月明かりの恋情
びゅお、びゅおっと風を切るような音がして、庭を歩いていたニルヴァは怪訝に思い、その音へと進んでいった。
バラ園から少し入ったところに、小さな噴水がある。噴水の真ん中には、水瓶を持つ女性の彫刻があり、その水瓶から水が溢れ出ているのだ。
(いつもは水の音だけなのに……なんの音だろう?)
水量が少ないため、ちょろちょろと細い水音だが、ニルヴァにとっては心地いい音量だ。このバラ園にバラを取りに来るだけでなく、時々心を休めるためにも、ニルヴァはこの噴水によく来ていた。
びゅお、という音は、まだ続いている。
ニルヴァはバラ園にある大きなライ樹の陰から、そっと噴水を覗いた。
(誰だろう)
暗がりで目を細めていると、次第に目が慣れてくる。
月の光が意外にも明るい夜。その光を反射させながら、きらりとなにかが走った。
(あ、ラドラス様っ)
大きなシルエットだったものが、そうだとわかると、その月の光ははっきりしたラドラスを浮かび上がらせていった。
(剣の練習をされているのでしょうか)
剣を上段に構える。そして、ふうっと息を吐きながら、それを真っ直ぐに振り下ろす。下ろした先から、すうっと横へ。中段で構えると、次には真横へ、びゅっと振った。
(……凄い、)
剣の稽古など、近くで見たことはない。あまりの迫力に、ライ樹の陰から身を乗り出して見入っていると、ラドラスが誰だ、と声を上げた。
「す、すみません。ニルヴァです」
「ニルヴァ? こんな夜にどうしたのだ?」
今はもう、優しさしか感じない、ラドラスの声。
バラ園を出て噴水へと向かうと、ニルヴァはラドラスに近づいていった。
「それがその、今朝バラを切りに来た時に、これを……」
噴水のアーチへと手を伸ばす。その先に、枝切り鋏が置いてあり、ニルヴァはそれを握った。
「うっかり忘れてしまって。夜露で錆びてしまわぬ内にと、取りに参りました」
「そ、そうか」
ラドラスの表情は、ちょうど月の光の影となり、距離のあるこの位置からはよく見えない。
ニルヴァはもう少しだけ、ラドラスに近寄りたいと思った。
「お稽古の邪魔をしてしまい、申し訳ありません」
すみません、と言いながら、一歩前へと出た。
ラドラスはその拍子に一歩、後ろへと下がる。
「ラドラス様?」
名前を呼びながら、また一歩前へ進むと、ラドラスはやはり後ろへと下がった。
「ニルヴァ、俺は今、剣を持っているから、近寄っては危ない」
ニルヴァは、はっとして歩みを止めると、そそと後ろに後退した。
「す、すみません。お邪魔をしてしまいました」
「いや、いい」
「それでは、おやすみなさいませ」
「き、気をつけて帰れ」
「はい、」
ニルヴァは落胆しながらも、軽い足取りで帰った。
(ラドラス様に、こんな思いも寄らぬ場所で、お会いすることができた)
すらりと剣を振った、その姿。大きな身体に、太い腕。身体全体を覆う、隆々とした筋肉。
(あの、大きな手で頬を包まれると……)
なんとも言えないほどの安心感と幸福を感じられた。
(もうすぐ、勤務地に戻られると聞いている。その前にこうして会えたのは、本当に嬉しい……)
ラドラスの、剣を操る凛々しい姿に、胸が熱くなった。ニーナやちびリーナを軽々と持ち上げる、あの力強い腕に抱きしめてもらえたら、どんなに嬉しいだろうか。
(恋い焦がれるということは、こういうことなのかな)
ニルヴァは、部屋へと戻ると、偶然にもラドラスに会えた奇跡を胸の中に仕舞い、そして眠った。




