※捨てられた公爵令嬢のお掃除⑤
“ダークナイト”に出てくる4体の霊のうち、男爵令嬢よりも3つ年上の子爵令息の義兄の霊だけが子どもの姿であるのは、彼が弟の5歳の誕生日会で亡くなっているからだ。そこまで思い出した老婆の脳裏に、“ダークナイト”で語られる義兄の過去の話が蘇った。
《彼は子爵家の長男だったが、子爵夫妻とは血が繋がっていなかった。長く子に恵まれなかった子爵夫妻が遠縁の子どもを長男として引き取って育てることにしたからだ。子どもは唯一の跡取り息子として大事に育てられたが、子爵家に引き取られて三年後に夫人が男児を産んだ。しかし子爵夫妻は子どもを跡取りに据え置いたまま、変わらず子どもを大切にしていてくれたから、子どもは自分の出自を知らないまま、両親の愛情を沢山受けて心優しい少年に育った。
ある日のこと。少年は両親に少年の婚約者を幼馴染の男爵令嬢にしようと思っていて、弟の誕生日会で婚約の話を子爵夫妻に持ちかけようと思っていると明かされた。両家の父親同士が旧友で、お互いの子どもを結婚させることが夢だったのだと聞かされた少年は少し考え、少女が了承してくれるのなら婚約してもよいと答えた。
と、いうのも子爵夫妻は少女と同じ年の弟を、少女の婚約者にしたいと思っていることを彼らが家に訪れるたびに何となく感じ取っていたし、少女の方も少年に一応は挨拶をしてくれるが、いつも目はずっと見目の良い弟の姿ばかりを追いかけていたからだ。弟と同じ歳の少女を妹のようだと感じていた少年は、男爵一家は少年との婚約を断るだろうと思っていた。
弟の誕生日会当日。少女は男爵夫妻の傍で大人しくしていたが、暫くすると退屈になったのか、会場内をちょこまかと彷徨きだした。同じように少年の弟も退屈を持て余したのか、少女と同じように彷徨き始め、やがて二人は何事かを言い合いし始めて、口喧嘩を始めてしまった。
大人達は何度か、二人を取りなしていたが途中で煩わしくなったのか、少年に二人を子守するよう言いつけた。大人達に命じられ二人の子守をすることになった少年は、飽きることなく言い争う二人をどっちもどっちだなと呆れて見ていたのだが、弟が少女の髪を引っ張って泣かし始めたので流石に客人に手を出すのは駄目だろうと思い、少年が弟の手を少女から引き剥がしたところ、弟は自分だけが怒られたと拗ね、どこかに走り去ってしまった。
少年は弟を探しに行くため、少女を親達に預けに向かったところ、両家の親が話し合っている内容を偶然、耳にし、そこで初めて自分が子爵夫妻の本当の息子ではないことを知ってしまった。呆然としている少年に、退屈を持て余したらしい少女が隠れんぼをしようと言い出し、庭の奥に走っていってしまったため、客人を一人には出来ないと仕方なく少年は少女を追いかけ、奥を目指し歩いていると、いきなり後ろから誰かに庭の奥にある池に突き落とされた。
「……!」
弟の声がしたようだが、派手な水音がしたため、本当に弟なのかどうかはわからない。泳げない少年は必死に手足を動かして藻掻いたが、一向に岸にたどり着くことが出来なかった。
「ゴボッ!誰かっ!助けグポッ!」
焦って何とか水面に顔を出して助けを呼ぶが、口に水が入って上手く喋れない。少年は辺りを見渡した先に少女の姿を見つけ、手を伸ばした。
「ゴポゴポッ……!ガポッ!」
少年は必死に藻掻き続けるが、少女は当然のことに驚いているのか体を強張らせ、ピクリとも動かない。少年は少女に助けを呼んでと頼んだ後、一度水面に沈み、渾身の力を振り絞り、もう一度水面の外に顔を出した。そこで少年が見たのは、泣きながら大きな声で助けを呼ぶ少女の姿だった。
【僕を助けようと必死になってくれている。ありがとう。助からなくとも君のせいじゃないからね……】
力尽き、池の底に沈んでいく少年は自分が助からないことを悟り、少女に向けて最期にそう言ったが、少年の言葉は泡沫となったため、助けを呼びに行った少女に届くことはなかった……》
