10.東久世あやみの憂鬱
東久世あやみは、自分の美しさを知っている。
子どものころから、くり返し呪文のように言われてきたその言葉は、彼女の自信と歪みをつくった。いつからか彼女は、自分の心のままに生きるというよりも、周りから見て完ぺきに調和が取れていることばかりを意識するようになっていた。
そんな彼女が嫌っているのは、素材はそこまで悪くないのに、無頓着にしている女だ。そういう女には二種類ある。一つは無害なふりをしている蜘蛛のような女。もう一つは努力を怠っている女。
いずれにしろ腹立たしい。
大学2年になり、彼女はようやく自分の隣に並び立つにふさわしい男を見つけた。森島慧介。田舎の農家出身だというのはいただけないけれど、大学時代だけのお飾りの恋人にふさわしい、華やかな容姿を持っていた。この大学に受かるくらいだから、頭のほうもそれなりに良いだろう。
そう思って近づいたのに、彼は他の男とは違った。冷めたような視線を向けられて、あやみは戸惑った。
森島慧介の隣には、いつも嫌いな女が控えていた。石倉夕璃子。色白のもっちりした肌に、よく見ると奥二重の瞳は垂れ目で優しげな印象だ。ぽってりとしたくちびるは、口紅がきっと映えるだろうに、化粧っ気がほとんどない。素材のままの女。
決して素材は悪くなかった。でも、皆が競い合うように自分を磨いている大学の中では埋没してしまっている。そして、いつも自信なさげにはにかんでいるのも、森島慧介が向ける愛おしげな視線も、なにもかも許せなかった。
東久世あやみの朝は、夜明けとともに始まる。
目を覚ますのは、東の空が白みはじめるころ。身体に染み込んだ習慣だから、特に目覚ましは要らない。まだ外は少し暗いけれど、カーテンを引き、朝の澄んだ空気を部屋に取り込む時間が彼女は好きだった。
一杯の白湯を飲み、体を動かして温める。ひと汗流したらシャワーを浴びて外出着に着替え、黒いシンプルなエプロンを身に着けて、朝食作りに取りかかる。
パンは血糖値が上がりにくいライ麦パンを選ぶ。女性の場合は鉄分が不足しがちだから、意識して鉄分を多く含む牛肉やほうれんそう、あさりをメニューに組み込むことが多い。今朝は玉ねぎと人参、あさりで作るクラムチャウダー。それに生野菜をたっぷり刻んだサラダと、フルーツを添える。
ただ食べないだけだと、美しく健康的に痩せることはできない。市販品や外食は脂質も塩分も多いから、あやみは極力自分で料理をするようにしていた。
朝食をいただくころ、ちょうど朝日が顔を出す。
音のない静かな部屋で、あやみは黙々と食事を口に運んだ。一時間ほどかけて丁寧に化粧をほどこし、部屋の片づけと掃除を済ませたあと、スニーカーを履いて家を出る。一人暮らしのアパートから大学までは歩いて三十分ほどだ。これが適度な運動になる。
校門をくぐったら、そこから一番近い化粧室へ向かう。風で乱れた髪の毛を整え、メイクを直し、スニーカーを脱いでピンヒールの靴に履き替えた。
一限の授業がはじまる少し前のことだった。同じ学部の細川ミドリが駆け寄ってきたのは。彼女は嬉々として「モリリンとあの女って付き合ってないらしいよ」と報告してきた。心底どうでもいいと思ったが、あやみはやわらかいほほ笑みを作って「そうなんだ」と告げた。
授業の間もミドリはぺちゃくちゃと喋り続けている。――ああ、ノートがまとめられない。苛々したけれど、あやみはそれを顔には出さなかった。