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悪党と天然と小悪党




 アラン・ノートンは薄い茶色の髪に紫水晶に似た切れ長の瞳を持つ、街中を歩けば十人中八人は見惚れそうな美貌を持つ――国内でも屈指の悪党であった。




 アラン・ノートンの名は本名では無い。元はファリス・ランドールという名で、とある領地の財務官を勤める一家の次男坊であった。

 財務官の父を持ち、朗らかな母と病弱だが頭が良く心根の優しい兄の四人家族。兄に勉強をみてもらいながら、いつか父の仕事を継いで家族の役に立てたらいいと、そんな望みを抱く少年時代を過ごしていた。

 それがある日一変する。ひたすら真面目に仕事をしていたはずの父に突然収賄の容疑が掛けられた。ろくな調べもされぬまま父は投獄されそのまま獄死。母は領主の元へ訴えに行く途中、馬車が河へ転落してそのまま行方不明に。残された兄とアランは慌てて駆けつけてくれた伯父に保護されたが、やがて兄も病を拗らせて帰らぬ人となった。

 あっという間に一人になってしまった彼はこの時まだ十歳。ポロリ、と頭の片隅で何かが零れる音が聞こえる様になったのはこの時からだった。


 次にその不思議な音が聞こえたのはそれから八年経った頃。伯父夫婦のおかげで勉学の道を諦める事もなく、兄の分もと必死に学んだおかげで父と同じ財務官として王城に勤める事ができるようになった。

 しかしそこで彼は自分の一家に降り懸かった災いの本当の理由を知る事となる。

 酔っ払った上司と同僚が話しているのを聞いてしまったのだ。とある領地で起きた収賄事件が、そこの領主と多数の貴族がそもそもの犯人であると。つまりは、父は濡れ衣を着せられて犠牲になっただけなのだと。

 幸いと言うかむしろ不幸と言うべきか。彼の頭脳も行動力も人並みに優れていたせいで、それらの証拠は調べれば面白いほどに見つかった。いや、これは逆に「きちんと調べさえすれば父の無実は証明された」という事かと、彼はここで初めて怒りでどうにかなるかと思った。あの時は子どもであったからこそ、怒りよりも悲しみが強かったが今は違う。事実を知り、そしてあの時よりも知恵も行動力もある。今こそ父の、そして母と兄の仇を討つべしという天の導きによるものに違いない。

 そして彼は行動に移した。時に知恵を、時にその行動力を、そして運良く恵まれた己の容姿を武器にして、ひたすら敵を誑かし、追い込み――次々と破滅へ追いやった。


 そうして見事復讐を果たした彼は、国内でも最大規模の詐欺事件の犯人として投獄され、つい最近出所となり、今はその行方がどこにあるのか各新聞社がやっきになって探している最中だ。


 そんな話題の人物はどこでどうしているのかと言えば。

 王都で人気の高いエバンス商会の一人娘であるクレア・エバンスの住む小さな屋敷のダンスホールで笑い死にしそうになっていた。




「だから何度言ったらわかるのよこのおばか!!」


 今日も今日とてケリーの怒声が木霊する。すっかり慣れているのかクレアはその怒声を気にしていない、もとい、気にする余裕がないのだろう、自分の足元を見つめては頭上にいくつもの疑問符を浮かべている。


「ごめんなさいアランさん」

「大丈夫、お嬢さんに踏まれたくらいじゃどうってことないから」

「でもこれで何度目になるかわかりません」

「お嬢さんは羽根の様に軽いから平気だって」

「わ、すごい、今のまるで女の人を騙す詐欺師みたいですね!」

「特に女を狙って騙したことはないかなー」


 えっぐ、とケリーがドン引きしているのに気付かないクレアと、気付いてはいるが気にしてはいないアレンは互いにニコニコと笑い合っている。


「アランさんはすごく格好いいし、優しいし、こうしてダンスも上手で付き合ってくれるから女性にもてるんじゃないですか?」

「まあ不自由はしたことはないけど」

「わたし知ってます、そういう人のことを女たらしって言うんですよね!?」

「お嬢さんもしかして俺のこと嫌ってる?」

「え? アランさんのことは好きですよ!」

「はは、そいつは光栄。俺もお嬢さんのそういうところは好きだよ」

「無駄口叩く暇があったらさっさと練習続けてもらっていいからしら!!」

「ちなみにあそこで血管切れそうになってるメイドについてはどうなんだいお嬢さん」

「ケリーさんですか? ケリーさんも大好きです!!」

「地味に差が付いてんなー」

「なんですか?」

「なんでもないよ」

「だからアタシの話を聞きなさいって言ってんでしょアンタらぁっ!!」


 キレ散らかしているケリーを放置したまま、アランとクレアはダンスの練習に戻る。

 エバンス商会の一人娘であるクレアは、出入りしている貴族主催のパーティーに時折呼ばれる事がある。そこでダンスに誘われたりもするのだが、それはまあ散々たる結果だ。ステップを間違い、ターンを間違い、当然相手の足を踏み抜いたりもする。どうにかしなければと思いはするが、流石のケリーも男役を担えるほどダンスが上手いわけではない。クレア当人にいたってははなから諦めている。己の運動神経を熟知しているからだ。

