【22話】初めての喧嘩
昼休み。
昼食をとろうと食堂に足を運んだ俺は扉の前で絶望感に襲われていた。
「…混みすぎだろ。」
俺が通う大学では今日から本格的に実習やゼミなどの重要な授業が始まったということもあってか、食堂は昼食を求める学生や教職員らでごった返していた。
なにもみんなそろって食堂に来ることもないのに。
食堂は諦めてコンビニの弁当でも買いに行こうかと足を踏み出したとき、食堂の外側の壁に立てかけてある看板が目に入った。
『本日の定食 エビチリ』
エビチリ、エビチリだと!?
これは引き下がるわけにはいかない。
どんなことがあっても俺はエビチリをゲットしてみせる。
たとえ人ごみという荒波に揉まれようとも、陽キャ集団の視線に射殺されそうになろうとも(勝手な被害妄想)絶対に諦めない。
エビチリマスターに、俺はなる!
とまあどこからかお叱りが飛んできそうなフレーズは置いておいて、要はそれくらい俺はエビチリが好きだということだ。
そうと決まればすぐに行動だ。
こういう時ボッチであることは有利にはたらく。
人ごみの中をかき分けていくことも容易い上に、席は1席さえ空いていればいいのだ。
俺は現代の忍者かと見間違うほどの素早さで(嘘です、盛りました、ごめんなさい。)注文を終わらせると、端の方に開いている席を見つけてそこへ飛び込んだ。
「ふう、疲れた。でもエビチリのためだ。仕方ない。」
いまだ店内はごった返していて、席に座れず立ち食いしている学生も見受けられる。
そんな中俺が席を取れたのはやはりボッチだったからに他ならないだろう。
この様子じゃ注文したエビチリもなかなか来そうにない。
暇つぶしにゲームでもしようかとケータイを取り出すと、美結からメッセージが来ていた。
いつもなら着信音と振動ですぐに気づくのだが周りが騒がしく、なにしろエビチリをゲットするのに夢中で気が付かなかった。
「ねええーくん、お昼一緒に食べない?」
せっかく誘ってくれていたのに悪いとは思ったが、もう注文をした後だ。
いまさら別のところで食べるわけにもいかない。
「悪い。もう食堂で食べるとこだから。また今度。」
そう返信するとすぐに既読が付いた。
「じゃあ私が食堂行くね。」
「でも今は人がいっぱいだぞ。」
「いいのいいの。私お弁当持ってるから。」
「分かった。食堂入って一番左の端の席にいるから。」
ちょうど俺の隣の席が空いたところなので、美結もすぐに来れば座れるだろう。
そうこうしているうちにエビチリが運ばれてきた。
苦労して手に入れたエビチリはキラキラと輝いて見える。
美味そう。
いや、絶対美味い。
俺はそれを箸でつまんで口に入れる。
プリプリとした活きのいい食感と噛めば噛むほどに広がる濃厚なエビのエキス。
それにこれまた濃厚なピリッとしたチリソースが合わさって、文句のつけどころがない完璧なエビチリだ。
ああ美味い。
俺がそれを堪能していると突然横から声をかけられた。
美結か?と思って振り向くと想像とは違う人物だった。
「あのー、隣座っても良いですか?ここしか空いてなくて。」
「え、あ、はい。どうぞ。」
俺と同じ学生だろうか。
歳は少し上に見えるが、その端麗な顔立ちとサラッと背中まで伸びた長く艶のある黒髪に思考が止まってしまい、無意識に隣の席を使うことを許可していた。
しまった、美結が来るのにこれじゃあ座れない。
そう思ったがもう遅かった。
すると隣に座ったその人は、難しい顔をして固まったままの俺を見て気をつかい、
「あの、お隣迷惑でしたか?ごめんなさい、他の席探しますね。」
と言って席を立とうとした。
他人とのコミュニケーションが苦手な俺に、はい、友人が来るのでなどと今さら言えるはずもなく、かなりぎこちないであろう笑顔とともに慌てて引き留めた。
「あっ、いえ、全然大丈夫です、はい。座ってください。」
「いえ、急に座ってしまってごめんなさい。私は他を探しますから。気になさらないで。」
しかしその人は何かを察した様子でそれだけ言うと隣の席から立ち去った。
気になさらないでと言われても申し訳なさは残る。
もっとうまい言い方があったんじゃないかと考えてしまう。
するとそこへすぐ美結がやってきた。
「お、美結、たまたま俺の隣が今開いたところだったんだ。よかったな。」
「へえ。」
なんだかなり素っ気ない。
いつもなら、私のためにとっておいてくれたんでしょーなんて言いそうなもんだというのに。
体調でも悪いのか?そんなことを考えていると、美結がむすっとした顔でこちらを向いてこう言った。
「えーくん、さっきの人は誰?」
「え?さっきの人って?」
「さっきえーくんの隣にいた綺麗なお姉さん。」
「ああ、あの人か。てか見てたのかよ。あの人はたまたま隣に座ってきただけだ。」
「ほんとに?えーくん楽しそうに話してた。」
どうやら美結は遠目で俺を見たせいで、ぎこちない笑顔を楽しそうな笑顔と見間違えたらしい。
でも仮に俺が楽しそうにしていたとしても、なんでそれで責められなければならないんだ。
まったく理解に苦しむ。
「別に楽しそうになんてしてない。普通に話してただけだ。」
「普通には話してたんじゃん。だってえーくんコミュニケーション苦手だもん。知らない人と笑顔でお話なんてできないもん。」
俺のコミュニケーション力をなめないでもらいたい。
面識のない人といきなり話そうとするとちょっとテンパってしまうだけだ。
全く話せないなんてことはない、はずだ。
「そんなことないぞ。俺だってちょっとくらいは話せる。」
「そーなんだ、ふーん、私と柚葉ちゃんを差し置いてあんなに綺麗な人と…」
「え、なんて?」
「なんにもありませんよーだ。」
うわ、拗ねた。
美結はこうなってしまうとめんどくさい。
でも俺の何がそんなに不満なんだ。
俺何もしてないのに。
「なんだよ。別にさっきの人は隣に座ってもいいかどうか聞いてきたから、俺はそれに答えてただけだ。」
「ふーん、どうだか。それにもしそうだとしても、私が来るの分かってながらあの人に座ってもらったんでしょ。ふん、別にいいもん。えーくんは私よりあの綺麗な人の方がいいんだ。」
「何言ってんださっきから。俺はそんなつもりで席譲ったんじゃない。他に空いてなかったみたいだから断ったら申し訳ないだろ。」
「どうせあの人と一緒に食べたかったから私の誘いを1回断ったんでしょっ!もう、知らないっ。私ひとりで食べる。」
そう言って美結はさっさと食堂を出て行ってしまった。
「なんなんだよもう。そんなんじゃないって言ってんのに。なんかむかつく。」
俺は長らく忘れ去られていたエビチリを口に放り込む。
せっかくの大好物が完全に冷めてしまっていた。
その後のトイレは朝の予想に反して長いものとなった。