走れryutoto
走れryutoto
もちもちずきん
ryutotoは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。ryutotoには政治がわからぬ。ryutotoは、街の会社員である。端末を買い、AIBOと遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明ryutotoは村を出発し、ヨドバシを越えドコモタワー越え、千里はなれた此のコミュニティにやって来た。ryutotoには父も、母も無い。女房も無い。十八の、凶暴な妹と二人暮しだ。この妹は、近々進学する事になっていた。入学式も間近かなのである。ryutotoは、それゆえ、妹のラップトップやら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる秋葉原にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから秋葉原のホコ天をぶらぶら歩いた。ryutotoには竹馬の友があった。tatsuya0902である。今は此の秋葉原の発電所で、技師をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにryutotoは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなryutotoも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆がハレ晴レユカイを踊って、まちは賑やかであった筈はずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺ろうやに逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。ryutotoは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「ツイ消しをしている、というのですが、誰もそんな、悪心を持ってツイ消しはして居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめはGoogle+コミュニティのユーザーさまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、DBさまを。それから、Dockerさまを。それから、MongoDBさまを。それから、向井のはるきん様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手なツイ消しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
聞いて、ryutotoは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」
ryutotoは、単純な男であった。AIBOを、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、ryutotoの懐中からはLeitzPhone1が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。ryutotoは、王の前に引き出された。
「このLeitzPhone1で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオリスは静かに、けれども威厳を以もって問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「市を暴君の手から救うのだ。」とryutotoは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしのコミュニティ運営方針がわからぬ。」
「言うな!」とryutotoは、いきり立って反駁した。「人のツイ消しを疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「ツイ消しを疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟つぶやき、ほっと溜息ためいきをついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の垢を守る為か。」こんどはryutotoが嘲笑した。「罪の無いユーザーを殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下载の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、ryutotoは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、ラップトップを持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で入学式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄しわがれた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」ryutotoは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にtatsuya0902という発電所技師がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りのアカウントを、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
ryutotoは口惜しく、地団駄じだんだ踏んだ。ものも言いたくなくなった。
竹馬の友、tatsuya0902は、深夜、王城に召された。暴君ディオリスの面前で、佳よき友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。ryutotoは、友に一切の事情を語った。tatsuya0902は無言で首肯き、ryutotoをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。tatsuya0902は、縄打たれた。ryutotoは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
ryutotoはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。ryutotoの十八の妹も、きょうは兄の代りにAIBOの番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労コンパイルの姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。
「なんでも無い。」ryutotoは無理に笑おうと努めた。「秋葉原に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの入学式を挙げる。早いほうがよかろう。」
妹は頬をあからめた。
「うれしいか。綺麗なラップトップも買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。入学式は、あすだと。」
ryutotoは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って端末の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚めたのは夜だった。ryutotoは起きてすぐ、専門学校を訪れた。そうして、少し事情があるから、入学式を明日にしてくれ、と頼んだ。学長は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、CESの季節まで待ってくれ、と答えた。ryutotoは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。学長も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか学長をなだめ、すかして、説き伏せた。入学式は、真昼に行われた。新入学生の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺え、陽気に歌をうたい、手を拍った(キュンキューン ガシャンガシャンガシャンガシャン)。ryutotoも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。ryutotoは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。ryutotoは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。ryutotoほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい妹に近寄り、
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに秋葉原に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえにはかわいいラップトップがあるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、風呂に入らず布団に入るやつと、それから、貸したラップトップを返さないことだ。おまえも、それは、知っているね。ラップトップとの間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
妹は、逆ギレした。ryutotoは、それから妹の肩をたたいて、
「端末を壊すのはお互さまさ。私にも、宝といっては、LeitzPhone1とAIBOだけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、AIBOの飼い主になったことを誇ってくれ。」
妹は地団駄を踏んで、キレていた。ryutotoは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、ネカフェにもぐり込んで、死んだように深く眠った。
眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。ryutotoは跳ね起き、南無三、寝過した、これからすぐに有給取得すれば、約束の刻限までには十分間に合う。明日は是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。ryutotoは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、ryutotoは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
私は、明日、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いryutotoは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。ryutotoは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっとよい学生になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、ryutotoの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に浚われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。ryutotoは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらdocomoに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」
濁流は、ryutotoの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はryutotoも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。ryutotoは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。ryutotoは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊のRintarnet関西勢が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。端末全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
Rintarnet関西勢たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。ryutotoはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だがツイ消しのためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙すきに、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、ryutotoは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たryutotoよ。真の勇者、ryutotoよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。魔剤の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。tatsuya0902よ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、tatsuya0902。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。tatsuya0902、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。Rintarnet関西勢の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。tatsuya0902よ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。AIBOも居る。妹は、もちろん私を村から追い出すだろう。ロト7だの、年末ジャンボだの、ミニロトだの、考えてみれば、くだらない。人があたって自分が損する。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉かな。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにryutotoは身をかがめた。魔剤を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! ryutoto。
私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。ryutoto、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、docomoよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。
路行く人を押しのけ、跳ねとばし、ryutotoは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、ryutoto。おくれてはならぬ。永遠の消費者の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。ryutotoは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、秋葉原のヨドバシが見える。ヨドバシは、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、ryutoto様。」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」ryutotoは走りながら尋ねた。
「もちもちずきんでございます。貴方のお友達tatsuya0902様の弟子でございます。」その若い鯖缶も、ryutotoの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」ryutotoは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、ryutotoは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! もちもちずきん。」
「ああ、あなたのDBは飛んだか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」
言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、ryutotoは走った。ryutotoの頭は、物欲でからっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、ryutotoは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。
「待て。その垢を殺してはならぬ。ryutotoが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声が幽かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたtatsuya0902は、徐々に釣り上げられてゆく。ryutotoはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。ryutotoだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。tatsuya0902の縄は、ほどかれたのである。
「tatsuya0902。」ryutotoは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
tatsuya0902は、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くryutotoの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、
「ryutoto、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
ryutotoは腕に唸りをつけてtatsuya0902の頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君ディオリスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
ひとりの幼女が、緋のX1 Foldをryutotoに捧げた。ryutotoは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「ryutoto、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのX1 Foldに挟まれるがいい。この可愛い娘さんは、ryutotoの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。