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呪詛


「ニルヴァ、ニルヴァ、」


横たえられたニルヴァの顔は、まだ蒼白なまま、時間だけが過ぎていく。


「ラドラス様、少しお眠りになった方が、」


イロンが勧めても、ラドラスはニルヴァから離れなかった。


「いや、ここでいい。仮眠もここで取る」


「それにしても、どうしてこんなことに? 毒なぞ、どこから手に入れたのでしょうか」


イロンが首をかしげるも、ラドラスは生気のない目でニルヴァを見つめるだけだった。


ニルヴァが倒れてから、丸三日。ラドラスは不眠不休でニルヴァの側を離れなかった。


そんなラドラスの血の気のない顔には、どす黒く変化した青痣が浮かんでいる。唇は切れ、腫れ上がっていて、見るも無残な様相だ。


その青痣や腫れ上がった唇も、ラドラスの様子を不健康に見せていた。





ニルヴァが倒れた日。


怒り狂ったトラウルが、イロンの診療所に怒鳴り込んできた。


「ラドラスっっ、今度はいったい何をやってくれたのだっ‼︎ この大馬鹿者がっっ‼︎」


トラウルに胸ぐらを掴まれても、ラドラスは反抗しなかった。


「今度はニルヴァに何をしたと聞いておるのだっっ」


トラウルは大声を上げながら、掴んだ胸ぐらを引っ張り上げた。


けれど、ラドラスはそれでも無言のままで、見るところ全てが脱力してしまっている。心ここに在らずで、視線も定まらない。


そんな様子に少し狼狽えたのか、トラウルは掴んでいた手を乱暴に突き放した。その拍子に、ラドラスは床に尻もちをついてしまった。


イロンが横から言葉をかける。


「トラウル様、ニルヴァは自ら毒を飲んだのです。ラドラス様だけのせいではありません」


「そんなことはない、ラドラスが悪いに決まっている。……まさかとは思うが、またニルヴァを力づくで、」


「やってないっ‼︎」


ラドラスは顔を跳ね上げた。


「そんなことするはずがない、俺はニルヴァを大切にしよう、と、」


「ならなぜ、こんなことになったっ‼︎」


トラウルの激怒は収まらなかった。


「お前のためにと、ここまでお膳立てをしてやったのに、……本当にお前という男は……俺やこのサンダンスをどこまで苦しめたら気が済むのだ。もし万が一にもニルヴァに何かあってみろ、アイルの国王に……ニルヴァの父君に、どうやって説明すればいいのだっっ」


「トラウル様‼︎」


横に割って入ったイロンが声を荒げた。


「とにかく、今はニルヴァの回復に全力を尽くします。が、ラドラス様を連れていってはもらえないでしょうか。ここでこんな風に座り込まれていては、治療の邪魔になるだけです」


「い、イロン、ここに居させてくれ」


ラドラスの縋りつくような情けない声に、二人は苦虫を噛み潰したような顔を、見合わせた。


「ラドラス、来い」


腕を引っ張り上げて、ラドラスを促す。威厳のあるトラウル王に、今の腑抜けたラドラスでは、到底、敵わない。


ラドラスはよろよろとよろけながら立ち上がると、後ろ髪を引かれながらもイロンの診療所を出た。


「ラドラス、お前にはほとほと愛想が尽きた。兄弟の縁を切りたいが、そうもいかない」


「……そんなことはない、兄弟の縁なんて、とっくの昔に切れているだろ」


ニルヴァから離れ、正気を取り戻したラドラスが、トラウルに食ってかかった。今度はラドラスがトラウルの胸ぐらを掴んで、迫った。


「あんたには俺の気持ちはわからないっ、つまはじきの俺とニルヴァがどんな思いをして生きてきたかなんてなっ」


「そんなもの、わかりたくもない‼︎ それにお前とニルヴァを同列にするなっっ‼︎ 彼女はちゃんと自分の身分をわきまえている。お前のようにふらふらせず、きちんと自分の足で立っているのだ‼︎」


