※捨てられた公爵令嬢は心優しき天使の騎士になりたい(前編)
ファムは茶髪の女性医師に扮している馬と数人の配下と共に、老婆の住むボロボロの掘っ立て小屋がある草むらに出向き、老婆が中に入っていくのを離れた場所から観察していた。
小屋からは乱暴に何かを探しているような派手な物音や目当ての物が見つからないと苛立った様子のぼやきが続けて聞こえてきたが、小屋から苦しそうなうめき声が上がった後は、何の音も声も聞こえてこなくなった。馬が後ろで控える配下達に命じた。
「司書の彼から転送を終えたとの報告が入ったわ。もう小屋には誰もいないから片付けを始めて」
馬は配下達が小屋の解体に取り掛かる様子を見ながら、ファムに話しかけてきた。
「ねぇ、ファム。やっとこれで全部のお掃除が終わったね」
ファムは取り壊されていく小屋を眺めながら答えた。
「そうね。これで安心して天使様との生活に全力集中できるわね」
「それにしても別世界の神がまだコメットとして転生してきたご主人様を狙っていて、前世と同じ15歳になるのを待ってから、ご主人様の魂を渡せ、承諾しないなら私達ごと、この世界を消滅させると脅してきたときはどうなることかと焦ったけれど、ファムが交渉してくれたおかげでご主人様を手放さずに済んだし、逆にあの女を引き取ってもらうことが出来て本当に助かったよ。ありがとう、ファム」
神になったとはいえ、元はただの馬だった自分では自分達よりも上位の神である別世界の神に良いように言いくるめられてご主人様が奪われていただろうと身震いしながら礼を口にする馬に、ファムは笑みを浮べて言った。
「あなたにそう言ってもらえて何よりだけど、私が何もかもこちらが有利になるよう交渉することが出来たのは全て天使様のおかげなのよ。天使様の命を救うためにあの世界に渡ったおかげで、私達の世界があの世界の乙女ゲームと同じ世界だと知ることが出来たし、天使様の命を狙った暴走車を配下達に調べさせたおかげで、別世界の神の干渉と男爵令嬢の正体に気づけたわけだし」
男爵令嬢は前世の世界でご主人様に陰湿なイジメを行っていた者達の内の一人だが、他の者達とは違い、最後までイジメを行ったことを悔い改めないまま、自らの愚かな行動のせいで死した者だった。そして今世では自分が神と結ばれるための礎とすべく、三人の人間の命が確実に失われるよう画策した悪しき人間だった。
そのせいで創造神の力を奪い、この世界が不毛な輪廻を繰り返すようになったきっかけを作った犯人となったのだが、そもそも彼女が前世の記憶を持ったまま転生したのは、別世界の神が干渉していた車に乗り込んで亡くなったせいだったのだ。
「それはそうだけど。でも、この世界が不毛な輪廻を繰り返すようになった原因を作った犯人が男爵令嬢だと知って激怒した私が彼女を殺めようとしたとき、それを止めたのはファムでしょ?ファムが優しいご主人様に倣って男爵令嬢に慈悲をかけたおかげで、別世界の神との交渉に必勝できる切り札として、あの女を使うことが出来たのだもの」
一部、例外を除き、全ての魂は死した後は、その世界の神の管轄から外れることになっている。そして生前悪い行いをした魂は地獄で罰を受けた後、魂が初期化されて別の世界の自我を持たない植物として転生することになっているのだが、生前、己の欲望のために大勢の同胞を虐殺した魂や地獄に行っても己の罪を悔い改めない魂は、魂の運命を司る神に転生の価値無しと判断され、消滅させられてしまうのだ。
もしも馬が事実を知った直後に男爵令嬢を殺めていたら、彼女の魂は間違いなく直ぐに消滅させられていただろう。そうなっていたらファム達は別世界の神が干渉した生き証人として男爵令嬢を切り札に使うことは出来なかった。よくぞ止めてくれたと感心する馬にファムはため息を付きながら言った。
「フゥ……。あなたは私でもあるのだから、本当はわかっているのでしょう?私とあなたは、例え天使様ご自身が赦されていたとしても天使様を害する者をけして赦しはしない。私が慈悲をかけたのは、男爵令嬢に憑いていた三人の幽霊よ」
