2.予知夢とホットチョコレート(2)
あの日も、美術室に集まる火曜日だった。
「佐藤センセ、今日の甘いもんは?」
慧介が、佐藤の手元を覗き込む。美術準備室には小さなキッチンがあり、火曜日の非公式な定期教室のときには、そこでこっそりおやつを作ってくれるのだ。甘いにおいが立ちのぼってきて、夕璃子も筆を置いた。
「今日はホットチョコレート。家内が生きていたときに、よく作ってくれたんだ」
佐藤は、泡立て器で小鍋を混ぜながらこぼした。彼は3年前に妻を事故で亡くしていた。
「チョコレートはねえ、細かく刻むのが大事なんだってさ。溶けやすくなるからね。毎日いろんな料理を作ってくれたんだよ。家内の実家は資産家でね。若い頃にいろいろな国に行ったことがあって、その土地の料理を舌で覚えてこちらで再現するのに凝っていた。当たり前の日常に、小さな楽しみを見つけるのが好きな人でね」
佐藤は愛おしむような目をして言った。彼らには子どもがおらず、今は学校にほど近いアパートを借りて、一人で暮らしていると聞いた。
「うわ、始まったよ。佐藤センセののろけ」
慧介が茶化すように言う。すると、佐藤は少し悲しそうに目を細めて「死んだ後でのろけたって仕方がないんだけどね」とつぶやいた。
「家内が生きているころはね、感謝だとかねぎらいだとか、そういった言葉をかけてやったことはなかった。我々は見合いで結婚したんだが、最後まで愛してるだなんて言えなかった。そんなもん、こっ恥ずかしいと思ってね。でも今は、――無性にそれを後悔しているんだよ。ある日突然、物言わぬ骸となって帰ってきた家内を見て。――どうして一度も伝えなかったのかと」
蝉しぐれが耳についたので、あれは夏の夕方だったのだろう。佐藤の話を聞いた夕璃子と慧介は、なんとなく黙ったまま廊下を歩いていた。
血のような夕日が、よく磨かれた床に赤い影を落としていた。ふと、窓の向こうでからすがギャアギャアと鳴いた。
慧介は眉根を寄せて額を押さえた。
「どうしたの?」
夕璃子が尋ねると、慧介は青い顔をして言った。
「おまえ、今日は絶対にひとりで帰るな」