※捨てられた公爵令嬢のお掃除③
私兵達が顔を青ざめさせて駆け込んできたのには理由があった。それは貴族院と裁判所の追求を逃れた公爵が私兵達を口封じしようとしたからだ。
今まで下々の者を労ったことなど一度もなかった公爵から振る舞い酒だと渡された酒に私兵達は危機感を感じたらしい。皆は目配せしあい、袖口に酒を染み込ませ、飲んだふりをして、わざと酔いつぶれたように見せかけ倒れたところ、公爵は何も取り乱すこともなく、下男達に毒を飲んだ死体だから畑の傍には埋めないようにと言い置いて屋敷に戻っていったというのだ。
私兵達は下男達が死体を運ぶ荷台やらスコップやらを取りに行っている間に抜け出して、とりあえずの窮地は脱することが出来たが、このままでは命が危ないと貴族院と裁判所に保護を求める代わりに、真実を話すことにしたとのことだった。
私兵達の自供によれば、王子との挙式前に攫われた娘を追って魔物が棲む森に行くと公爵が命じられた時、彼らは当然、公爵の息女を救出しに行くのだと思っていた。しかし、それがそうではないと知ったのは、森の入口に公爵令嬢がいるのを見つけたときだったという。証言台に立った私兵達は憎々しげに睨みつけてくる公爵に臆することなく口々に証言を続けた。
「……その時、公爵令嬢がたった一人で馬車を引く馬の傍に立っているのが見えたので、私達は周りを警戒しつつもご令嬢が無事に生きているのがわかって安堵していたのですが突然、公爵が自分の娘めがけて弓を構え、矢を放ったのです。あの時は私達のいる位置からは魔物は見えませんでしたから、公爵が魔物を認識していたはずがありません」
「多分なのですが、あの魔物には知性があったように思います。何故なら魔物は公爵が放った矢からご令嬢を庇ったり、気を失わせたご令嬢を馬車に乗せ、馬を走らせた後に私どもに見せつけるように金貨と宝石を飲み込み、尚且、馬車とは正反対の方向である、森の奥へと逃げたりしていたからです。公爵の関心が娘ではなく宝石だと気がついていないと、あのような作戦は立てられないでしょう」
「それだけではありません。魔物は遠くから飛んできた矢を察知する能力や人を気絶させる能力がありながら、それを用いて私達を襲うことがなかったのです。私達が剣や矢でつついているときも抵抗せずに静かにしていましたし、沢山の矢を放ってもただ逃げるだけで、向こうから攻撃することは一切ありませんでした。……あまりにも無抵抗なので、途中から罪悪感を感じずにはいられなくなりました」
「魔物のことをご令嬢は天使様と呼んでおられて、とても慕っておいでのようでした。それに臆病で繊細なはずの馬までもが、魔物にはよく懐いているようでした。魔物は自分が暴力を振るわれることには無抵抗でしたが、公爵がご令嬢を叩こうとしたときは素早い動きで公爵の手を振り払っておりました。きっと、あの魔物は公爵からご令嬢を守ったように、誘拐犯達からもご令嬢を守り助けたのではないでしょうか」
「私達は魔物が棲む森の近くまで馬を進めていた時に丸裸で死んでいる三人の男達の死体を先に発見していました。三人の内の一人の顔に見覚えがありましたので誘拐犯達だと断定しました。彼らが何故丸裸だったのかは不明ですが、死体の側には血のついた石や枝などが散乱し、それぞれの体には引っかき傷や打撲痕や絞殺痕が至るところにあり、手指も血で濡れておりましたが、獣や魔物が襲いかかったような形跡は全く見当たらず、三人の死因は十中八九、同士討ちによるものだと思われるものでした」
「公爵は私達が魔物を倒したと言っていましたが、あれも嘘です。本当は魔物は自分から焚き火に身を投げたのです。……そうです。魔物はわざわざ川の傍にあった焚き火のところまで私達を誘導し、追手が皆揃ったのを確認してから火の中に飛び込んでいったのです。それまで何十本もの矢が刺さっても倒れなかった魔物が火に入るなり、みるみる焼け溶けていって……」
