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「珍しいこともあるものだな」


難しい顔をしているトラウルを尻目に、ラドラスは目の前にある机の上にどかっと足を上げて、そして両手を広げた。


「俺になんの用だ?」


「ラドラス、もちろんお前に用があって来たのだが」


「おお、怖ええ。一体何を命令されるんだ?」


ラドラスが茶化した言い方をしても、トラウルは難しい顔を崩さない。


「……なんだよ、何の用だ」


トラウルのあまりない異様な雰囲気に、ラドラスは少なからず動揺した。もしかしてニルヴァに、引いてはニルヴァの母国アイル王国に、何らかの反応があったのでは、と思ったからだ。


「に、ニルヴァは元気か?」


収穫祭の日に、その姿を見てから、すでにふた月ほどを経ている。


(あんなに遠くから、ちらっと見ただけなのに……それなのに、まだ鮮明に覚えている)


光を蓄えた滑らかな銀の髪。ふわりとかけられた透ける絹のベール。よく映える、花の刺繍。ニルヴァの青い瞳を覆う、銀色の睫毛。


毎日のように思い出す。


そして思い出しては、すぐに自己嫌悪に陥るのだ。そんなことを繰り返し、そして最後には自分がやった最低最悪な所業にまで辿り着き、奈落の底に落とされるほどに落ち込む。


暴力を振るったし、青痣や怪我だらけにした。自殺に追い込み、ニルヴァの細い腕を、折らせてしまった。


そのことに思い至ると、いつも嫌悪の伴う吐き気のようなもので胸が押し潰されそうになる。


(思い出したくもない、それなのに俺は……)


思い出すのはやはり、あの青い瞳。


(返しちまったあのガラス玉でもありゃ、気も収まったのかもな)


そう思って、市場へと出かけ、同じものが売っていないか、探し回ったこともあった。


(自分の金で買ったものなら、ニルヴァも悲しまない)


日がな一日、探し回っては、見つけられずに落胆して帰ってくる。


愚かな自分。


愚かで、最低最悪、汚い自分。


生きる価値のない自分。


「……なんだよ、なんとか言えよ」


ニルヴァの様子をなかなか口にしないトラウルに気づくと、ラドラスは自嘲気味に笑った。


(そりゃ、そうか。こんな俺なんかに大切なニルヴァを近づけもしたくねえだろうしな。それでだんまりかよ)


それでも、やり切れない気持ちのまま、ラドラスは先を急かすように言った。


「おい、何の用か早く言え」


トラウルがぐっと引き結んで歪んでいた唇を、ようやく重そうに開けた。だが、開いた唇からはまだ言葉は出ない。


「おい、」


さらに急かすラドラスを睨みつけるように見ていたトラウルは、ようやく頬を緩めると、思いも寄らぬことを告げた。


「ラドラス……ニルヴァと結婚しろ」


「は、 なにを、」


一呼吸置いてから、トラウルは再度同じ内容を繰り返した。


「ニルヴァと婚姻関係を結ぶのだ」


耳を疑う内容に、ラドラスはもちろん動揺した。


「あんた、どうかしちまったんじゃねえのか? ……どうしてそんなこと」


「手っ取り早く言えば、アイル王国の国王にニルヴァを押しつけられたのだ」


「国王に⁉︎ どうして、そんなことに、」


「預かってくれ、と言われた」


「な⁉︎ 俺がやったことを言ったのか? そんで責任とれとでも言われたのか?」


トラウルは、呆れ顔を浮かべたまま、深く溜め息を吐いた。


「お前の愚行なぞは口が裂けても言えん。ただ、ニルヴァをこちらで預かっている、お返ししたいと伝えただけなのだ」


「あ、」


心当たりはある。要は、つまはじきというのは、どこへ行っても結局は誰にも必要とされないのだ。


心が冷えた。


ニルヴァが家族にすら、疎まれているという事実に。


(俺と……同じだな)


ラドラスは、薄く笑った。


「ふ、そんなのニルヴァが嫌がるだろ」


「ニルヴァは承知している」


「は、……そんなのは嘘だ、嘘に決まってる。そんなことあるわけねえ」


「ニルヴァは承知していると言っているんだ」


「嘘だ……もし、そうだとしても、あんたの言うことだから仕方なくだ‼︎ 嫌がるのを無理矢理はやめろっっ‼︎」


「お前の口からそんな言葉が出るとはな。とにかく無理矢理ではない、」


「いや、違うっ‼︎ ニルヴァはっ‼︎ ニルヴァはあんたのことが……」


————好きなんだ。


その言葉。口にはできず、思いとどまった。握った拳に、知らぬ間にぎりぎりと力が入っていた。


長い沈黙の後、トラウルは難しい顔のまま、部屋を出ていった。


「とにかく、ニルヴァはお前との結婚を了承した。まずは、婚約からだ。婚約の披露の日にちはまた改めて決定する」


ドアが、バシンといつもよりは強めに閉じられた。


そして、最後に言い放ったトラウルの言葉が耳から離れない。


「とにかくニルヴァには二度と、乱暴な真似はするなっっ」


ラドラスは握り込んでいた拳に、さらに力を込めた。


「そんなことは……言われなくと、も、もう……」


噛んでいた唇から、血の味がした。



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