自分にできること
「まだ包丁を上手に扱えないのです」
ニルヴァがしょぼんと、うな垂れたまま、包丁を持つ手を止めた。
左手に持つ人参は、がたがたに形を崩し、その原型を留めていない。
「皮を剥くだけでこんなことになってしまうなんて」
人参を悲しい目で見る。
「包丁を使うのは『慣れ』もあるから、何度も切ったり皮を剥いたりしないと上達しないよ。ニルヴァは家庭教師の仕事もあるのだから、片手間になってしまっても仕方がない」
「そうでしょうか」
「それに、あんたはずっと何もさせてもらえなかったんだろ?」
「はい、アイルでは乗馬をしただけで……」
「それで最初から上手にやろうだなんて、無理に決まってるさ」
「シバム……」
サンダンスの城、王トラウルの元で暮らすうち、ニルヴァの理解者は少しずつ増えていった。
このシバムも、最初は遠巻きにじろじろと物珍しげに見ていたが、料理を習いたいと熱意を伝えると、休み時間や休日に時間を割いてくれるようになった。
「まあ、俺はもともと器用な方だから、最初っから上手くできたけどな」
「それは、私がとんでもなく不器用だということですね?」
ニルヴァが口を尖らせると、わはははと豪快に笑って、手を頭に乗せた。
「そりゃ、この人参を見りゃ、一目瞭然ってもんだろー」
「シバムは、見かけによらず、意地悪な人だったんですね」
次には人参を一口大に切っていく。だん、だんっと、包丁がまな板を打つ音が、調理室に響いた。
「みんな、騙されています、よ、」
人参を切りながら、ニルヴァはシバムに会った頃のことを思い出していた。
「すみませんが、どなたか私にクッキーの作り方を教えていただけませんか?」
調理室をおずおずと覗き込むと、たくさんの調理人が一斉に、ニルヴァを見た。
みな、手は止めるが、怪訝な目を寄越すだけで、誰も何も言葉を発しない。
居たたまれなくなったニルヴァは、開けていたドアに掛けていた手に力を込めた。
「なんだって? クッキーだって?」
「どうしてそんなもん……」
「お姫さまの時間つぶしか?」
ひそひそ声が調理室のあちこちで起こる。そのうち、批判的な声も上がり始めて、独特な香辛料の香りが充満する部屋が、重苦しい雰囲気になった。
「俺ら、そんな暇じゃねえし。なあ?」
「良いよなあ、別に自分で作んなくても飯が食える奴らは」
その重苦しさに耐えるためニルヴァが唇を噛もうとした時、背後から声が掛かってニルヴァは振り返った。
「なあ、あんた。クッキーの作り方ならシバムに聞きな」
大柄な男がぽつんと立ち尽くしていたニルヴァを押しのけて、調理室へと入る。
ニルヴァでも見知っている、料理長のカインだ。
「どんなものを作りたいのかは知らねえが。シバム、お前、この子に教えてやれ」
すると、ニルヴァを見ていた調理人が、次には一斉に一人の若い男の方を見た。注目を集めた若い男は驚きながら、声を上げた。
「え、俺?」
「こいつ、菓子も作れるんだ」
「ちょ、と待ってよ。俺、……」
面倒くさいことをと、ニルヴァをギロッと睨みつけた。
その睨みと、他の人々のじとっとした視線。
ニルヴァは、その覚えのある視線を感じると、久しぶりのことではあったが、人とは違う自分の容姿を強烈に認識することとなった。
(ああ、私という人間はどこへ行っても、受け入れられない)
シバムの言いたいことはわかったが、今回はニルヴァには、引けない理由があった。どうしても、料理を習いたかったのだ。
「お願いします。クッキーの作り方を教えてくださいっ」
ドアから身を乗り出して、頭を下げて頼む。
この時、ニルヴァは花を拾ってくれたラドラスに、お礼をしたいのだという確固たる理由を持っていた。
(甘いものがお好きと聞いて、居ても立っても居られなくなって……)
自由になる金品は無く、手作りでなんとか作るしかないと思った。材料費ぐらいはと思い持ってきたものは、アイル王国を出立した時にたった一つ持って出た、飾りのついた短剣のみ。身を守るために、常に懐に入れていたものだ。
ラドラスに初めて出会い、追いかけられて逃げた時。結局は、これで身を守ることは叶わなかった。
そんなこともあり、この短剣を目にすると、目眩がしたり吐き気をもよおしたりしていた……のだが。
(最近は、そうでもない)
周囲を見渡すと、あとはラドラスやトラウルからの贈り物しかなく、自分の物で手元に残ったものは、この短剣しかない。
「わかったよ、教えてやる」
シバムがそう言ってくれたのが嬉しくて、懐からその短剣を出した。
「ではこれで、」
短剣を見せた瞬間。
「お、おいっっ、何してんだっっ」
「ちょ、待て待て、いったいなんなんだ?」
「早く、それを仕舞ってくれっっ」
調理場がパニックに陥り、ニルヴァは慌てて短剣を懐へと仕舞った。
「ご、ごめんなさい。お礼にこれをと思って、持ってきたんですが……」
ニルヴァの言葉に、調理室がどっとわいた。
「わはは、何だそれっっ。面白いお姫さまだっっ」
「いったい、何が始まるのかと思っちまったぞー」
「世間知らずもいいとこだ。こんなところに強盗なんぞに来ても、盗るもんなんかなんもねえぞ‼︎」
笑いが起きて、ニルヴァは恥ずかしげに顔を赤らめた。
「わ、私はただ、お礼にと思って……」
「わかったわかった。ただで教えてやるから、そんなもの、もう出すんじゃないぞ」
腰に手を当て、呆れて立っていたシバムが、こっちへ来いと手招きする。
ニルヴァはこうして初めて、ここで調理という行為を習い、そして知った。