「それを見た公爵が、魔物が飲み込んだ宝石が失われるのは困るから、魔物を火から救い出せと近くにいた私達の内の一人を焚き火の中に蹴飛ばしたのです。すると火で焼け溶けはじめていた魔物がまだ焼けていない触手を伸ばし、その者の体を火から押し出そうとしてくれたのです。魔物は自分の体が、どんどん溶けていっても構うこともなく、そして火の中に蹴飛ばされた者が手にしていた剣が伸ばした触手の一本に当たって、その触手がどこかに飛んでいってしまっても、その者を助けるために残りの触手を伸ばすことを躊躇わず、そのおかげで仲間は助かったのです」
「見た目は恐ろしくても、あれは心優しき生き物だったように思います。最後の最後まで公爵令嬢や我々の仲間を助けようと一所懸命に頑張ってくれた健気な生き物でした。それに比べ、私欲のために実の娘に矢を放ち、宝石と金貨を探すためにご令嬢と兵の命を救った魔物の亡骸に何度も剣を刺し貫き、保身のために今まで尽くしてきた私達を葬り去ろうと考える公爵の方が魔物よりも余程恐ろしい生き物です。……私達の罪は公爵の命じるままに口裏を合わせたことですが、最大の過ちは仕える相手を間違えたことでしょう」
公爵令嬢殺害もしくは殺害未遂の罪で逮捕された公爵は王子の証言を否定したときと同じように、私兵達の証言も真っ向から否定した。下々の者の戯言だと一蹴し、王子との密約を交わしたときと同じで確たる物的証拠がないから自分は無罪であると主張した。
私兵達は振る舞い酒が証拠で、死体処理を命じられた下男達が証人だと主張したが、公爵は酒は下男達が用意したものだから自分は関係ないと言い、そして下男達は食あたりで皆、亡くなったから証人にはなれないだろうと笑いながら反論し、公爵は名誉毀損と偽証罪で逆に私兵達を訴えると言いだした。
……しかし公爵が笑っていられるのも、ここまでだった。何故なら公爵の娘であり、王子の婚約者だった公爵令嬢が、鉄の鎧兜で武装した何万人もの騎士達に守られて、立派な12頭立ての馬車に乗って帰ってきたからだ。生き証人である公爵令嬢が帰国したことにより、公爵の罪は白日の下に晒されることとなった。
後の調べによれば、公爵が自分の娘を殺害しようとしたのは、娘が王妃となれば、自分が宰相になって変えようと思っている法律を変えることを許してくれないと思ったかららしい。と、いうのも現状、公爵は公爵と一応は名乗ってはいるが、自身は入婿であるため、公爵家の財産を全て思う通りには使うことが出来ないし、公爵夫人が亡くなる前から囲っている妾と妾との間に生まれた息子では、例え娘が王子妃となったとしても公爵位を継がせることが出来ないからだ。
今のままの法律では、公爵家を継ぐのは正妻の子どもである娘か、娘が産む子どものみで、もしも娘が先に死んだり、子どもを産まなかった場合は、公爵位と領地は国に返還されることとなっているため、どうやっても公爵家の財産は公爵や妾の子には渡らないようになっていた。それが我慢ならず、どうにかして宰相になろうと思っていた所、王子の企みを知り、それに便乗して娘を葬ってから宰相になればいいと思ったということだった。
帰ってきた公爵令嬢の話によれば、王子の手先である馬番の男達や公爵の魔の手から彼女を助けたのは、城の書庫にあった古文書に書かれていた神の使徒だったという。神の使徒は公爵令嬢が後から森にやってきた彼女の実の父親にも命を狙われているのを知ると、命がけで彼女を隣国へと逃してくれたらしい。
