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太陽と月と星と

「こっちよ、こっちー‼︎」


ころころと転がるような声に、つい視線をやってしまった。


トラウルに会った後、軽めの昼食を摂り、ラドラスが部屋へと戻ろうと廊下を歩いている時。窓から飛び込んできた楽しそうな声に、思わず目を向けてしまったのだ。


「ニーナ、ニーナ、待って」


換気のために、窓が全開に開いていたのも悪かった。


(……しまった)


内心舌打ちしたい思いがしたが、視線はとっくにそこへと誘導されてしまっている。


中庭の、芝生の上を走るニルヴァと幼い女の子の姿。


(……ああ、ニルヴァ)


思い出の中に眠るニルヴァの銀色の髪は。


そのまま長く伸ばされ、どんなに美しく流れているだろうかと思っていたが、実際は肩より短く切られていて、後ろから見るとまるで男の子のような様相だ。ドレスを着ていなければ、ぱっと見、小柄な少年のようだ。


想像していた姿と現実とのギャップに、少しだけ口元を緩めた。


(ニルヴァ、なんともお前らしい……)


けれど、その艶やかな銀色の輝き。たとえ、短く切られていても、陽の光を反射させ、キラキラと光り輝いているのには間違いない。


髪を振り乱しながら、手を伸ばしては空を掴み、空を掴んではまた手を伸ばして追い掛ける。その手の先には、やんちゃそうに笑う、女の子の存在。


「きゃはは、こっちよー」


伸ばすニルヴァの手を避けながら、女の子はきゃっきゃと跳ねたり飛んだりしている。


「ニーナ、もう降参よ。お願い、こっちにおいで」


もうだめ、と息を何度も吐きながら、その場に崩れて座った。へたり込んで背中で、はあはあと息をしているニルヴァの姿。


それをラドラスは遠い目をしたまま追った。


(……そっか、もう子どもをもうけたのか……)


ニーナと呼ばれた可愛らしい女の子は、スキップをしながらニルヴァへと近づいていく。その度に、ふわりふわりと揺れるドレス。


「もう降参なの? 本当に?」


そう言ってから体勢を変え、そろりそろりと忍び足で、ニルヴァへと一歩一歩、近づいていく。


そこへニルヴァが、わっと飛びかかる。ニーナが笑いながら、その攻撃をすり抜けようとしたが、ニルヴァが覆いかぶさるようにして、ようやく捕まった。


「やだやだ離してー、ずるいよう」


背中から抱きしめられたニーナは、足をバタバタとばたつかせ、笑いながら暴れた。


(……なんという愛嬌のある可愛い子だ。そうか、やはり黒髪の子となったんだな)


ラドラスは、知らずと窓に近づいていた。三階からは広い中庭が見渡せて、そこで鬼ごっこをしている二人がよく見える。


ニルヴァとトラウルの子。きっと黒髪で生まれてくるのではないかと、なぜか漠然とした予感があった。


けれど、もし。銀の髪だったとしても、愛らしく可愛いことに間違いはない。トラウルも溺愛するに違いないのだろう。


「こらあ、ニーナ。まだお勉強が残っているでしょう?」


背後から捕まえたニルヴァの銀の頭が、あちこちにゆらゆらと揺れる。


「お勉強はもう終わったもの」


「何を言ってるの、昨日の分を終わらせただけじゃない」


その言い方に、ラドラスは思わず、ふはと笑った。


(ああ、幸せそうだ……)


心の中があっという間に満たされていく。


もし、ニルヴァを目の前にしたら。


欲にまみれた自分の抑えがきかず、ニルヴァをまた力ずくで自分のものにしてしまうのではという恐怖を抱いていた。


けれど。


このような愛らしい子と二人、楽しそうに笑い合い、そしてこんなにも幸せそうな顔を見れば。


(それを奪うことなど、到底できない……)


