表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元禄浪漫紀行  作者: 桐生甘太郎
江戸夫婦編
39/57

第三十九話 初午





俺達家族は、秋夫が指南所に通い始めて一年経った初午(はつうま)の日に、王子稲荷を詣でた。


江戸に多い物として、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言い方がある。江戸っ子が喧嘩腰にこれを語っていると、なんだかスカッとする。


もちろん、江戸は野良犬が多く、それで通りにはいつも犬のフンが落ちているし、「伊勢屋」さんはどれがどれやら分からないほどある。そして、「王子の稲荷」と言えば、初午の日は大賑わいだ。


江戸では、子供が寺子屋、つまり指南所に通い始めるのは初午の日で、その日に稲荷神社に子供の学業について願う人々が多い。俺達も先年に王子の稲荷神社に来た。今年はお礼参り(かたがた)、縁日など、物見に行くという事だ。



「やあ着いた着いた。それにしても、本当に道に迷わず済んだなぁ」


俺がそう言うと、秋夫の手を引いていたおかねは笑う。辺りはすごい人込みで、みんな同じ方向へ向かって歩いている。もしくは、同じ方向から引き返してくる。


「何言ってるのさお前さん。今日この日にここらを歩いてるんだ。みんなここへ行こうってもんだよ」


“王子の狐”という落語が現代まで残っているが、本当に江戸時代は稲荷神社が大流行だったんだなぁ、と、俺は思った。


「秋夫、疲れてないか?」


まだ七つの秋夫に声を掛けると、思った通りに疲れていたのか、「別に」と言って、ぷいと顔を背けた。


「そうかそうか、じゃあほれ」


俺は秋夫の前で後ろを向いて前屈みになり、両手を後ろに回して、ちょっと振った。


「いやだい!もう子供じゃねえ!」


負けず嫌いな秋夫は嫌がっていたけど、いつまでも俺がやめないので、突き当たってくるように、やけっぱちに俺の背に乗った。


「この方が楽だろ。肩車の方がよかったかい?」


「これでいい。あとで凧を買う時に下ろしてくれな」


「なんだこいつ。もう凧を買った気になってやがる」


俺は、子供らしい拗ね方で凧をねだる秋夫を、ちょっと揺らす。


「アハハハ。凧くらい買ってやるよ。それからお前さん、絵馬も買わなくちゃね」


おかねは笑い、俺の背中に居る秋夫の頭を撫でた。そのまま俺達は王子稲荷の本殿さして歩いた。


王子稲荷は、それはもう大層な騒ぎっぷりで、みんな踊ったり歌ったりして、奉納神楽のきらびやかさに見惚れたり、派手に絵の描かれた灯篭(とうろう)飾りや行灯で目を楽しませたりした。神社の参道にはずらりと行灯が並び、様々な色に染められた(のぼり)が、風にはためいていた。


お参りとお賽銭をして、馬の絵が描かれた絵馬額を奉納し、俺達は願い事をする。


それから、秋夫によく稲荷の事を聞かせてから、俺達は帰り道に凧を買った。秋夫は、どうやって上げるのかずっと聞いてきたが、「ここじゃダメだ。帰ってから、土手に出て上げよう。人に絡まっちまうぞ」と俺は返した。




ところで、俺は書き物をするので、貸本屋で借りた本も、この時代の書物の勉強に読んでいた。


初午の日という事で思い出したので、家に帰ってから俺は、井原西鶴の「日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)」を紐解いていた。


もはや新刊として井原西鶴の著書を読めるだけで有難いのだが、書いてある事がまた有難い。


内容は大体こんなものだ。


“ある年の初午に、大阪の水間寺(みずまでら)という寺へ、二十三、四の逞しい男が訪ね、「金一貫文(かんもん)貸してほしい」と頼んだ”


水間寺という寺では、皆、自分の立身出世と金持ちになる事を願い、お金を借りて、翌年には倍にして返すのが風習だったらしい。ちなみに一貫文とは、およそ千文である。


お断りを入れさせて頂くけど、これは「初午」に関する事で、稲荷神社ではなく、観音様を祀っているお寺の話だ。


“男の要求があまりに多額だったので寺の主は驚いたが、とりあえずは貸し付けて、「きっとこのお金は戻ってくることはないから、これからは多額に貸し付けるのはやめよう」と、寺方では話し合いがされた”


ところが、結末は全く違ったものになった。


“水間寺に現れた男の正体は、現代の日本橋にあった、江戸の小網(こあみ)町で船問屋をしている者だった。彼は、お得意の漁師たちに「観音様からの有難い銭だ」と言ってその金を貸し付け、もちろん貸し付けられた人はきちんと倍返しをした”


“やがて、「観音様から銭をお借りして、幸運に恵まれた」と言った噂も聴こえるようになり、貸付先はどんどん増えた”


この辺で俺は、信心深いこの頃の人々を敬う気持ちになった。


“とうとう十三年目に、水間寺にお金を返しに行く時には、金一貫文は八千百九十二貫文にまで増え、船問屋は通し馬でそれを返済しに行った。その話は広く伝わり、男の営む小網町の「網屋(あみや)」は、大層繁盛して、関八州で有数の物持ちになれたそうである”


“しかしその繁盛も、そう長い事は続かず、いつか「網屋」の噂も絶えてしまった…。”


金持ちになりたいとはみんな考えるが、それがなかなかどうして続くものでもないし、身に余るほどの物を望むばかりなのはいかがなものか、というメッセージが、物語の大きな盛り上がりと、呆気ない終わりで、そのまま伝わってくるような気がした。


俺がそんな事を考えていると、耳元で、低い声がした。


「とうちゃん」


俺が本から顔を上げると、秋夫が憮然と俺を睨みつけているのが見えたが、それをどうと思う暇もなく、秋夫は、俺の顔目がけて凧を押し付けた。


「な、なんだ秋夫!こら!押し付けないでくれよ!」


どうやら秋夫は、俺が本に熱中していて構ってくれなかったのが嫌だったらしく、しばらく俺の顔に、紙で出来た凧をぐいぐい押し付け続けた。


「わ、わかった、凧を上げに行こう!」


堪らなくなって俺がそう言うと、秋夫はこくっと頷き、「よし」と言った。


秋夫にもそんな可愛い時があり、その可愛さは、なんとも言えない形でずっと続いていた。いつになっても自分の子は自分の子。どこか可愛いものである。





つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