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元禄浪漫紀行  作者: 桐生甘太郎
長屋人情編
14/57

第十四話 彼女に知れた嘘

続きをお待たせ致しました。


今回は「江戸と言えば」な場所が出てきます!

俺は悩みを抱えていた。もちろん、おかねさんのこともある。ただ、俺の母親は病気を抱えていた。だから、「もしかしたら小説家の道は諦めて、これから介護をしなくちゃいけないかな」と、考えていたところを、俺は江戸時代に飛ばされてしまったのだ。


それにしても、あのお香は一体何者、というか、どういったものだったんだろうか。



「母さん…」



俺はその時井戸で水を汲んだところで、井戸端に誰も居ないと思っていたから、そんなふうに独り言で母さんを呼んだ。






その日もおかねさんはお弟子さんに稽古をつけ、俺は次々訪れる彼らにお茶や干し芋を差し出したり、合間に米を研いだりした。


俺はおかねさんの言う通りに「如才なく」していたと思うので、なかなかお弟子さんたちからも評判は良かった。とりわけ栄さんからは、付き合いが一番古いと言われて可愛がられ、「秋兵衛さん、今度一緒に遊びへ行かねえかい。(なか)へさ」なんてからかわれたりもした。


「「中」とはなんのことですか」と俺が聞いた時、栄さんは突然大笑いし始め、「師匠!こりゃあ確かに御大尽ですぜ!まいったなこりゃあ」と言っていた。




栄さんも、残りのお弟子さんもみんな稽古が済んでしまってから、おかねさんは俺を火鉢のそばへ呼んだ。


「なんでしょうか、おかねさん」


おかねさんはこめかみに手を当てて軽く首を振り、俺をちろっと横目で見た。それはなんだか呆れているように見えたので、俺は「何かまずいことをしたかな」と思って焦った。


「今日栄さんに、中へ誘われたね」


俺はそう言われて、“ああ、そういえば「中」とはなんだろうな”と、疑問を思い出したけど、その時のおかねさんがどうやら怒っているように見えたので、聞く気になれなかった。そして、その必要もなかった。


おかねさんは、俺と彼女の真ん中にある、何も乗っていないちゃぶ台を見つめて、大きくため息を吐く。そして、まるで汚らわしいものでも見るように、表の戸を見た。


「ああいう札付きとうちの下男が同じ場所で遊ぶなんざ、もってのほかさ。それになんだい?「中へ行こう」だなんて。フン。女が相手にしてくれる面でもないくせに気取ってさ。お前さん、吉原(よしわら)へなんか出入りしちゃならないよ。そんなことをしたら、うちへは置かないからね!」


おかねさんがそう言い切った時、俺は「中」とは「吉原の遊郭遊郭(ゆうかく)」を指すのだと知った。それから、おかねさんがそれほどまでに吉原を嫌っているらしいことから、女性の苦労というものを考え、最後に少しだけ、ほんの少しだけだけど、おかねさんが俺に「ダメだ」と言ってくれたのが嬉しかった。


もちろんそれは、自分の下男である俺に良くない遊びをさせるつもりはない、ということでしかないんだろうけど…。









俺の毎日は江戸の下町にある一角でひっそり過ぎていき、それでも俺は自分のことを、令和に生きる人間だとまだどこかで思っていた。だから、暇を見つけては考え込んで、だんだんと、戻れないことへの焦りが募っていった。




その日、おかねさんは稽古は休みで、「二人で観音様(かんのんさま)にでも行こうじゃないかね」なんて言って、俺はただ、「そうしましょう」と言った。


俺はおかねさんの荷物にきんちゃく袋を持ち、おかねさんは財布の中を見てお化粧をしてから、家を出た。



裏長屋の木戸を開けて表通りへ出ると、職人たちが大わらわをしている通りが続き、そこを過ぎると筋違橋(すじかいばし)が現れる。それを渡らず右へ行き柳原(やなぎはら)通り土手の景色を楽しみながら、突き当たった浅草橋(あさくさばし)を渡り、俺たちは道を左へ折れた。


