※捨てられた公爵令嬢のお掃除⑧
この世界にいるはずのない少女の姿に驚いた老婆の目がこれでもかというほど大きく見開かれる。前世で自分が嫌っていた少女は大手術の甲斐なく死んだはず。もしかしたら彼女も"ダークナイト”の世界に転生したのだろうか?それなら何故、少女は前世の姿のままなのだろう?
そう考える老婆のこめかみにズキッと鋭い痛みが走った。老婆は痛みを感じたこめかみに指を添えながら、痛みとともに思い出したことを口にした。
「何で、あの子がここに?あの子は休学中に死んだはず。……違う。あの子は死ななかった。手術は成功したのよ。……いや、そんなはずはないわ。あの子は死んだのよ。だってあの子が死んだ後、娘が生前イジメに遭っていたと知った、あの子の両親の報復で私は学校を退学する羽目になったんだから。……いいえ、違う違う。私は元気になったあの子が退院するのを見た。……なんだか変よ。前世の記憶が曖昧だわ。そうだ、自分の前世をよく思い出してみよう。確か私は社長令嬢で……」
前世の自分の父親は会社の社長だった。それを何よりも自慢にしている両親に世界一可愛い社長令嬢だと溺愛され育てられた自分は、いつでも自分が一番チヤホヤ持て囃されていないと気がすまなかった。だから成長し、学校に行くようになると、自分よりも綺麗な子や何かの才能に秀でている子がいることに嫉妬し、その子達が周囲の人間からチヤホヤと持て囃されるのが気に入らず、陰で嫌がらせをしてイジメるようになった。
相手をイジメて苦しませることは気分が良かったし、たとえ後でイジメがバレても親が金の力で揉み消してくれたから何も困ることはなかった。だけど社長令嬢ならば金持ちの子ばかりが通う学校に入って当然と親に勧められた高校に入学してからは、思うがままに人をイジメることが出来なくなってしまった。
と、いうのも、その学校にいる生徒の親の殆どが、自分の親よりも金持ちだったからだ。相手によっては金どころか権力で親子ともどもに報復されてしまう怖れがあるから誰もイジメるなと両親に念を押され、それよりも金持ちの子ども達に媚びて仲良くなれと厳命された。
しかし世界一可愛い社長令嬢であるはずの自分が誰かに媚びるのも、自分以外の女が持て囃される姿を黙って見ているのも嫌で仕方なかった自分は段々と我慢が出来なくなり、何とかして相手を不幸に出来ないかと思い、呪いに興味を持つようになった。そして、その過程で偶然知ったオカルト系の乙女ゲームが『闇夜の紳士は心優しき清らか乙女の騎士になりたい』……"ダークナイト”だった。
"ダークナイト”にハマった自分は他の乙女ゲームもやるようになり、いつしか現実でも乙女ゲームに出てくるようなイケメン達にチヤホヤされたい、とびきりイケメンで高スペックの恋人が欲しいと思うようになった。そこで学校で人気のあるイケメン達に手当たり次第に告白したのだが、片思いしている後輩の女子生徒がいるからと、皆に自分との交際を断られてしまった。
自分を振った彼らが揃いも揃って片思いしていた相手は二学年下の少女だった。彼女は陽の光を一度も浴びたことがないのではと思うほど肌が青白く、風が吹けば倒れてしまうのではないかと思うほど華奢で、生まれつき体が弱く、不治の病を患っているとかで学校は頻繁に休んでいたし、たまに登校しても保健室にいることが殆どだった。
教室で授業を受けたことがなく、深い関わりになる機会も接点もないためか、特別に親しい友人や恋人はいないようだったが、少女の可愛らしい容姿や儚げな雰囲気に惹きつけられてか、彼女はイケメン達以外の生徒や教師達からも好意的に気遣われ、庇護されているようだった。
イケメン達に好かれ、学校の皆から庇護されている少女が妬ましかった自分は、彼女を呪ったが効果が実感できず、むしゃくしゃとした日々を過ごしていたが、ある日、誰もいないところで数人の生徒や教師が、持病を抱えているがために学校の皆に配慮をされている少女に対し、妬み嫉みをすれ違いざまにぶつけているのを偶然目撃した。