"ダークナイト”の世界のヒロインである男爵令嬢に転生した女が、三人の幽霊を視ることが出来なかった本当の理由は、三人の幽霊が彼女自身に取り憑いていたせいだった。
「三人の幽霊は自分達の死を画策した挙げ句、その罪を弟や親友達になすりつけた女に復讐しようと、幽霊になったことを利用して女に取り憑いて祟り殺そうとしていた。天使様のおかげで私は過去の輪廻で犯した罪を今生では犯さずに済んだから、私の罪はなかったことになったけれども、もう同じ時間が繰り返されることがなくなってしまった世界で彼らが人を祟り殺したら、彼らの魂は女と同じように穢れてしまう。だから代替案を提案したの。彼らの魂を穢すことなく、それでいて祟り殺すよりも、もっと効果がある復讐をしないかとね」
女はイケメン達にチヤホヤと持て囃された後、神様が乗り移った王子と結婚して一生贅沢な暮らしをして、死後も神の世界で永遠に幸せに生き続けることを望んでいた。ならば女が望んだ人生とは逆の人生を歩ませることこそが、あの女への復讐になる。神となったことで幽霊となった彼らを視ることが出来るようになったファムの提案を彼らは受け入れた。
「ああ、そうだったね。彼らは女が男爵家から追い出され、朝から晩まで働き通しでも生きるのに最低限必要な分だけの粗食しか口にできず、着の身着のままの襤褸しか纏えず、雨露をかろうじて凌げる隙間だらけの小屋にしか住めず、同じところに三ヶ月以上留まれず、誰とも親しく言葉を交わせず、孤独で何の楽しみもない、まるで独房に入れられた囚人のような生活を送るのを何十年も喜んで見ていたね。途中、彼らを殺したと思い込んでいた三人が亡くなった後は、六人揃って女の惨めな人生を堪能していたっけ。でも十数年前に突然六人とも昇天していったから、あのときはすごく驚いたよ」
「まさか天使様が転生してくるのに合わせて、彼らがもう一度、この世界に転生するなんて思わなかったわ。しかも“ダークナイト”のヒロインと攻略対象者達と似たような境遇に天使様と彼らが生まれ変わってくるなんて……。いくら天使様が別世界で聖女になるはずだった御方とはいえ、どうなることかと心配していたのですが、流石は私の天使様ですわよね。彼らが幽霊になるのを全て阻止してくださったのですもの」
そう言ってファムは星空を見上げ、うっとりと目を細め微笑んだ。ファムと馬が慕う天使様は転生しても心優しいままだった。男爵令嬢によって人生を狂わされた6人は、転生後に心優しい天使様と過ごすことで、ついに今生では誰も死ぬことなく健やかに成長することが出来たのだ。
「当然よ。あの女とは違い、ご主人様はごくごく普通の善良な人達と同程度の道徳心と常識を身に着けておられる優しい御方だし、転生しても自分がされて嫌なことを他人にしないと心に誓っている、自称おぼろ豆腐メンタルの持ち主のままだもの。そのおかげで私達が考えた復讐以上のダメージを最後にあの女に与えられることが出来て本当に良かった」
“ダークナイト”のヒロインである男爵令嬢に転生したのに望まぬ人生を過ごして老いた女にとって、“ダークナイト”の公爵令嬢が若い姿のまま女王となったのを見せつけてくることよりも、彼女が前世の世界で嫉妬してやまなかった少女が若い姿のままで現れて、綺羅びやかで明るく変わった王都で善良そうな生身のイケメン達にチヤホヤと持て囃されているのを見せつけてくることの方が何万倍も悔しくて堪らない出来事だったようだ。
天使様に恩を返すため、天使様の世界に行ったファムと馬が仕入れてきた知識の内の一つに、ざまぁと呼ばれる復讐方法があり、自分を陥れた人間を最大限に悔しがらせてから完膚なきまでに叩き潰すというものがあったが、天使様が前世と同じ容姿で転生したおかげで、彼らは見事なざまぁを自らの手で成し遂げることが出来たのだ。
「本当に天使様は凄い御方ですわ。本当に……」
そう言ってファムは星空を見上げ、星の光を見つめながら天使様に出会った日のことを思い浮かべた。