※捨てられた公爵令嬢のお掃除②
国庫が使いこまれていた事件は国中を揺るがす大事件であった。王子が使い込んでいた国庫の大部分は国に住む皆の暮らしを守るための公金であったし、その公金は国民の税金で出来ているものだったのだから、王子は貴族平民を問わず、国民皆を敵に回したも同然だった。
それ故、王子といえど、国庫を使い込んだという大罪はけして見逃せるものではなく、処刑される当日の朝に王子が逃げたとなれば、国中の人間が血眼になって王子を捜して大騒ぎになるに違いなかったが、幸いなことに不可思議な現象が起きたことで、王子が牢にいないとわかって半刻も待たずに王子を捕まえることが出来たので、そうなることはなかった。
……そう、それは本当に不可思議としか言いようがないほど、不思議な現象だった。と、いうのも、牢の中に王子がいないと発覚した時、牢を警護していた騎士達が残されている王子の衣服の上に金貨が一枚載せられていたのを見て、衣服はともかく、王子が金貨を一枚だけ残した意図は何だと騎士の一人が首を傾げながら、金貨を手にした瞬間、何もない空間から黒くて長い何かが突如現れたからだ。
突然のことに驚き固まる騎士達を他所に、黒くて長い何かはウニョンウニョンと揺れながら牢の外に金貨を等間隔で並べはじめた。騎士達は最初それに怯えて警戒していたが、それがいつまで経っても人を襲うことなく、ひたすらに金貨を並べ続けているだけなので段々と恐怖が薄れていき、やがてそれの行動に興味が引かれていった。そして皆で金貨を並べるそれを追っていったところ、黒くて長い何かは王の部屋の前まで金貨を並べ続けた後、スッと姿を消してしまった。
そこが王の部屋だと知った皆は思わずお互いの顔を見合わせた。何故なら王は王子の裁判の判決が決まったときに、他に王家の血縁者がいないことを理由に王子の罪を不問にするようにと貴族院や裁判所に意見した唯一の人物だったからだ。
もしやと騎士達は思い、王の部屋を検めようとノックをしたが、部屋から返事は聞こえなかった。非常事態だということで、皆で扉をこじ開け王の部屋に突入した所、皆の推測通り、王子は部屋にいたが、何故か王子は丸裸で拘束された状態で床の上で眠っていた。何とも異様なことに王子の側には王子と同じように丸裸で拘束されて床で寝ている男達が数名いて、その内の一人は部屋の持ち主である王本人であった。
騎士達は異様な有様に驚きながら、とりあえず先に王子の身柄を確保していると、王の部屋の寝室の方から物音が聞こえてきたので、何人かが向かって寝室を開けると、そこには王子によく似ている青年がベッドで眠っていた。部屋にいた男達とは違い、服をきちんと着ている青年は寝室の扉が開けられる音で起きたようで、始めはぼんやりとしていたが、続き部屋で王子が逮捕されているのを見つけるなり、ベッドから飛び降りて床に膝をつくと、天を仰いで感謝の言葉を叫び始めた。
その後、涙を流しながら神への祈りを捧げ始めた青年とは対象的に、拘束されていた丸裸の男達は起きるなり、ガタガタと震え始め、そのままの状態で神に謝罪し始めた。
「一体、何があったのですか?」
王子を探しに来た者の一人が青年に問いかけた。
「神様です!きっと神様が僕を助けてくれたのです!」
青年の言葉に、王子を追って入ってきた者達は皆、目を丸くした。
王子を再逮捕し、王子の部屋にいた者全てに事情を尋ねたところ、丸裸で拘束されていた男達は王の近衛兵達で、王子に似ている青年は城の図書館に勤務する司書であることがわかった。
近衛兵達の話によると、王に処刑が行われる前日の夜に王子によく似ている青年を王子と入れ替えて牢屋の中で青年の息の根を止め、王子を秘密裏に連れてくるようにと命じられたとのことだった。そこで近衛兵達は夜の間に青年を誘拐し、牢屋の見張りを薬で眠らせ、牢屋に忍び込むことに成功した。
そして王子の服を脱がし、青年の服と入れ替えようと青年の服を脱がそうとした際に、どこからともなく黒くて長い何かが、何もない空間から突如現れて、部屋の中にいた者を皆、グルグル巻きに拘束したと思った次の瞬間、牢にいたはずの者達は、どういうわけだか王の部屋の中に移動していた。
近衛兵達が王子を連れてくるのを待っていた王は、部屋の中に突如現れた者達に心底驚いたが、驚きの声をあげる間もなく、王も黒くて長い何かに拘束されてしまった。そしてそれは青年をベッドに横たわらせると、まるで森の中にいるような爽やかな香りがする霧状の何かを部屋全体に噴射し始め、その香りを嗅いだ途端、皆は睡魔に襲われて、そのまま眠ってしまったとのことだった。
王を取り調べたところ、王は王子の裁判の判決に納得出来なくて、入れ替え計画を実行することにしたとのことだった。しかし、それは息子を愛するが故という思いからではなく、王位を継ぐのは王家の血を引く者でなければならないという選民意識によるものであった。