ラドラスは一歩、後ろへと下がったが、窓からは離れなかった。ずっと二人を見ていたい気持ちにかられ、その場を離れがたくて仕方がなかったからだ。


これ以上見ていてはいけない、去らねばと思う気持ちと、もっと眺めていたいと思う気持ちがせめぎ合う。 幸せな姿はもう見れたのだから、それで十分ではないかと、自分に言い聞かせる。


けれど、視線は離れない。離せない。


(ああ、ニルヴァ、……俺はまだお前をこんなにも、)


次々に溢れる想いに、唇を噛んで耐える。


その銀の髪から香るだろう、優しい日向のような香り。


何度も覗き込んだ、青い瞳。それは中心に幾何学模様が刻まれていて、今にも吸い込まれそうに深くて美しい。

滑らかな白い肌。透き通るような薄い皮膚。


その中に根のように張っているしなやかな血管によって、ニルヴァは今、幸せに生きている。


(良かった、本当に……良かった)


何度もそう思った。


その時。


小さな黒い頭が動いた。


ニーナが振り返って、ラドラスを見たのだ。


「あー、真っ赤なお日さまみたいー‼︎」


声を上げて、指をさす。


ラドラスは、はっとして、じりと後ろへと下がった。


ニルヴァが、その小さい指を辿って、振り返る。差し込む光が眩しいのか、手でひさしを作りながら、目を細めている。


(ニルヴァっ)


「……ラドラス様っっ」


ニルヴァが、焦りを含む、切羽詰まった声を出した。直ぐにも、ニルヴァはニーナから離れて、そのままテラスへと駆け込んだ。


(……ああ、やはり、)


ラドラスは、自分の手の甲を口元に寄せた。よろ、と身体が崩れるのを、必死になって耐える。


(やはり、俺はまだ、こんなにも……お前に嫌われている、のか)


ニルヴァにした過去が怒涛のように湧いて出て、頭の中を支配していく。ラドラスは天を仰いだ。


(そりゃ、そうだろ……)


「はは、そりゃ逃げたくもなる、よな……」


ころんと言葉が落ちた。呟くように言う。すると今度は。後から後から後悔の念が渦巻いてきて、ラドラスを責め立てる。


(だから、言っただろう……ニルヴァには会わないほうがいいと、何度も。……俺の顔なんか、見たくもないだろうに。あんな過去なんか思い出したくもないだろうに)


ラドラスは窓から離れ、そして踵を返した。


(帰ろう、すぐにもここを離れて……明日の朝早くに、いや、今夜だ。今夜にでもすぐに、)


ふらと揺れる身体で、あてがわれた部屋へと戻ろうとしたその時。


はあはあと息を切らして、下の階へと続く階段のホールから、ニルヴァが姿を現した。


「ラドラス様」


「に、ニルヴァ、」


ニルヴァが近づいてくる。時々、ドレスの裾を踏みそうになる度、ニルヴァはドレスをたくし上げて、そして真っ直ぐに歩いてくる。


「ラドラス様」


笑みは浮かべていない。眉は歪み、唇も波を打っている。


自分の顔はどうか。呆けた顔をしていないだろうか。


ニルヴァを前にして、手は伸ばせない。


そう思い、ぐっと手に力を入れて、握りこぶしを作った。


(ニルヴァは兄上のものだ。兄上の妻だ。子どももいて、幸せに暮らしているのだ)