生徒だけではなく教師もイジメているのだから、きっと少女の家は大した力を持っていないのだろう。それなら自分がイジメても問題ないはず。もしバレても自分の親の力でイジメの事実を有耶無耶に出来るだろう。少女との直接の面識はなかったが、高校に入って誰もイジメることが出来ずストレスが溜まっていた自分は、イケメン達に片思いされている少女をイジメることで鬱憤を全て晴らすことにした。
相手はあまり学校に来なかったから大したイジメは出来なかったが、それでも一目で嫌われていると分かる呪いグッズを少女のロッカーに入れたり、少女の持ち物を壊したり盗んだり、偶然の事故を装って水を掛けたり、わざとぶつかったりする行為は思っていた以上に楽しく、自分は少女をイジメることに夢中になった。
そうして安心してイジめ続けていた自分は、少女が休学したと知ったとき、上手く排除できたとほくそ笑んでいたのだが、イジメた相手が最悪の相手だったと知ったのは、少女が休学して暫く経ってからのことだった。
突然、少女をイジメていた者達が次々と学校を辞めだしたのだ。辞めた理由は皆、本人もしくは本人家族の都合によるものだった。しかし自分は辞めた者達が皆、少女をイジメた加害者であることを知っていたから、彼らはイジメたことが学校にバレて辞めさせられたのではないかと思い、次に辞めさせられるのは自分だろうと焦った。
そこでいつものように親に助けてもらおうと思いながら帰宅すると、玄関前には顔を赤黒くさせて怒気を放つ両親が待ち構えていて、学校で誰をイジメたのかと詰問された。予想が当たったことを忌々しく思いながら、自分が少女の名前を告げると、両親は顔面蒼白となって膝から崩れ落ちた。
昔から親の役職を自慢には思っても、親がしている仕事には一向に興味がなく、父親が何をしている会社の社長なのかを知らなかった自分は、そこで初めて自分の父親が大企業の下請けの下請けをしている小さな会社の社長で、そして親会社に当たる大企業の社長が少女の父親であることを知ったのだった。
それまで我が子に関心が全くなく、娘に何があろうと絶対に報復を行わないと、もっぱらの噂だった少女の両親は、娘が大手術で死んだのを機に改心……、いや、娘が大手術を受けたのを機に改心し、まるで別人みたいに子煩悩な親に変わったらしい。その結果、自分の父親の会社は仕事を失い、借金を抱え倒産。借金返済で家も失い、家族で遠方の地に引越すことをなったため、自分は家族の一身上の都合で退学した。
遠方の地に引っ越す日。引っ越しの車に乗り込む前に両親から、向こうに着いたら独り立ちしろと唐突に告げられた。お前のせいで全てを失った。成人したのだから親の義務は果たした。もう顔も見たくないと散々責める両親が鬱陶しくて顔を反らせると、視線の先には病院前で誰かと楽しげに話している少女の姿があった。
相変わらずの色白だが、表情が明るいところを見ると、どうやら大手術は成功したのだろう。自分は不幸になったのに、あの少女は幸せになるのかと思うと激しい憎悪で居ても立っても居られなくなって、何とか少女に一矢報いろうと両親の静止を振り切り、引っ越しの車の運転席に乗り込んだ。
だがゲームでしか運転したことがない無免許の自分が、見様見真似で運転したのがまずかったのだろう。運転を誤ったようで、道路の真ん中でいきなり何かに強く弾かれたように車が跳ね跳び、そのまま解体予定で立ち入り禁止になっていた廃ビルに突っ込んでいった。朦朧とする意識の中、今度生まれ変わるなら、あの少女になりたいと願っていた自分は……気がつくと“ダークナイト”の世界に転生していたのだ。
学園前でイケメン達に囲まれている少女を見て、自分の前世での死因をハッキリと思いだした老婆は、女王と面会した時とは比べものにならないほどの少女への激しい嫉妬で頭の奥が熱くなり、そのまま気を失ってしまった。
「っ!?……ここは、どこ?私、どうして……」
意識を取り戻した老婆がいたのは、自分が住んでいる田舎にある病院だった。