転生して長い年月を過ごしてきた老婆は、ものすごく久しぶりに前世のゲームのスチルを思い出し、懐かしさに触手を突っ込まれたままの状態で顔を綻ばせた。それを見た女王は兵士に触手を引っこ抜かせると、自身は扇を広げ、汚いものを見るように目を眇めてみせた。
「よくもまぁ、あれを思い出して笑えるものね。元々持って生まれた感覚が違うのかしら?」
あからさまに老婆を馬鹿にしたような物言いに逆上した老婆は言った。
「何がおかしいのよ!?“ダークナイト”は絵も声優も神ってて素敵だったでしょーが!」
「私にはゲームの良し悪しはわからないわ。私にわかるのは、そのゲームが現実化したこの世界とあなたが最低最悪だということだけ」
「っな!?」
自分の好きだったゲームを侮辱されたことに腹を立てた老婆は反論しようとしたが、体はまだ兵士に拘束されていたので、思うように動けなかった。そんな老婆に女王は尋ねた。
「ねぇ。あなたが本当に『闇夜の紳士は心優しき清らか乙女の騎士になりたい』のヒロインなのでしたら教えてくださらない?……心優しき清らかな人間が、目の前にいる子どもが死ぬ運命だとわかっていた場合、それを傍観するかしら?」
男爵令嬢がこの世界は“ダークナイト”の世界だと気がついたとき、子爵令息の義兄はまだ生きていた。前世の記憶が蘇り、どのルートも完璧に覚えていた彼女は、その日に少年が死んでしまうことを知っていたし、自分が拗ねて義兄を池に落として死なせてしまったことがきっかけで、子爵令息が病んで最悪な人間となることも知っていたのだ。
「それは……」
答えられない老婆に女王は更に言った。
「心優しき清らかな人が、子どもが溺れて死んでしまうのを知っていて、兄思いの弟が悲しみのあまりに道を踏み外すようになるのを知っていて、自分に勉強を教えてくれる家庭教師が親友との誤解で死んでしまうと知っていて、親友に裏切られたと思い込んでいる学園教師が不正に手を出すようになるのを知っていて、従兄弟が公爵令息の妹の誘拐事件に巻き込まれて死んでしまうと知っていて、誘拐事件の首謀者と間違えて従兄弟を殺めたことで心を病んだ公爵令息が血を求めるようになると知っていて、それら全てを知らないふりでやり過ごすとあなたは思うの?」
「……」
「もしもここが単なるゲームであるならば、それら全てはヒロインが恋に落ちる4体の霊と4人の人間を揃えるために必要な設定となるから、何をどうやることも出来ないのでしょうが、残念ながら、ここはゲームが現実化した世界なの。全てのキャラの過去を知っていて、この後に何が起こるかを知っているあなたが、本当に心優しき清らかな人だったら、少なくとも4体の霊の内、3体は霊になることもなかっただろうし、3人の人間も害悪と呼ばれる人間になることもなかったのよ」
女王に立て続けに責められた老婆は、悔しそうに口元を尖らせ、ポツリと言い返した。
「だって……。そんなことしたら隠しルートの神様を出せないじゃん」
王子と結ばれる隠しルートに進むためには、霊が取り憑いている生身の4人の人間性が皆、クズさMAXにならないといけないのだから仕方がない。そう主張する老婆に女王は威嚇するように音を鳴らせて扇を閉じた。
「そう。あなたは自分さえ良ければいいと3人の人間を見殺しにして、4人の人間が非行に走るのを止めなかった。……ねぇ、知っていらして?本物の神もゲームに出てくる神と同じように心優しく清らかな魂を好むのですけれども、その中でも自分の利には無頓着だけど他者を助けるためなら打算なく自身の身命を賭けてしまうような、お人好しで気概がある清らかな魂を特に好み、その魂に愛情を込めて触れられると、神は自分の力を何倍にも引き出せますの」
「?」
「逆に汚れた魂を持つ者に触れられると穢れで神の力が半減されてしまうのです。……ですからね、この世界の創造神は、あなたのせいで魔物に負けて喰われてしまったのですわ」
女王はそう言った後、自分の背から黒い触手を出し、老婆の体に突き刺した。