それでも愛しいニルヴァが、目の前にいる。


涙が溢れ出た。耐えられなかった。


「ラドラス様、お元気でいらっしゃいましたか?」


「……ああ、元気だ」


すると、ニルヴァの目にも大粒の涙が溜まっていった。


「ニルヴァ、お前は、……」


元気だったか? いや、聞きたいことはそんなことではない。


「幸せか?」


ニルヴァは、涙を零しながら、笑って言った。


「……いえ、」


ラドラスは驚いて、ニルヴァを見た。ラドラスの喉が、ぐうと鳴った。


「どうして、なぜだ、」


ニルヴァは、余計なことを言ってしまったとでもいうように口元を押さえた。流れる涙はそのままにして。


「……ラドラス様、」


押さえた口元で、くぐもった声。それでも、自分の名を呼んでくれた。


「ニルヴァ、ニルヴァ、なぜだ。幸せではないなんて、それはどういう……」


ニルヴァが濡れた瞳を向けてくる。


ラドラスはその青い瞳に釘づけになるどころか、くらくらと目眩さえ覚えた。


そこへ、バタバタと軽い足音が近づいてきた。


「ニルヴァー」


ニーナが走ってきて、ニルヴァに飛びついた。ニルヴァはニーナを抱っこすると、程よい高さとなったニーナの視線がラドラスと重なる。


「真っ赤な髪っっ」


ニーナの楽しそうな声が廊下に響く。


「ラドラス様、この子はニーナです。トラウル様の大事な大事な宝物です」


ラドラスは頬に残る涙を手の甲で拭い、顔を少し近づけると、限りなく優しい声で言った。


「ニーナ、初めましてだな」


「うんっ、初めまして太陽さんっ」


「太陽?」


ラドラスが聞き返すと、ニーナははにかみながら小さく言った。


「だって、真っ赤に燃えてる太陽みたいなんだもん」


「はは、この髪がそうか」


「うん」


ニーナはにっかりと笑うと、ニルヴァの腕から降りた。そして、ニルヴァと手を繋ぐ。


するとニーナが小さな小さな手を、ラドラスの前におずおずと差し出した。


「ニーナ?」


ニルヴァが微笑みながら問うと、ニーナは元気よく声を上げる。


「だって、この人が太陽さんなら、ニルヴァはお月さまでしょ?」


ラドラスが苦笑しながら、ニーナの手を握る。ラドラスは手の中の小さな存在を愛おしく思った。


(子どもとはこうも可愛らしいものなのか……なんという至福の存在だ)


だが、現実は違う。


ラドラスにとっては、それが遠い存在なのだと思い知る。もちろん、それは兄トラウルのものだからだ。


ニルヴァを諦めよう、忘れようと、他の女を求めた時もあった。けれど、誰と付き合っても手に入るのは、虚しさのみ。


誰ひとりとして愛することができず、誰ひとりとして必要と思えなかった。


「ラドラス様が太陽で、私がお月さまね」


ニルヴァの声で、はっとする。


「すると、ニーナはお星さまかしら?」


優しみを帯びた表情で、ニーナに話しかけるニルヴァを遠い目で見る。


ラドラスの胸は張り裂けそうになるほど、複雑な思いによって、どんどんと膨らんでいった。


(ニルヴァ、お前は良い母親になったのだな)


ラドラスは思った。


(ああ、こうして親子三人で……これが俺の本当の家族だったら、……ニルヴァが俺の妻だったら、どんなに良かっただろうか)


喉から手が出るほどに欲した家族。温かく優しく、心地の良い。そして、ニルヴァ。ニルヴァが必要なのだ。ニルヴァしか、愛せないのだ。


(……俺のこの、往生際の悪さといったらない)


苦く思う。


「ねえ、手を繋いでよう」


ニーナが口を尖らせて言う。


「ん、ちゃんと繋いでるぞ」


ラドラスがニーナの手を握った右手を上げる。その様子を、ニルヴァも見ている。


「違う、こっちも」


ラドラスの空いた方の手を指差す。どうやら、ラドラスとニルヴァに手を繋げと言っているようだ。


ラドラスとニルヴァは顔を見合わせて、お互いに困り顔を浮かべた。けれど、どちらからともなく、手を握った。


ニルヴァの細っそりした手を感じる。滑らかな肌も、ラドラスがニルヴァに出会った頃のままで、ラドラスの琴線に触れた。


じわりと、温かい体温が伝わってくる。


「これで、太陽さんとお月さまとお星さまが、お空で一緒になった‼︎」


ニーナは笑って、両の手を、ぶらぶらと振った。


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