夢からの目覚め
「ニルヴァああっっ‼︎」
毛布を蹴り上げ、がばっと起き上がる。
ラドラスは恐怖に叩き起こされ、荒い息をついた。はあはあと背中を上下させると、額に浮かぶ脂汗を、手の甲で拭った。
「い、嫌な夢を、」
数日前、晩餐会でニルヴァが刺されてから、ラドラスは眠れぬ夜を過ごしていた。みるみる目の下に隈ができ、時折、頭もふわっと揺れた。
「ラドラス様、少しお休みください」
医師のイロンが心配そうに勧めてくる。もちろん、兄トラウルも同じことを繰り返した。
横腹を刺されたニルヴァの手術は終わり、イロンの手によって傷口は見事に塞がれたが、血液を大量に失ったニルヴァは、深い眠りについたままだ。
ニルヴァの側につきっきりだったラドラスにも限界が来て、イロンのベッドを貸してもらうこととなった。
飛び起きたラドラスは、息が整ってくると、額を手で押さえながらもう一度ごろんと転がった。その手を離すと、手のひらをかざして見る。
血で染まっていた手は、いつもと変わりのない、ごつごつとした大きな手だ。
(こんな不吉な夢を見るなんて……)
そして、すぐに身体を起こした。
(ニルヴァのところに行こう)
ベッドから足を下ろす。その途端、軽い目眩がして、ラドラスは動きを止めた。
すると今度は、ほろほろと涙が溢れた。夢を見ていた間にも泣いていたのだろう。頬は強張っていて皮膚が引っ張られ、目にも痛みがあり、まぶたは腫れ上がっているかのように重い。
(ニルヴァに、ようやく結婚を申し込もうと、)
サンダンスを守る赤髪王の頬を、冷たい涙が流れていく。
(ようやく、ようやく……愛していると、伝えるつもりで、)
「ニルヴァ、」
ふら、と立ち上がる。部屋から廊下へと出る。
「ニルヴァ、お願いだ、目を覚ましてくれ……」
廊下が。永遠のように、長く感じられた。
このままではニルヴァに辿り着くことができない。そんな中一歩一歩、力を振り絞って、なんとか足を出していく。
「死なないでくれ、死なないでくれ」
ニルヴァが眠っている部屋のドアが、限りなく遠く感じられて、ラドラスは必死で足を進めた。
✳︎✳︎✳︎
ニルヴァの枕元。自分の腕を枕がわりにして頭をもたせかけ、横になって眠るニルヴァの顔を見つめる。
唇はもちろんその水分をなくし、砂漠のそれのように乾燥している。そっと触れると、カサカサとした皮膚が指先から伝わってきて、ラドラスは堪らない気持ちになった。
この十日という長い時間が経ったのにもかかわらず、ニルヴァは未だに眠り続けている。
(目を覚ましてくれと、何度も言ったのに……)
耳元で囁いた。
お前を愛していると、何度も。
けれど、ニルヴァのまぶたは閉じられたまま。
悲しさ、苦しみ、ラドラスは人生の辛さを今、これでもかというくらいに味わっている。
「これ以上、眠り続けることになれば、衰弱して死んでしまうでしょう」
絞り出したように言うイロンの言葉を、聞いてしまった。ニルヴァの様子を見にきたトラウルに、そっと話している場面だった。
「それは本当か?」
診療所のドア一枚を隔てたところで重苦しい会話を聞き、ラドラスは絶望の淵に立たされた。
(あの時、)
自分がニルヴァと席を代らなければ。
レイやティズに任せず、自分が警備の手を加えていれば。
兄の弟として宴席に参加していなければ。
後悔は湯水のように湧いてきては、ラドラスを苦しめた。
悪い予感はあった。曲芸団の、足りない人数を不審に思ったのだ。それなのに。
ニルヴァの枕元に頭をもたせかけたまま、ニルヴァのぴくりとも動かない手を握った。それが温かいのか、冷たいのかもわからないほど、ラドラスの思考や感覚は鈍っていた。睡眠不足がその理由ということもあっただろう。けれど、ニルヴァをこのまま失うのではないかという恐怖と不安とが、そうさせているのだ。
「お前が毒蛇に噛まれた時も……こうしてお前の顔を見て、いた、な」
握ったニルヴァの手。その細い指がかすかに動いたのにもラドラスは気づかない。
「あの時は、目を覚ましてくれたじゃねえか」
横たえた顔。涙が、ラドラスの高い鼻梁を横切って、シーツへと落ちていった。
「ニルヴァ、目を覚ましてく、れ、頼む、頼むから、目を、」
涙で歪むニルヴァの眠る顔。遠い目で、ぼうっと見つめていた。
すると、ニルヴァのまぶたがふるっと震え、そしてすうと開いた。
まるで、蕾だった花が、今がその時だと、開花するような目覚め。
ラドラスの鈍っていた思考は、それを素直に受け止めた。ただ、頭のどこかで受け止めただけで、それを現実とは認識していない。
重い頭を起こす。真正面にぼうっとニルヴァを見ると、ニルヴァはその青い瞳を震わせながら、弱々しく笑った。
「……ニルヴァ」
握っていた手が、力強く握り返される。その力強さに刺激され、ラドラスはようやく自分を取り戻した。
「……ニルヴァ、やっと、……やっと起きてくれたのか?」
ラドラスがようよう喘ぐように言うと、ニルヴァも薄っすらと笑みを浮かべて、言った。
「ラドラスさ、ま、」
「ニルヴァ」
「わたし、長い間、眠っていたのです、か……?」
「ああ、お前はずいぶんと長い間、眠っていたよ」
流れる涙を拳でぐいっと拭った。
「……ゆめ、を見ておりました」
ニルヴァが横にしていた顔を、上へと向ける。横たえた身体をも仰向けにしようと動かし、傷が痛むのかその痛みに顔を歪ませる。
「に、ニルヴァ、大丈夫か、」
ラドラスにもようやく、確かな意識と感覚が戻ってくる。
「大丈夫です。でも身体がぎしぎしと痛いような気がします」
「ずいぶんと寝坊したからな」
ラドラスが真面目な顔で言うと、ニルヴァは薄く笑った。
「どんな夢だった?」
ラドラスが優しげに聞くと、ニルヴァは天を見上げて、目を瞑った。
ニルヴァが、目を閉じていくのを見て、少しだけラドラスは不安で揺れた。また、眠りに就いてしまうのではないかと。
慌てて、もう一度問う。
「ゆ、夢はどんなだったのだ?」
すると、目を瞑ったまま、ニルヴァは嬉しそうな顔を浮かべてた。
「太陽と、月と、」
ニルヴァの目尻に涙が滲み、それは雫となり、ほろっと落ちた。
「星、の夢です」
ラドラスは握ったニルヴァの手を引き寄せて、その甲にそっと口づけた。
「ニルヴァ、愛している、お前を愛しているんだ」
衝動に任せて、丁寧に言葉をなぞらえる。
それはニルヴァに出逢い、正しき道を手繰り寄せたラドラスにとって、人生で最も、心が震える瞬間でもあった。




