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14.大崎秋奈の失恋(1)

 大崎秋奈は大学のバイク置き場に立っていた。美貌の男にヘルメットを手渡す。森島慧介は、緊張した面持ちでそれを受け取りながらも、手慣れた様子で頭にかぶった。


「バイクに乗ったことあるの?」

「今、免許を取ろうとしてる。あんたこそ、――似合わないな」


 そう言われるのは慣れている。秋奈は、自分がしなさそうなことをするのが好きだった。それはある意味ジョークのようなものでもあり、彼女なりのレジスタンスでもあった。


 見た目で判断されるのが嫌だったから、見た目からは想像もできないようなことをしたいと常々思っているのだ。そしてそれは恐らく、あのときの失恋が影響していた。――自分を変える。あのときと似た状況を作り出すことにこだわっているのかもしれない。





 正門を出て山のほうへ向かう。秋奈は実家暮らしだが、こちらのほうまで足を伸ばしたことはなかった。進めば進むほど、寂しい情景が広がっていく。そういえばこの先のどこかに、心霊スポットとしてバイク仲間がよく行っているトンネルがなかっただろうか。ふとそう思い至ると、秋奈はぶるりと身震いをした。


 やがて、夕璃子が降りたであろうバスの終着ターミナルに差し掛かった。そこには誰もいなかった。家どころか、建物さえない山道が続くばかり。彼女はこういう場所だと知っていて降りたのだろうか。それとも、少し不安になっただろうか。


 秋奈はひどく後悔していた。夕璃子の様子は普段と違っていたのだ。いつも一緒にいた秋奈じゃないとわからないくらいささやかな違和感だったけれど。いつもより目に光がなく、それでいて興奮したような感じがあった。そして、一年以上付き合ってみて、彼女が思い詰めると突飛な行動を起こすこともなんとなくわかっていた。

 本当は、もっと話を聞くべきだったのではないだろうか。――彼女がそうしてくれたように。夕璃子の家で過ごしたあの夜がなければ、秋奈はきっと、立ち直るのにもっと時間がかかっていただろう。





 入学式で隣の席になったことから知り合った石倉夕璃子は、化粧で誤魔化さない、素材の良さがある顔立ちをしていた。講義のときは一番前の席を選び、真剣にノートを取る生真面目な子だった。そして、おっとりした優しい子だった。

 この一年半、いつだってそばにいたのに――。秋奈は不甲斐なさを感じていた。


「秋奈ちゃんみたいにかわいかったらよかったのに」


 いつだったか、そう言って弱々しく笑ったことに、彼女の本心が隠れていたのではないだろうか。そのとき、秋奈は少しだけむっとしていた。夕璃子には素材の良さがあったからだ。勉強にはあんなに努力を重ねるのに、自分の見た目には何も投資しない。それが不思議であり、怠慢に感じられて、彼女に対して唯一好きになれないところでもあった。

 秋奈が今の秋奈になるまでには、厳しい日々が必要だった。



 秋奈は高校生のころまで、ひどく太っていた。肌にはいつも吹き出物があり、いくら洗っても消えない。子どものころから友だちが出来た試しがなく、根暗でおどおどしていたため、最初は話しかけられることがあっても、だんだん人は離れていった。そうしてますます自信をなくし、クラスでの折り合いも悪くなっていった。

 彼女を変えたのは、当時家庭教師をしていた岡崎勇貴。この大学の先輩にあたり、当時は一年生だった。


 岡崎は、線が細く、色白で、端正な顔立ちをした男だった。十人いたら八人は振り返る。そういうタイプだったと思う。それまでの秋奈にとって、そういう男というのは天敵だった。秋奈の容姿や態度をからかうだけで済めばいいほうで、ひどいと暴力を振るわれることまであった。

 だから、彼が家庭教師としてやってきたとき、はじめに持った感情は警戒だった。


 ところが彼は、秋奈を見て嫌悪感を表すようなことは一切なかった。どこまでも淡々とした表情に、虚をつかれた。そして、論理的に話すのに長けていて、説明はわかりやすく、地頭が良かった。毎回、五分の休憩を取っていたのだが、そのときの他愛もない話も面白く、だんだん、秋奈は彼に心を開くようになっていった。


 そしていつだっただろうか。自分の容姿についての悩みを話した。


「変わりたいのか?」


 彼は穏やかに聞いた。秋奈はうなずいた。すると彼は「磨き甲斐があるな」と笑ったのだ。


 岡崎は、いろいろなことを秋奈に教えた。二人三脚のようなダイエットをして二十キロ痩せた。彼はわざわざ栄養学の本やトレーニング理論の本などを買い込み、自分なりに研究して、メニューを組み立ててくれた。家庭教師の範疇を超えていると申し訳なくなったけれど、彼は「趣味だからいいよ」と笑った。

 体重が落ちてくると、それだけで周りの目は変わった。悩んでいた吹き出ものも消えた。


 次の段階は髪の毛と化粧だった。彼は行きつけの美容院に秋奈を連れていき、美容師と相談しながら髪型を考えてくれた。それまでは黒くて重たい髪の毛をずっと伸ばしていたけれど、思い切って肩下までのボブヘアにした。コスメを買いにデパートに付き合ってくれたこともあった。

 一緒に過ごすうちに惹かれ合い、恋人同士になったときは、夢のようだった。


 けれども、秋奈が周りに容姿をほめられるようになったころ、ふいに飽きたようにふられてしまった。大学一年の夏だった。顔を見ることもなく、電話で一言「飽きたから別れよう」と告げられただけだった。

 岡崎もまだ大学にいるはずだけれど、キャンパスが違うので、会うことはない。





 失恋したあと、泣き腫らした目のまま大学に行ったのは、どうしても提出しなければいけないレポートがあったからだった。普段とは違い、素顔の目元を伊達眼鏡で隠した秋奈に、夕璃子は恐る恐る、言葉を選びながらといった様子で事情を訊いた。


 声をつまらせた秋奈に気がつくと「今日、うちに泊まっていかない? 実家からお菓子をもらいすぎちゃって」と笑った。


 それから席を外して、電話をかけにいった。当時付き合っていた人との、記念日デートを断ったのだということも、それがきっかけで彼氏と別れたということも、知ったのはだいぶ後になってからだった。

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