花の行方
(シルクの、美しいベールを被っていたな)
数週間ぶりに見たニルヴァは顔色も良く、少しふっくらとした様子だった。腕にはまだ包帯が巻いてあったが、骨が折れているのでそう簡単には治らないだろう。
「髪を切ったのだな」
長かった前髪が綺麗に眉の上で切り揃えられており、小綺麗な雰囲気を醸し出していた。その切り揃えられた銀の髪に、花の刺繍をあしらったベールがふわりと掛けてあった。
(……兄上が、贈られたのだろう)
ラドラスは手にしていたオレンジ色の花をくるくると指先で弄んだ。
(さすが兄上だ。センスが良い上に……)
「……とても似合っていた」
城の正面に広がる庭園。国王の庭園には劣るが、専任の庭師が毎日のように手を入れているため、ほどよく緑や花々が保たれている。
バラのアーチをくぐると、ちょっとしたスペースに、談笑用のテーブルとイスがひっそりと置いてある。
ラドラスは、街へ繰り出そうという悪友たちの誘いを断ると、その日の時間を持て余し、ここへやってきた。
イスに腰掛ける。テーブルにひと束、置いてあったオレンジ色の花を一つ、手に取った。
(この花、……ニルヴァも摘んでいたな)
周りを見渡すと、同じような花が至る所に咲き乱れている。
「ルバンが置いたのか……」
専任の庭師が、花や緑をこよなく愛していることを、ラドラスは知っていた。
庭園で咲いた花を城のあちこちに飾り、ラドラスが呼びつける女たちの目を喜ばせている。
(はああ、お姫さまはもう、国に帰ったのだろうか)
そして自分がどんな目に遭わされたか、その所業をアイル王国の国王に話し、怒り狂った国王が軍隊を送り込んでくる。
何度考えようとも、結局はそこに辿り着く。
「俺の首だけでは、済まないだろうな……」
空を見上げると、どこまでも青い空が続いていて、所々にプカリプカリと雲が浮かんでいる。その雲の白さは、ラドラスにニルヴァの肌を思い出させた。
(もう、自ら命を絶つなど、……しないだろうか)
愚弟の犯した愚かな罪を償うように、トラウルが大切に大切にしているだろうから。
ラドラスは溜め息を吐き、そして花を持った手をゆるりと握った。
それから城へと戻り、部屋へ向かって廊下を歩いていると、庭師がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
ひと束のバラと花瓶を抱えている。すでに水が入っているのだろう、重そうに身体を傾けながら、歩いている。
「ルバン、その花はどこに生けるのだ?」
普段ならそのような些細なことで声を掛けることはないのだが、この日は自分も花を手にしていることもあり、そんな気になった。
「ラドラス様、こんにちは。これは廊下の奥のあの大きな絵の下に」
「ああ、あの誰だかわかんねえ、肖像画の?」
「……はい、」
ラドラスと対面することもあまり機会のないルバンの頬が引きつっている。緊張感が嫌でも伝わってきて、ラドラスは苦く笑った。
(嫌われ者は、どこへ行っても嫌われ者、か)
ふと、持っていたオレンジ色の花を思い出し、ルバンに差し出した。
「……これは何の花だ?」
花瓶を抱え直して、ルバンは答えた。
「それは、コスモスという花です」
「コスモス……そうか、綺麗な花だ。そこら中に、たくさん咲いているのだな」
「種が落ちるので、散っていくのです」
「庭のテーブルに置いてあったのは、どこかに飾るためか?」
眉をひそめたルバンの顔を見て、その表情を怪訝に思い、ラドラスは問うた。
「テーブルにたくさん、置いてあったぞ」
その言葉にルバンが反応した。
「置いたのは私ではありません。コスモスなど飾って楽しむような花ではありませんから」
では、誰が……。
ラドラスの胸に何かが湧き上がってきた。
もしかしたら、
いや、そんなはずはない。
混乱しそうな頭を振ると、ラドラスは早歩きで廊下を戻った。
(もしかして、ニルヴァが?)
ホールから庭園へのエントランスへと走る。
(……そんなはずはない。ニルヴァがこの城へなど来るはずがない)
元来た道を、ひたすらに走る。
(だが、ルバンでなければ、誰だと言うんだ)
ざざっと風が抜けた。ラドラスの赤い髪が舞った。思いのほか強い風に、ラドラスは目を細める。
「そんなはずはない。俺を恐れているのだからな」
そう言い聞かせても、足は急く。バラのアーチを抜ける。抜ければあのテーブルだ。
そして、その時。
ざあああっと、木々が揺れて葉を鳴らす、強い風の音がした。
風が、その方向を変える。テーブルの上にあったオレンジ色のコスモスを、追い風となった風が、ぶわっと渦を巻いて攫っていった。
「ま、待ってくれっっ」
ラドラスは焦る気持ちで手を伸ばして、花を一つでも掴もうと、その後を追った。
「待ってくれっ、ニルヴァっっ」
けれど、それはラドラスの手をすり抜けて、花びらを四方に散らしながら吹き飛んで、流れていった。
はあはあと荒い息を吐きながら、ぽつんと立ち尽くしたラドラスは、少しの時間で息を落ち着かせると、両手を目の前で広げて見た。
いつのまにか、さっきまで握っていた花の姿ももうどこにもない。
「……はは、ニルヴァ、だと……」
髪を掻き上げる。
「俺という人間は本当に、」
愚かだ。
空っぽになった心を抱えたまま、夕日が頬を染めるまで、ラドラスは立ち尽くした。




