9.分岐点の先(1)
夕璃子の肩を掴んだのは、自転車を押した小柄な年配の女性だった。サーモンピンクのポロシャツに青いデニム、首元にはオレンジのタオルを巻いた、鮮やかな色彩の人だった。
彼女は口元に指を当てる。
「あの、あなたは……?」
「あんた、どうして一人でこんなところを!」
夕璃子の問いには答えず、彼女は心配そうに、そして呆れたように言った。
「ここら辺は治安が悪いんだ。あんたみたいな若い娘が一人で歩いたらいけないよ」
「でも、まだ正午です。暗くなんかないですし……」
「そんなこと、犯罪者には関係ない」
女性はぴしゃりといった。
「あんたね、さっきから尾けられてたんだよ。黒い車にね」
夕璃子は血の気がさっと引いていくのを感じた。
「あんたは観光客かなんかだろ? 知らなくても仕方がないね。この辺はね、おばちゃんみたいな年齢でも、遠目に見て女だとわかると声をかけられたりするんだ。だから、こうしてすぐに逃げられるように自転車に乗ってる。そうじゃないときは、必ず男と一緒に歩く」
おばさんはそう言って、自転車を指差した。
「この先に曲がり角が見えるだろう。その手前が雑木林で、死角になってるんだ。賭けてもいい。そこにあの黒い車はいる。どうする? 戻るかい?」
「――でも、家に帰るにしても、山道のバス停に戻るか、この先の駅に向かうかしかありません」
「どこへ行くつもりだったんだい?」
「山の上の喫茶店へ」
「――それは……今度にはできないのかい?」
夕璃子は、先ほど取り落した携帯に目をやる。落としたはずみにだろうか、電源が落ちて、画面は真っ暗になっていた。何度ボタンを押してみても、電源はつかなかった。
「――ああ、これなら、喫茶店で電話を借りたほうがいいかもしれないねえ。あそこのマスターは孫の先輩なんだ。気のいいやつがやってるから、安心しな」
「じゃあ、おばちゃんがそこまで送ってあげる。ここはあたしの地元だから、いざとなったら息子たちもすぐに呼べる。安心しな。でも、帰り道は気をつけなきゃいけない。誰かに迎えに来てもらうか、――警察を呼んだほうがいいかもしれないよ」