王と王妃の間に子は王子しかいない。王には側妃や寵妃もいるが他に子が一人もいないところを見ると、これから王がどれだけ子作りに励んでも、新たに子どもが出来るとは到底考えられないし、医師からも望みは薄いだろうとキッパリと告げられていた。
なので王は王子の身代わりを用意し、王子を助け出した後は、辺境のどこかで王子を幽閉し、そこで王子が恋に落ちた男爵令嬢と子作りさせ、子を二、三人ほど作らせたら、王子と男爵令嬢を処分して、孫を自分の隠し子だったと公表して跡を継がせようと思っていたとのことだった。
「私の兄弟は皆早くに亡くなっているし、今現在、王位継承権がある王族の血縁者は王子と、私の父の姉……伯母上が嫁いだ公爵家の一人娘……つまり王子の婚約者の公爵令嬢ただ一人だけだ。だから彼女がいれば女王になってもらえるのだが、彼女は王子のせいで未だ行方不明。だから王族の血を残すためには、こうするしかないと思っていた。……しかし、それは間違いだった。王族は特別なのだと思い上がっていた私や息子を神はお怒りだったのだ。国や民は王族に尽くすために存在しているではなく、国や民に尽くすために王族は存在しているということをすっかり忘れてしまっていた。今後は如何様な処罰が下されようと真摯に受け止めると神に誓おう。今まで申し訳なかった」
王子に負けず劣らず傲慢で選民意識が強かったはずの王は、それまでの自分の行いを心から反省しているようで、後悔を滲ませながら殊勝な態度で謝罪を口にした。今までとは打って変わった王の姿に、取り調べを行った騎士達はあちらこちらで、王様はまるで人が変わってしまったようだったと驚きを口にし、黒くて長い何かを見たことはないかと話のついでに尋ねるようになったのだった。
王が王子を脱獄させようとしていた一件が国中に広まり、王子を捕まえるのに一役買い、身代わりにされようとしていた青年を助けた黒くて長い何かについて、そこかしこで人々が噂し合うようになって数日後、行方不明の公爵令嬢の父親である公爵が公爵令嬢殺害未遂の罪で騎士達に逮捕された。
実は公爵は王子の罪が露見した次の日に、私兵を引き連れ森から戻ってきたので、貴族院と裁判所は戻ってきたばかりの公爵に公爵令嬢の所在と、王子と交わした密約について尋ねたが、公爵はそんな密約は交わしていないと王子や男爵令嬢の供述を頭から否定した。
「私はたった一人の愛娘を攫われた父親なのですよ!自分の怠惰を棚に上げ、優秀な私の娘を妬み、婚約者がいながら平然と恋人を作る王子などと密約など交わすわけがないじゃありませんか!現に私は娘を助けるために魔物が棲むと言われる森に行き、恐ろしい魔物と戦って帰ってきたところなのですから……」
そう言って公爵は懐から手布を取り出すと目元を抑えながら涙声で言った。
「結婚式が始まる前に娘が誘拐されたというのに王子は城の兵士を出そうとしなかったものですから、私が娘を救出しようと思いましてね。一旦公爵家に戻り、戦う用意を整え、公爵家の私兵を引き連れ森に向かったのです。すると信じられないことに本当に魔物がいたのですよ。……ええ、それはそれはおぞましく恐ろしい魔物でした。黒くて数え切れないほどの触手で出来た化け物で、誘拐犯達は既に殺されておりました。それに何とも恐ろしいことに、その魔物は人の命を奪うだけではなく、金や宝石を食する習性があるようで、王子が盗まれたと騒いでいた金貨や娘が着ていた婚礼衣装の宝石だけでなく、馬車の装飾の金箔まで食べていたのです」
そこで言葉を切った公爵は煤だらけになっている金貨一枚と宝石一個を上着のポケットから取り出し、そこにいる者達に見えるように手のひらを開いてみせた。
「私どもが森に着いた時、娘は魔物に襲われておりました。何とか助けようと私どもは頑張ったのですが、娘は魔物が放出した毒に殺られてしまいましてね……。助けることが叶いませんでした。私達は悲しみを噛み締めながら戦い、何とか魔物を倒し、娘の仇を討つことが出来ました。本来なら倒した証拠に魔物の死骸を持ち帰りたかったのですが、あいにく火で焼き殺してしまったものですから、魔物が消化しきれなかったこれらしか持ち帰ることが出来ませんでした」
泣きながら話す公爵の話は胡散臭いながらも一貫性があり、筋も通っていた。第一、王子との密約が本当だったとしても、口約束だけで書面にしてもいないのでは公爵を罪に問うことは出来ない。念の為にと私兵達にも話を聞いたが、私兵達は密約については何も知らない。ウニョンウニョンと蠢く魔物がいたのは本当だと声を揃えた。
事前の口裏合わせを感じる部分もあることにはあったが、それが虚言だという確たる証拠は何もなかったため、公爵はそのまま解放されていたのだが、突然現れた黒くて長い何かが王子の身代わりに殺されそうになった青年を助けたという話が広まると、顔を青ざめさせた公爵家の私兵数人が騎士達のところに駆け込んできて自供をしたことで、公爵は娘を殺害しようとしたことがばれ、捕まったのだった。




