嫉妬心
「それにしても命が助かって良かった。まさかラドラスのお付きの侍女が、嫉妬心からお前を殺そうとするなんて」
イロンが、いつものように薬を調合しながら、ベッドで横になっているニルヴァに話し掛けた。
「イロン様のお陰で、命拾いを……しました」
ニルヴァが苦く笑う。
あの日、テーブルの上に置かれていたジュエリーボックス。ニルヴァはなんの躊躇もなくその蓋を開けた。
その時。
ニルヴァは、あっと声を上げた。
中に、小ぶりの蛇がとぐろを巻いて潜んでいたのだ。
小ぶりとは言えども、身体に縞模様のある、危険極まりない毒蛇として有名なもの。蛇は頭をもたげると、大きな口を開いて威嚇し、あっという間にニルヴァの手首に食らいついてきたのだ。
「痛っっ」
ニルヴァはその瞬間、顔を苦痛に歪めた。手首を噛んだ蛇は、すぐさまその場を離れ、くねくねとその身体を曲げながら、どこかへと姿を消した。
「あっという間に噛まれてしまったので、逃げる間もありませんでした」
噛まれたことはわかっていたが、どうしていいかわからずに、傷口を押さえては、おろおろとしてしまった。その時、イロンの顔が浮かび、診療所へ向かおうとしたのだ。
けれど、すぐに気分が悪くなってきて目の前がぐるぐると回り、そこで崩れ落ちるようにして倒れ込んでしまった。
口を開けようにも、声も出ない。
噛まれた手首にあった痺れが、身体の全身に広がっていき、ついには指一本、動かすこともできなくなった。
(た、たす、け、て、)
その時、傾けていた頭のすぐ側に、誰かの足が見えた。
「あーあ、これでもう、あんたも終わりね……」
聞き覚えのある声だった。
「横から出てきて、ラドラス様を掻っ攫おうなんて、見かけによらず売女なんだねえ」
声の主を、霞む目で探す。
「ラドラス様はねえ、確かに皆んなに嫌われる乱暴者だけど、お金はたくさん持ってて、ちゃんと見返りはくれるのさ」
腕に何かの感覚を感じたが、腕を掴まれているのか踏まれているのかもわからないくらい、痺れによって痛みも全く感じない。
女の声が、脳に直接響いてくる。
ニルヴァは虚ろな目で、女を見た。
それは確かに、ラドラスの侍女のカレンだった。
「私にとってあんな良い男はいないんだよ。それをあんたみたいなへんちくりんの女と結婚だって? いい加減におしよ、ラドラス様をあんなに振り回しておいて何が楽しいんだい?」
ぐわんぐわんと、言葉が頭の中を回る。
「あんたの青い眼といったら……ああ、気持ち悪い。しかも髪の毛もねえ、こんな変な色は見たことないよ。こんな女と結婚するだなんて、ラドラス様にも呆れたもんだ。王女だかお姫様だか知らないけど、あんたみたいなのは死んだ方がマシだね」
ニルヴァの目尻から涙が小さく零れ落ちた。
(そうなのかもしれない、私みたいな人間は、死んだ方がいいのかも知れない)
痛みも痺れも、そして心も。何も感じなくなっていった。
そこにあるものは、空虚。
ニルヴァは意識を失う前に、「毒が回ってきたみたいだね。さあ、あんたの旦那さまとやらを呼んでやるよ」
旦那さま、誰のことだろう。こんな私と結婚してくれる人なんて、誰もいないだろうに。
(……けれど、少しだけ。死ぬ前に少しだけでも、誰かに愛してもらいたかった)
ぽつりと浮かんだ思いは、ニルヴァの意識とともに、泡のように消えた。
「カレンが、毒を飲んだ、と言った時、おかしいとは思ったのだよ」
イロンの言葉に、はっと意識を戻した。
「毒を入れたような容器もなければ、お前の口元にそのような痕跡はなかった。それに、学のないカレンがお前を一目見ただけで、毒を飲んだなどとわかるわけがないからね。だが、その言葉を信じて、すぐに毒抜きをしたのが、功を奏したわけだ。カレンが、廊下でラドラスとかち合って、気が動転しなかったら、こうもすぐに『毒』には結びつかなかっただろう」
「ラドラス様が、私をここへ運んでくださったと聞きました」
「そうだよ、ラドラスのあの形相と言ったらなかった。ラドラスは、お前を……」
イロンは口を噤んで、止めていた手を動かした。ガラス瓶に緑色の液体をそおっと注ぎ込んでいる。今度はその手を止めずに、言葉を続けていく。
「いや、こういうことは本人の口から言わせなければな」
イロンは、持っていたガラス瓶を軽く振ると、窓から射す太陽の光にかざし、その色を確認する。
ニルヴァは、その太陽の光に誘われるようにして眠気を感じると、目を瞑っていつのまにか、眠ってしまった。




