7.雨つぶの声(1)
『その喫茶店は、山の上にある。電車を降りてから少し歩いた場所だ。途中、右手には広く美しい池と日本庭園が広がっている。
店はこじんまりとしていて、白壁と緑の屋根が目印だ。入って左手の奥、ソファ席の窓からはだけ見える、美しい泉がある。曇りの日には翡翠のような色に見えるという。レモネードを頼むのが秘密の合図。翡翠の泉への鍵をもらえる。泉の中に、大切なものを一つ投げ入れれば、縁も悲しさも溶けてなくなるのだ。』
予知夢を見てもこの山にやってきたのは、この言葉に突き動かされたからだ。
オカルト系の話をまとめた掲示板で見つけたこの書き込みに、なぜだかわからないけれど、心を揺さぶられた。慧介とのつながりは、もう自分で断ち切ることはできなかった。この執着心を自分で制御できるとは思えない。
かといって、このまま隣に立ち続ければ、きっといつか、自分を失ってしまう。そんな予感があった。後戻りするなら、今しかない。
幸い、この喫茶店には覚えがあった。慧介と一緒にいつか行った場所と特徴が一致するのだ。あのときは、彼の最寄り駅から電車で向かった。駅からは十五分ほどだったか。
それ以外のルートだと、大学へ向かうバスに終点まで乗り、三十分ほど歩けば行けそうだった。慧介に万が一にも会わずに行けるのはそちらだったので、この道のりを選んだのだった。
夕璃子を乗せたバスは、静かに終着ターミナルへと滑り込んだ。窓硝子に映る、冴えない顔の女。ぽってりとした頬に、腫れぼったい一重まぶた、小さくて丸い鼻。東久世あやみとも、秋奈とも、他の大学の子たちとも違う。地味で魅力のない顔だ。
夕璃子が容姿に劣等感を持つようになったのは、慧介が入学してからのことだった。それまでは、平凡なりに気にせずに生きていた。でも、彼は隣に並ぶには異質過ぎたのだ。
バイトがない日は、いつも待ち合わせて帰った。一緒にスーパーで夕食の材料を見繕い、狭いキッチンで料理をして、レポートや課題をもくもくとこなし、それからキスをして、眠った。そんな毎日は、最高に幸せで、もの悲しかった。
慧介が夕璃子に抱く感情がわからなかったのだ。好きだとも付き合おうとも言われないまま、絡め取られるようにずるずると過ごしていく日々。何度か聞いてみようかと思った。好きだと告げようと思った。
でも、そのたびに、東久世あやみの言葉が胸を突いた。