 そんな中、まさかの展開でアランがダンスを踊る事ができるという。


「アンタ本当に腹立つわね」

「せっかくお嬢さんを人並み程度に踊れる様にっていう俺の善意に酷い言い草だな」


 そんなやり取りをしつつ、屋敷の一角で始めたダンスの練習も到底見られた物では無い。またしてもクレアはターンのタイミングを間違え、そしてアランの足を踵で踏みつける。


「アランさんごめんなさい……やっぱりわたしにはダンスは無理なんです……」

「ダンスごときでそんな死にそうな顔をしなくてもいいだろう」

「所詮わたしなんて運動神経を持たずに生まれた存在……」

「そもそも知恵を持ってるかも分からないけどね!」

「ケリーさんひどい!」

「アンタのポンコツっぷりよりマシよ!!」


 とてもじゃないが主従の会話ではない。ポンポンと飛び交うくだらなさすぎる会話の応酬であるが、それがアランには愉快でならない。この二人のやり取りには裏がないのだ。お互い真っ直ぐに気持ちをぶつけ合って、そしてそれをアランにも同じ様に向けてくる。それが何よりも嬉しい。


「でもだいぶタイミングは掴めてきてるんじゃないか?」

「そうですか?」

「ああ、最初の頃より足を踏まれなくなった」


 そう口にした途端ムギュ、と踏まれるのはまあお約束の展開だ。あああああ、とか細い悲鳴をあげるクレアに「もう一回」とアランは優しく声をかける。正直ここまで酷いとは思っていなかったけれども、自ら名乗り出たのもあるのでなんとか人並みに踊れるまでにはしてやりたい。いやもう最悪踊る相手の足を踏まない様に、そのくらいまでには。


「ほらお嬢さん、諦めるな」


 すっかりしょぼくれたクレアの手を軽く引く。


「アランさんスパルタ……」

「雇われの身だからな」

「だったらもう少し優しくしてくれてもいいと思います」

「雇われているからこそ、自分の主人が侮られない様に心血を注ぐのが筋ってもんだろ?」

「やっぱりスパルタぁ……」


 ううう、と嘆きながらもクレアも頑張らねばと奮い立つ。軽く気合いを入れ、アランの手を強く握り返した。

 そうしてまた一からステップの練習を始めることしばし。必ずここで間違える、という足の運び、その瞬間にケリーから鋭い声が飛ぶ。


「クレア、前足!」


 前足!? とアランが突っ込みを入れるより先にクレアの身体が華麗に回るのが速かった。 ふわりとスカートの裾が舞う。これまで散々アランの足を踏み抜いていたステップの箇所で、ついにクレアは見事なターンを決めたのだ。


「やった! できました! できましたよアランさん!!」


 クレアは大はしゃぎだ。壁際でケリーも溜め息をつきながらもどこか満足そうで。そんな二人の反応と、何よりも今し方の発言にアランの腹筋は崩壊の一途を辿る。


「ッ……ちょ、……なん、で……前足……前足って……!」


 二足歩行の人間なのに前足とはこれ如何に。ちなみにクレアは右足を軸に回っているのでつまりは彼女にとっての前足とは「右足」と言う事だ。

 ひぃ、とアランは笑いすぎて呼吸ができない。ついにはその場に膝から崩れ落ち、蹲って笑い続ける。


「アランさんって、ずいぶんと笑い上戸ですよね」

「いや……これ、は、……そういの、とは、違うだろ……」


 アランは腹筋を摩りながらどうにかクレアに返す。そう、これは笑い上戸だとかそんなレベルの話では無い。

 元々こんな風に大きく笑ったりする様な子どもではなかった。そこにさらに詐欺事件が追い撃ちをかけ、一時期のアランの感情は消えていたと言っても過言ではない。だからこそ、