「……くそっ」


正論を言われて、ラドラスは押し黙った。けれど、トラウルは言葉を発するのを止めなかった。


「このサンダンスの不幸はな、全て、お前の存在自体に起因するのだ」


ラドラスは顔を上げて、トラウルを見た。


『自分が原因でみなが不幸になる』


そのトラウルの言葉が、ラドラスの心の奥底に溜まった沈殿物を、巻き上げてしまった。


『そうなのかもしれない』常々そう思っていたものが、今ラドラスの中で、『そうなのだ』という確定的なものへと、決まった瞬間だった。


ニルヴァを大切にしようと思うほど、ニルヴァを不幸にしていくという現実も、これでもかというほどに、ラドラスを打ちのめしていく。


心臓にナイフでも立てられたような、酷い痛みに襲われる。


(そうだ、そうなんだ。俺のせいで、皆が不幸になる。俺の存在自体が、間違っているのだ。俺の存在自体が、ニルヴァを追い詰めて……)


これほどまでに、自分を呪ったことは、今までになかったかも知れない。


けれど、それでも目の前にいるこの出来の違う兄に対して、抗いたい気持ちがまだ残っていた。自暴自棄とは、このことであろうか。


「だったら、あんたも不幸にしてやる……みな、不幸になればいい、兄上もイロンもこの城もこのサンダンスの国民も、……ニルヴァだって不幸に、」


そこまで言い切ったところで、頬に一撃を食らった。


暴力とは縁遠い、兄トラウルの拳によって殴られた。初めてのことだった。ラドラスはその衝撃で、地面に倒れた。切れた唇から、血が滴り、地面に赤い染みをつけていく。


「……ラドラス、お前はもう、この国から出て行け」


兄の抑えた声があまりに低く、ラドラスはトラウルの本心を、垣間見た気がして震えた。


トラウルはそう言い放つと、その場を離れていった。


取り残されたラドラスは、その場に倒れ込んだまま、当分の間動けずにいた。


血の苦味がしたが、心はもっと苦く、そして苦しかった。


「ニルヴァ、……すまない」


涙が零れ落ちた。


初めて、誰かに対して、申し訳ないという気持ちが湧いた。


「すまない……俺のせいで、こんなにも辛い思いを、」


今は診療所で生死の境を彷徨っているニルヴァに。


ラドラスはそのまま地面に伏せると、額を擦りつけて謝罪の言葉を繰り返して、慟哭した。






それから、ラドラスはニルヴァの側につきっきりとなり、束の間でも離れなかった。


夜。ニルヴァの横顔をじっと見つめる。


その目はまだ閉じられているが、いつもラドラスの瞼の裏には、青い瞳が映し出される。いつでも思い出すことのできる、ニルヴァの瞳。


「ニルヴァ」


手を伸ばして頬に触れる。


頬に触れた指先を、触れるか触れないかの距離でそっと移動させる。


高くも低くもない、小ぶりな鼻へ。そして、柔らかい唇へ。


その唇は時々、薄く開いてはまた閉じる。


銀色の睫毛は時々、ふるりと揺れる。その度に薄い瞼がぴくっと痙攣すると、どうか早く目覚めてくれと、ラドラスの心をざわつかせた。


(このまま、お前が目覚めなかったら……俺はどうしたらいいのだ?)


また、乱暴で自暴自棄な人生に逆戻り。ニルヴァを失うことを考えると、絶望の淵から、奈落の底へと飛び降りたくなる。


ふと、気がついた。


ニルヴァと出逢ってから、ラドラスは誰にも暴力を振るってはいない。


「あ、」


すると、涙がまた溢れてくるのだ。


「ニルヴァ、ニルヴァ、目を覚ましてくれ。この先、俺はどうしたらいいんだ。ニルヴァ、俺は、お前を……」


そっと、指先をその頬に滑らす。


「愛しているんだ」


死なないでくれ、お願いだ、死なないでくれ、お願いだ、目を覚ましてくれ、……


呪文のように、何度も繰り返し、呟いた。



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