7.雨つぶの声(2)
その日はたまたま一人きりで大学構内を歩いていた。一大行事の直前でレポートや課題に追われていたし、人手不足でバイトのシフトも毎日入っていて、とにかく学校に来るだけでも精一杯という時期だった。
前髪の寝ぐせを気にしながら、俯いて歩いていたとき、前のほうから東久世あやみを含む女子たち10人ほどが歩いてきた。彼女たちのことは、同じ学部だったら誰でも知っていた。綺麗所ばかりで集まっていて華やかだったからだ。誰もが美しく装っていた。
近づくだけでも気後れした。
すれ違ったそのとき。ぽつりとこぼされたそれは、雨音のように冷たくて静かな声だった。
「――みっともない人」
驚いて顔を上げると、東久世あやみと目があった。彼女は顔色を変えることなく、まるで淑女がカーテシーをするような優雅さでほほ笑みを浮かべた。
彼女の声は、たぶん、誰にも届かなかった。
でも、雨つぶが波紋を広げていくように、周囲の女子たちがかしましく囀るのが聞こえてきたのだった。
「ほらあの子」
「森島くんの彼女?」
「本当に?」
「地味だよね」
「せめて、ちゃんと化粧をすればいいのに」
「あの髪もどうにかしたほうがいい」
「バイトばかりしてるって聞くから、お金がないのかも。そんなことを言ったらかわいそう」
そうして自分の話題が流れていくのを、ただ見送ることしかできなかった。
夕璃子は臆病にも待っていた。慧介の口から、愛情が伝えられることを。自分が口にするのでは意味がない。彼が言ってくれないと、自分にはきっと価値がない。そう思えてならなかったのだ。
夕璃子には弟が三人いる。そんな中で、遠く離れた土地の大学に出してもらった。両親の負担を考えると、なるべく自分で生活費を捻出したかった。バイトに明け暮れても、自分のために使おうと思えるお金は雀の涙ほどしかない。家に帰って課題を終わらせると、ぐったりしてしまって、自分を磨くことにまで意識を向けられない。
もちろん、そんなのは言い訳だ。自分を変えることにも怯えているだけ。それはわかっている。でも、――変えたいことが多すぎて、なにから手をつけたらいいのか、わからなかった。