主犯もろとも大勢の人間を復讐に巻き込む事に躊躇が無く、そしてその通りに実行できた。

 そんなアランが、今こんなにも笑い転げている、感情を大きく揺さぶられている。


「違うって?」


 キョトン、とクレアが首を傾げる姿は可愛らしい。そう思う事すらも、今のアランにとっては驚きの一つだ。感情が死んだとばかり思っていた自分に、まだそんな気持ちを持つ事ができるとは。とは言えこれはまだ恋愛だとかそんな甘ったるいものでは無く、単純に小さな子どもだとか、より正直に言えば動物を見て可愛いと思う種類の「可愛い」ではあるが。

 なんにせよ、こうして再び感情を揺さぶられる事がアランにとっては驚きであり、喜びなのだ。まだ、自分は、人として大丈夫なのだと――そう思う事ができる。


「……だからって、まさかこんなくっそくだらねえやり取りのおかげってのはアレだけど」

「なんですか?」

「なによ」

「お嬢さんはともかく、壁際にいるヤツにまで聞こえるってどんだけ地獄耳」

「なによ!」


 なんでもねえよ、とアランはどうにか立ち上がる、笑いすぎて腹筋は辛いし涙もまだ止まらない。


「でもこれで一つ学んだな」

「はい! もう次からはステップは間違えませんよ!」

「ああ、そっちじゃなくて」


 え? とクレアが首を傾げると、それに合わせて髪の毛もさらりと流れる。見た目だけならそれなりにそれなりなのだが、どうにも中身が残念すぎる。


「お嬢さんにステップを説明する時は、今度から右左じゃなく前足……後ろ足で説明するよ」


 どうにも笑いを堪えきれず、アランの語尾は小刻みに揺れてしまう。流石にこれにはクレアの不満も募る。少しばかり膨れっ面になるのは当然だ。


「あのですねアランさん、そもそもからして不自然だと思いませんか?」


 てっきり文句が飛んでくるかとアランは身構えていたが、思わぬ方向からクレアは会話のボールを投げてくる。


「この世界には沢山の国があって、それにより人種も言語も文化もなにもかも違うわけです。なのに、左右の概念だけが全人類共通なんておかしくないですか? 不自然ですよ! きっとこれにはなにか大いなる存在が」

「とてつもなく阿呆なことをさも壮大な話の様に言ってんじゃないわよこのおばか!!」


 壁際から今日一番のケリーの突っ込みが飛んでくる。それに対しクレアも負けじと反論を繰り広げる中、アランはまたしても床に膝をついて笑い転げていた。




 真っ直ぐな彼女たちのやり取りに勝手に癒やされている状況に、ほんの少し違う感情が宿りつつある。それを自覚しながら、このままこれが育っていくのだろうかと戸惑いと期待がアランの中で混ざり合う。どうなる事やらと、あえて他人事の様に考え出したのも束の間。すぐにそこに一石が投じられる事となった。




 クレアが嬉しそうに一通の封筒を眺めている。口元を綻ばせ、封筒その物が愛おしいとでも言う様なその姿に、ついアランはからかってしまう。


「どうしたお嬢さん、恋文でも届いた?」


 てっきり「そんなのじゃないですよ!」と返ってくるかと思いきや。いや、言葉だけなら予想通りではあった。違うのは、その時の彼女の表情だ。

 サッと頬を赤く染め、恥ずかしそうに視線を反らしながら言い繕うその姿は、どう見たって恋する少女そのものである。


「あ、あの、本当にそういうのじゃないですから!!」


 言われれば言われる程に言葉の意味が真逆であると伝わってくる。


「ああ、うん、なんだ、まあ、お嬢さんもそういう年頃だからいいんじゃないか?」

「だから違うんですってば!」


 薄らと涙まで浮かばせたクレアは、これ以上ボロが出ては大変とでも思ったのかクルリと背を向けて逃げ出した。ああこれは完全にそう、とアレンは軽く溜め息を吐く。

 さてどうしてやろうか。まずは相手がどういう輩か調べて、その上で邪魔をするべきか。元・詐欺師を使用人として抱えているご令嬢を、好き好んで娶る人間がどれだけいるか見物ではないか――


「……うっわ」


 そんな自分の考えに素で反吐が出る。ここまで自分は性根が腐っていたのか。彼女に対して恩を感じているのも、それを少しでも返せればとこうして傍にいるのも本心であると言うのに。


「まあ本当に恩返しするならさっさと出て行くべきではあるんだが……」


 それをしたくない程度には、彼女に惹かれているのも事実であり、だからこそ本当に、クレアの幸せの邪魔になる様な事だけはしたくない、はずだった。

 はあ、とアレンはもう一度溜め息を吐く。今度は重く、そして長いものだった。




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