「……意識が戻られましたね。ここは病院ですよ。ご自分が倒れたことは覚えていますか?お婆さんは運が良かったんですよ。貴方は女王様との面会後に貰える交通費の請求書の控えを持っていたおかげで貴方の身元がわかったし、そこをたまたま王都から、ここの病院に薬を届ける荷馬車が通りかかったおかげで、ここまで搬送してもらえたのですからね。ああ、ご心配なく。ここに来るまでの搬送代と応急処置代、一泊分の宿泊費とベッド使用料、その他諸々の経費を合わせた請求金額は、女王様があなたに渡した交通費の全額で相殺出来ましたから」
呆然としている老婆を気にせず、茶髪の女性医師は淡々と説明を続ける。
「女王様が太っ腹にも金貨一枚分も交通費をくださっていたおかげで助かりましたね、お婆さん。……そうそう。今回、お婆さんが倒れた原因は激しい興奮による脳貧血でした。お婆さんには王都は刺激が強すぎたのでしょう。だからいつも通りの田舎暮らしを変わりなく過ごしていれば後20年は余裕で生きていられますよ。では気をつけてお帰りください」
老婆が外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。病院を追い出された老婆は星明かりを頼りに夜道を歩き、自宅に帰ってきたが、ボロボロの掘っ立て小屋の我が家を見つめ、雑草しか生えていない自宅の周辺を見回した後、先程の女性医師の言葉を思い出し、爪が食い込むほど拳を強く握りしめた。
「今まで通り?心穏やかに過ごす?そんなの……そんなの出来るわけないじゃない!あの子はキラキラした王都でイケメン達にチヤホヤされて面白おかしく学園生活を過ごすのに、どうして私だけ電気も水も整備されていない田舎で朝起きてから夜眠るまで家事と仕事に明け暮れて何の楽しみも面白みもない孤独な貧乏暮らしを変わりなく続けないといけないのよ!こんなの不公平よ!」
前世で嫌っていた少女が、この世界にいるだけでも腹立たしいのにと、老婆は地団駄踏んで悔しがる。今生では少女は健康な体で生まれてきたのだろうと一目見てわかるほど血色も良かった。しかも少女の周りにいる男性達は、"ダークナイト"に出てくる攻略対象者とは違い、全員が生きている人間だった。
「こんなのズルいわよ。何であの子だけが良い思いをするのよ……。私だって頑張ったのに。神様と結ばれるために私はいっぱい頑張ったのに……」
自分の時と違い、少女の傍にいた者達は"ダークナイト”の男達よりも容姿が良い上に性格も善良そうで、少女を取り囲んで話している姿は、まるで普通の乙女ゲームのスチルを見ているようだった。きっと少女はこの世界でも、自分の何倍も楽しい学生生活を送り、自分の何十倍も幸せな人生を生きるに違いない。老婆は当時の苦労を思い出し、悔しさに顔を歪めた。
「そうよ!私は頑張ったのよ!子爵子息の弟が池の近くにいた義兄の背中を押した時は、助けるふりして強く押して落としてやったし!私の従兄に対して勘違いしていた公爵子息の誤解が解けそうだったときも、私が嘘で信じ込ませたし!学園教師が私の家庭教師と喧嘩したときだって、わざと凶器になりそうものばかりを部屋に置いて煽ってやったし!ついでにシナリオ通りに王子がギャンブル依存症になるよう、城を抜け出した王子を賭博場に引き込んだゴロツキは私が雇った男だったのよ!なのに恩知らずのあいつらときたら、ちゃんとシナリオ通りに死なせてやったというのに一向に幽霊の姿を見せてこなかったし、王子にも神様は憑依しなかっ……あっ、憑依?そういえば女王は、ここは"ダークナイト”が現実化した世界だと言ってたわよね……。フフフ、いいこと思いついちゃった」
自分の不幸を嘆いていた老婆は女王の言葉を思い出し笑うと機嫌よく我が家に入っていった。老婆が扉を締めた後、ガサゴソと家の中から物音が聞こえ、暫くしてから苦悶するようなうめき声が一度上がった。……それっきり、その家から何らかの音が聞こえてくることはなく、老婆が出てくることも二度となかった。




