6.黒の老婆
東久世あやみは、透明感のある白い肌に、すっと通った鼻筋と切れ長の瞳を持つ美人だ。身につけているのは雑誌に載っているような服ばかり。ハイブランドのバッグを持ち、ピンヒールをかつかつと鳴らしながら姿勢良く歩く姿が印象的だ。長い黒髪は手入れが行き届いてつやつやと輝いている。
彼女は、今年のミスキャンパス候補でもある。夕璃子とは真逆の人種だった。
学内には、慧介と彼女が付き合うことを望む人たちが一定数いる。彼女自身もその一人だろう。そして、そういう人たちは、得てして夕璃子に嫌悪感を向けるのだった。
高校のころは、あまり目立たなかった慧介だが、大学生になってからはいつも人に囲まれていた。垢抜けた様相と、ドライなようでいて人情味のある性格に惹かれる人は男女問わず多かった。
それなのに彼は、授業の合間、いつも夕璃子をそばに置いた。夕璃子はいつまで経っても慣れることができなかった。人の輪の中心へと呼ばれるとき、周囲から向けられる、値踏みされるような視線や、聞こえないようにかわされる嘲笑に。
くもり空が少し暗い、秋の昼間。大学の正門前からそのバスは出ていた。
授業を終え、秋奈と別れた夕璃子は、不思議な高揚を抱えながらバス停に並んだ。街へ降りていくバスはここからは出ない。一人で並んでいると、バスが滑り込んできた。「ああ……」と声が聞こえて、真っ黒な服を着た、魔女のような老婆がよたよたとやってくるのが見えた。
老婆は黒いスーツケースを重たそうに抱えていた。
バスの乗車口が開いたが、夕璃子は運転手に目礼をして、老婆に手を差し伸べた。スーツケースをその手から取り、曲がった背中を支えて先に乗せてやった。
いつもの定位置に座ると、少し前のほうにいた老婆がやってきた。雪のように白い肌には年相応に皺が刻まれてはいたものの、若い頃はさぞ美しかったのだろうと感じさせる容姿をした人だった。
「――さっきはありがとう」
老婆はしわがれた声で言った。夕璃子はあいまいに笑う。礼を言われるのには慣れていなかった。
「――悪いことは言わない、あんた、引き返したほうがいいよ」
老婆はひっそりと耳打ちをした。
「――え?」
「このバスの行き先。なんにもないんだよ。大方観光だろう。次で降りて、反対側のバスに乗りな。そのほうがきっと楽しいさ」
それは、魅力的な提案だった。でも、それでも夕璃子は、行かなければいけないという謎の確信に突き動かされていた。静かに首を振る。
「ありがとう、おばあさん。でも、この先に用事があるの」
夕璃子が言うと、老婆はしゅんと子どものようにうなだれた。それから「それじゃあ、いいことを教えてあげよう」とつぶやいた。
「この先で最初に目についたものに、なにか施しをしてやるんだ。いいかい、恥ずかしがるんじゃないよ。それが道を分ける」
老婆がそう言い終わったとき、バスが止まった。山の途中、なにもないような場所だ。彼女はこちらに振り返りひらひらと手を振った。そして、スーツケースを軽々とかついで降りていった。夕璃子は呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。