そこから先は浅草寺(せんそうじ)観音堂(かんのんどう)までは一本道だが、これがなかなか長い道。道の両側はだんだんと目当ての屋台が多くなり、当たりは寺院だらけになっていた。そして、“江戸中から人が集まっているんじゃないか”というくらいの人にもまれながら仁王門(におうもん)をくぐってとうとう参道に入ると、にぎやかに茶屋や土産物屋で客を呼び込む声が四方八方から飛んできて、行く手に立派な本堂が見えてくる。とにかく人が多いので、俺たちは手早く御本尊(ごほんぞん)を拝んで賽銭(さいせん)を投げ込んだ。



あとで屋台で夕食にしようと話しながら、俺たちは参道を後に戻ろうとした。でも、言葉が途切れた時、おかねさんがこう言った。



「おっかさんのことでもお願いしたんだろ?」



俺はびっくりして一瞬立ち止まりそうになったけど、そのままおかねさんの後をついて土産物屋に入って行きながら、彼女の後ろで、“どうしてわかったんだろう”と、もう思い悩み始めていた。






「お前さん、おとつい井戸端でおっかさんを呼んでたじゃないか」


夕暮れ時に家に帰ってから、気まずいながらも俺が「どうしてわかったのか」聞くと、おかねさんはそう言って、どこかうつむいてがっかりしたような顔で笑った。


それから行灯に火を入れて羽織を脱ぐと、それをそこらへほっぽって俺が拾うのを待ち、おかねさんは行灯のそばへ正座をする。俺は、“この場をどうやって切り抜けよう”と考えながらも、衝立にでも掛けておこうと羽織に手をかけた。その時だった。



「どうして嘘なんかついたんだい。お前さん、何者なんだい?」



そんな冷たい、侮蔑を孕んだ声音が、俺の頭に降ってきた。それはびしゃっと水を掛けられた気持ちになるような、険しく尖った声だった。



「そ、そんなこと…」



俺は迷った。本当のことを話したって狂人扱いされるだけだ。この時代に、“未来”なんて概念はない。それに、もう「何も覚えてない」では押し通せない。でも、嘘に嘘を重ねるなんて嫌だ。でも、でも…。


薄暗い中に行灯のほのかな灯りでおかねさんの姿が浮かび上がり、俺を咎めるような表情は、乏しい光が顔の下から差す様子で一層厳しく見えた。



俺は、ここを追い出されるなんて嫌だ。どうしても嫌だ。


どうしよう。どうしたらいいんだろう。なんとかごまかさなくちゃ。でも、その方法がない。


それでも、「行くところがない」なんて理由ではなく、俺にはもう、はっきりと“ここに居たい”と思う理由があったんだ。



俺は、“いよいよ追い出される”と思うと、両手の先がぶるぶると震えて止まらず、とにかくごまかすために笑顔を作ろうとしているのに、自分の顔がどんどん泣き顔になっていくのを感じていた。おかねさんの羽織を握りしめたままでがっくりと畳に手をついて、俺は必死に涙をこらえ、おそろしさに耐え切れずおかねさんを見上げた。


おかねさんは俺がそんなふうに精一杯怖がっているのを見て、悪いことをした気になったのか、急に怯えて眉を寄せた。俺はそれを見逃さず、とにかくその場で額を畳にぶっつけたのだ。



「お願いします!ここに置いてください!ご迷惑はお掛け致しません!お願いします!お願いします…!」



そうして俺は何度も頭を床に叩きつけ、いつのまにか畳を濡らしてじりじりと額を擦りつけていると、おかねさんは俺の肩を引っ張って起き上がらせてから、手ぬぐいで涙を拭ってくれた。



「わかったよ。…なあに、何も追い出そうって話じゃないんだからさ。お前さんは大事な下男だし、もしわけを話して頼りたくなったりしたら、その時にそうしとくれな」


俺はその言葉を聞いて気が緩み、一気に目の前が歪んで、またぼろぼろと涙をこぼした。


「泣くんじゃないよ。わかった、わかったからさ」


「ありがとうございます…」


「ほら、じゃあ今日はもう寝よう」


「はい…」








つづく

進みが遅くてどうにも申し訳ございません。


お読み下さりまして、有難うございました!

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