そうであるならば、金貨が一枚あれば安い衣類なら三人分は余裕で買い求めることが出来、別の場所に逃げることも出来るのではないだろうか?
それ以外のお金を男達に返さなかったのは、金貨の出どころが王子だと彼らの会話を聞いたときに、王子のお金を貰うのに相応しいのは男達ではなく、王子によって多大な被害に遭った女性だろうと思ったからだ。
もしかしたら王子と男達が女性に対して行ったことに対する迷惑料と慰謝料代わりにするには、この財布の中身では全然足りないかもしれないけれど、また王子が追手を送ってくるかもしれないし、逃亡資金は無いよりは少しでもあったほうがいいだろう。
男達にはこれを機会に是非とも更生してもらいたい。悪事に加担したから魔物に襲われた。だけど助かったのは神様のおかげ。命拾いしたことを神様に感謝して、今後は悪の道を進まずに心を入れ替えて真っ当に生きていこう。……そんなふうに思って改心してくれればいいのになと私は自分勝手に願った。
私は私に掴まれたことで気を失ってしまったらしい女性を抱え持ち、馬車の座席に寝かせてから、両手の拘束と猿轡を外しておいた。馬車の揺れで意識のない女性が座席から落ちたら大変なので、鞭をシートベルトのように充てがって固定しておくことにした。
私は御者席にウニョンウニョン蠢く体を乗せて、そっと馬のお尻の傷のないところを触手で軽く触れて合図を送り、森の奥深くに向けて馬車を走らせた。
馬車を走らせ、森の奥の川のほとりまで戻ってきた私は馬を止まらせると馬車から下り、馬車の後ろに積んでいた男達の荷物からリンゴ……どこにあるのか、わからない私の鼻がリンゴが馬車の後ろにあると教えてくれた……を一つ取り出すと馬に差し出し、触手で撫でながら労った。
『私が怖かっただろうに、よく頑張って走ってくれたね。とても偉かったよ。ありがとうね』
私だけでは女性を乗せた馬車本体をここまで運べなかった。私は馬をよく撫で、礼を言った後、馬を馬車に固定していた綱を外し、馬を川まで連れて行って水を飲ませた。
『ごめんね。解放してあげたいのだけど、あなたには女の人を運んでもらいたいから、もう暫くだけ我慢してもらわないといけないの』
本音を言えば、馬が気の毒だから今直ぐにでも私から解放してあげたかった。だけど女性がどこかに行くためには馬は必要不可欠だ。川に着くまで馬は横目で私を気にしながら歩いていたが川に着くと、ブルルルルンと身震いをして私から川に視線を移し、水を飲み始めた。
馬が水を飲んでいるのを待つ間、私は馬車の扉を開け、まだ気を失って倒れている女性に触れてみた。少し早いように感じる脈拍と激しく空腹を訴えるお腹の音。私は馬車の荷物を全部確認することにした。
御者席には私が剥ぎ取った三人分の男達の衣服と靴、手袋、マント、覆面、帽子。因みに下着以外全部黒一色。三人の上着の内ポケットやズボンからは金貨と銀貨や銅貨が少しばかり入った財布とタバコ、クシャクシャになって丸められた何かの書付えらしき紙や折り畳んだ地図などが入っていた。勿論、三人が帯剣していた長剣とそれぞれが隠し持っていた短剣といった武器は全部取り上げて御者席に積んでおいてある。
馬車の中には私がシートベルト代わりに使った鞭と、驚くべきことに金貨がギュウギュウに詰め込まれた革袋が入っていた。何と馬車の座席をめくった所が隠し収納箱になっていて、その中に金貨が入っているのをどこにあるのか、わからない私の優秀な鼻が嗅ぎつけて見つけたのだ。
私は男達が持っていた財布に入っていた金貨数枚が王子が男達に渡した前金だと思っていたのだけど、どうみても、こちらの革袋の金貨の方が、それっぽい感じがする。そうだとすると、男達のところに置いてきた一枚の金貨だけでは男達の逃亡費には足りなかったかもしれないなとチラリと思ったけれども、もう一度戻るのは今更のように思えたので引き返すのは止めておいた。
多分なのだが、これだけ革袋いっぱいの金貨と女性のドレスに縫い付けられていた宝石があれば、余程の浪費家で無い限りは、女性がお金がなくて困ることはないだろうと思われる。でも、これだけあったら強盗に狙われそうで逆に心配になるかもしれないけれども。
馬車の中は意外と広く、座席は座り心地も良さそうだったし、馬車の内側の壁や天井には上質なビロードが貼られていて、床には絨毯が敷き詰められていた。窓にはガラスが嵌め込まれていて、カーテンは厚手と薄手のものが二枚も取り付けられている。他に馬車の中に置いているのは荷物扱いして申し訳ないけど女性と、女性の体に布団代わりに掛けておいた、女性が入っていた布袋だけだ。
馬車の後ろは備え付けのボックスになっていた。中を開けると大きめの布袋がいくつか入っていたから、右端から一つずつ袋の中を確かめていくことにした。一番右に置かれた袋には男達の着替えと思わしき衣類と毛布とタオルとカミソリ、ろうそくやマッチ、筆と墨壺に便箋と封筒、石鹸や薬、ちょっとした裁縫道具などの生活用品が入っていた。
その横の袋には簡易の鍋やフライパンにコップ、包丁代わりの折りたたみ小刀や小さなまな板やカトラリーが入っていて、最後の袋には固いパンやチーズや干し肉やリンゴ、ビスケットに似た焼き菓子と水が入っている革袋、お酒が入っている小さな樽と塩と砂糖、何かの葉っぱを乾燥させたハーブ……匂いが烏龍茶に少し似ているから多分茶葉だと思われる……が入った革袋といった、人間の食料が詰め込まれた袋が入っていて、全ての袋を一旦出したボックスの底にはバケツとスコップ、斧、縄、細い紐等が収められていた。
これだけ馬車に色々揃っているなら、どこに行くのも当面は困らないと思うけれど……。公爵令嬢って、自炊とか出来るのかな?目が覚めたら、直ぐにでも馬車で逃げるだろうなぁ。夜は危ないから、旅立つのは夜が明けてからの方がいいと思いますよと教えてあげられたらいいのだけど、言葉は通じないしなぁ。まぁ、言葉が通じても、この姿では聞く前に逃げ出されるだろうけど。
どれだけ心はか弱き乙女でも、今の私はウニョンウニョンなのだ。言葉が通じない女性にとっては恐怖でしかないだろう。だから私は、これ以上は彼女に関わるべきではない。だけど折角助けたのだから、どうせなら女性には安全に森を抜けて、王子や男達の手の届かないところまで無事に逃げてもらいたい。そう思いながら私は荷物点検を終えた。