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16.カクテル

「好き」という言葉を渇望していた。もしもそれさえもらえたら、夕璃子はきっと安心して心のすべてを慧介に預けられた。





 慧介との名前のない関係がはじまってから、強い感情の狭間で動けなくなることが増えた。片方は、ずっと好きだった人と一緒にいられる、打ち震えるような幸せ。そしてもう片方は、ふたたび彼と離れてしまう恐怖。慧介の気持ちがわからないから不安だった。


 そうなってみて初めて、自分が恋人たちにどれほど残酷なことをしてきたのかを知った。


 告白をしてくれたのは、彼らのほうだった。好ましく思っていたからそれに頷いた。でも、夕璃子は自分から「好きだ」と伝えたことはなかった。


 夕璃子が一人目の彼氏に振られたのは、記念日デートをすっぽかしたからだった。次に付き合った人からは、身体の関係を持とうとしないことを責められて、別れた。――今思うと、好きの種類が違ったのだと思う。恋愛感情ではなかったのだ。慧介と過ごすようになってはじめて気がついた。恋というのは、もっと穏やかなものだと思っていた。そして、彼らとの別れは、何度思い出してみても、別段悲しくはなかった。一人目の彼を思い出すとほんの少しの悲しさを、二人目の彼には少しの失望と悔しさを覚えるだけ。


 だからこそ、慧介が明確な言葉を――「付き合おう」という区切りの言葉さえも――口にしないのは、かつての自分と同じように恋愛感情を持っていないからなのではと思えて不安になった。どうしたら彼からその言葉を引き出せるのか。そればかりを考えるようになり、一人で過ごす夜は眠れなくなった。





 バーに通いはじめたのは、それがきっかけだった。

 バイト先の先輩が一度連れて行ってくれたのだ。そこは夕璃子の家から十分ほど歩いた大通りに位置し、古いビルの三階にあったが、内装はリフォームされて綺麗な建物だった。北側に大きく取られた窓からは、夜の道路と街灯が美しく見えた。


 バーテンダーが学生バイトばかりだからか、カクテルが財布に優しい価格で、何杯か飲める余裕があった。そこでほろ酔いになるまで飲んでから家に帰ると、いつの間にか意識を失う。


 客層は若かった。同じ大学の人は少なかったが、同世代の顔見知りが増えたのは嬉しかった。ただ、そこでの夕璃子は異質だったと思う。来ている女性のほとんどが、地味な夕璃子とは正反対だったからだ。それでも、お酒の力を借りれば、普段は話さない、自分とは違うタイプの人たちとも打ち解けられた。それは楽しかったし、他愛もない話をして過ごすのも悪くはなかった。





 仲良くなったうちの一人が、浦滝さんという男性だった。他大の文学部の学生で、色白で線が細く、中性的な外見をしていた。大学では隠しているというが、心は女性だった。


 彼はオカルト好きで、夕璃子がよく見ていたネットの掲示板を教えてくれたのも浦滝さんだった。連絡先を交換することはなかったが、お互いを見つけると必ず一緒に飲むくらいには仲良くなった。

 そして、飲みながら一緒に掲示板に投稿された怖い話や不思議な話を読み、感想を言い合うのにはわくわくした。


「恋心って厄介よね。切り取って捨てられたらいいのにって思うの」


 彼が頼むのは、いつも甘い酒ばかりだった。カルーアミルクにカシスオレンジ、ピーチフィズ……。一方の夕璃子は、辛い酒ばかりを頼んでいた。


 浦滝さんはあまり強くない。10杯くらいまでは表情も態度も変えずに軽く飲める夕璃子とは違い、2杯ほど飲むと頬が上気し、瞳がとろりとなってくる。そして、お酒が回ってくると、彼は意図せず女性らしい言葉遣いに変わってしまう。

 だから、大学の友人の前では決して酒を飲まないのだと言っていた。






 東久世あやみの口から「みっともない人」という言葉がこぼれたあの日。夕璃子はどうにもやるせなくて、自分から慧介を誘ってみた。事情を話すつもりはなかったけれど、ただ、抱きしめてほしいと思った。

 だが、彼はサークルの飲み会があって、会うことができなかった。


 返信が来たときには、二人分の夕食を作り終えていた。きのこがたっぷり入った煮込みハンバーグに、人参のバターグラッセ、ゆでたブロッコリーと野菜スープだ。慧介の分を保存容器に移して、テレビも音楽もかけない部屋で、一人もくもくと食べた。

 銭湯に行こうか悩んだが、バーのほうに足が向いた。





「ゆりちゃん、見てみて! あの掲示板にね、縁切りのジンクスがある喫茶店が載ってたのよ。これって山の上の喫茶店じゃないかしら」


 そう言って、浦滝さんが夕璃子に見せた文章を読む。以前、連休中に慧介が連れ出してくれた喫茶店によく似ていた。二人で過ごすのは、いつもどちらかの家で、あのときはまるでデートだ!と浮足立ったのを思い出した。


「悲しみも縁も溶けてなくなる、か――。これが本当だったら、どんなに楽になれるでしょうね」




 浦滝さんがしみじみと言ったその言葉は、夕璃子の胸にいつまでも残っていた。







お読みいただき、ありがとうございます。明日、3話UPして完結します!


この小説はフィクションです。ただ、9‐(2)だけは8割ほど実話です……。この物語は、恐怖の実話から思いついた話でした。内容も結末も決めて短編として書き始めたのですが、どんどん登場人物が増え、話が広がっていったため、冒頭にちょっと矛盾があるかもしれません。


読み返して気づいたときに修正予定です。



もしよかったらこちらもどうぞ! 完結済みです。2回読むと意味がわかるところがあったりします。今回の話とリンクする部分も。

https://ncode.syosetu.com/n5342gb/

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