誰でも良いっていう言葉の裏には。
毎日が寂しい。
隣に誰かいれば、こんな日々も少しは彩られるのに、と強く思う。
誰か。
誰か、私を助けて。
誰か、私と恋をして。
そして、誰か、私を愛して。
突き詰めれば、誰でも良いから私と一緒に生きて欲しい。
そう叫びたくなるんだ。
けれど、その’誰‘っていうのは本当の本当に誰でも良いわけではなくて、
自分の中で無意識のうちに’誰‘の条件を定めてしまっているように思う。
例えば、
・性格(自分と相性が良いか、波長が合うか)
・見た目(たぶん、可愛い人が良いなって思ってる)
・年齢(同い年か、上下4歳差くらいが良い)
・どんな趣味を持っているか
・どんな風に生きているか
・季節の匂いがわかる人
いくら彼女ができないからといっても、理想はある。
言葉は悪いかもしれないけれど、妥協点ってのもある。
「何、偉そうなこと言ってんだ」
「そういうのを高望みって言うんだよ」
と、思われるかもしれないですけど。
今日も街ですれ違った女性が素敵だった。
『こんな人が彼女だったら良いのにな……』
街で思うこの感情はその人のルックスしか見てないんだよね。
でも、仕方ない。
そもそも女の子と接する機会がないから。
だから、苦しい。
だから、誰かに助けてほしい。
そう。
助けてほしいと思ってる。
愛してくれたら、
私の持てる全力で愛するから。
幸せにするから。