「古文書には”国、腐る時。全てを喰らい尽くして無に返す神の使徒が裁定者となりて降臨す。裁定者は贄を得て大いなる破壊の申し子へと変貌し、国を終わらせる”……とありましたが、実際に降臨された天使様は心優しい御方で、自分の命と引き換えに私達を助けてくださったのです。私は私達の命を救い、無償の慈しみをくださった天使様に御恩を返すために国に戻ることにしたのです」
王子と公爵の罪を告発し、天使に助けられた恩に報いようと決意した公爵令嬢は引き返す途中で偶然にも騎士達を率いて、この国に来ようとしていた隣国の王女に出会い、そこで事情を説明し、保護を求めたということだった。
「実はそちらの国の王子が、非正規な方法で我が国に売りつけた武器類を購入した辺境伯が反乱を企てましてね。反乱は無事に制圧が済んだのですが当然ながら、少なくない被害が出たんですよ。我が国にこのような被害が出た一因は、非正規な方法を用いて武器を売った、そちらの王子にもあるように思いましてね、責任を追求しに来たのですよ。それに、もしかしたらそちらの王子が我が国を陥れる目的で武器類を売ったのなら、これは然るべき報復を……いや、対応をしなければならないな……とも思ったものですから。しかしギャンブルの金欲しさに国庫に手を出し、城の武器さえも売り払っていたとは思いませんでしたよ。ハハハ……」
声音では笑っていても、目は笑っていない王女の言葉に、貴族院の重鎮は冷や汗が止まらなかった。何せ、王女はまだ年若い女性なのだが、彼女が率いている何万人という騎士達が身につけている立派な装備といい、大人数にも関わらず一糸乱れぬ騎士達の統率力や、けして揺らぐことのない忠誠心といい、何をとっても自分達の国は、隣国には敵わないのが一目瞭然だったからだ。
「……と、まぁ、それでそちらの国に事情を伺おうと向かっている途中でご令嬢と出会ったのです。話してみれば、中々に見どころのある人物で非常に好感を持ったものですから、微力ながら彼女のお手伝いも出来ればなどと考えておりましたが、その必要が無くなったと知り、本当に安堵しました。いや〜、こう言っては何ですが、そちらの王子が逮捕されて王位継承権を剥奪されていて本当に良かったです。我が身のことしか考えない愚か者が王となる国なんて危険でしか無いから、今のうちに征服しておいたほうが良いと思っておりましたから。でも彼女が今直ぐにでも女王になるのなら、そのような心配はしなくともよいですね」
圧倒的な力の差を見せつけながら話す王女の言葉に、誰も彼もが返す言葉を持たない。何せ、こちらの国は王子が闇ギャンブルにハマったせいで、国庫も王城の武器もない。おまけに王子を脱獄させようと王が企んだせいで、国民の王家を敬愛する気持ちも無いに等しくなっている。もしも隣国と戦になったとしても、こんな状態では誰も国のために戦おうとはしないだろうし、交渉が拗れて戦いになったら瞬殺で敗戦となり、国自体が無くなってしまうのは火を見るより明らかだった。
その後、公爵令嬢は隣国の王女に立会人になってもらい、王位を継いで女王になった。女王は前王と王子が持っていた王家の私財一式と王家直轄領を売却することで王子が使い込んだ国庫を補填し、隣国への賠償金を支払った。そして自分の殺害を目論んだ実父と王子に僻地での強制労働の罰を与え、公爵の妾と妾の子を公爵家から追い出した後は、国の再建の為に公爵領を新たな王家直轄領とした。
女王は命の恩人である天使様に報いようと腐った国を再建し、良い国造りを行うと誓い、そのためにもと全ての国民達との面談を求めた。女王に反感を持っている者でも、今までの王達とは違う真摯な女王の姿に心打たれたのか、女王との面談後は誰もが皆、すっかり女王の信奉者となって、心からの忠誠を誓って尽くすようになっていき……そうして70年と少し経った後、その国は、ある異世界の少女が自分の手術を担当した二人の医師に、来世はこんな世界に転生出来たら素敵だろうなと雑談時に語った通りの国になっていた。