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プロローグ(後)

 父に何が起こったのかはわからない。

 だが、大事なのは、彼が虎斑の父であり、死んでいるということだ。

 親は多かれ少なかれ子のルーツであり、即ち虎斑がこうなった理由のひとつでもある。

 この時点で虎斑は決めていた。首を突っ込もう。

 意を決して立ち上がる。今できることをやらねばという焦燥に似た衝動に駆られていた。


「ちょっと電話してくる」

「え、誰に? 青田さん?」

「鴨居 優唯、あらため矢津(やづ) 優唯」

「いきなり!? 虎のくせに猪突猛進にもほどがありますよ!」

「思い立ったが吉日というだろ!」

「それにしたってなんでその子なんです」

「簡単だ。住んでいる場所が近いし、彼女の両親と連絡をとったと記録に書いてある、おっと!」

 

 ショートパンツのポケットからスマートフォンを奪おうとする手を紙一重でかわす。

 そして暗記した矢津 優唯の電話番号を素早く押した。

 スピーカーにして無慈悲に相手を待つ音を聞かせてやる。


「運動音痴のくせに生意気な! もー知りませんよ!」

「わかっているとも」

《はい、もしもし。矢津です》

「あ、もしもし! 初めまして、虎斑と申す者です。矢津さんのお宅でよろしいでしょうか」

《……トラフ? もしかして、虎斑(とらふ) (りょう)さんですか!?》

「えっ、あ、いえ、虎斑 亮の娘です」


 まだ若さのある中年男性の声だった。しかし、虎斑の名を聞いた途端食い気味に問い返す。

 あまりの勢いに虎斑の意気も沈んで気圧された。

 「あちらからすれば突然の連絡だから勢いで」そう思っていたのは虎斑の方だったのに、これでは逆だ。

 相手も電話越しの相手を驚かせたのが気まずくなったのか、慌てた調子で声のトーンを落とす。


《すみません。突然連絡がつかなくなって心配していたものですから。もう十年ぶりになりますか。ご都合が悪くなければ、お父さんとお話しさせていただいても?》

「父は亡くなりました」

《そんな》


 呆然とした口調に芝居じみた響きはなかった。

 言葉を選びかね、わずかに沈黙がおりる。

 口火を切ったのは矢津のほうだった。


《遅れましたが、お悔やみ申し上げます。失礼なことをお聞きしてすみません》

「いえ。実は最近になってそちらと父に交流があったことを知りまして、こうしてお電話をさしあげた次第です」


 後ろで「誰だこいつ」と聞こえたが気にしない。


《そうでしたか。そういえばお父さんによくうちの娘と同じくらいの子供がいるとうかがったことがあります。それで、ご用事は?》

「不躾を重ねて恐れ多いのですが、父はトラ、私が幼い頃にいなくなって、あまり記憶がないのです。今回たまたま父の知り合いを知って、できれば矢津さんや優唯さんにお話をうかがえないかと」

《それは……》


 落ち込んだりしみじみとしたり、そしてまたいいよどんだり。なんとも忙しない。

 虎斑は黙って続きを待つ。


《優唯にも、ですか?》

「ええ。父が残したものに、事件や被害者のその後を心配する旨が書いてありました。父のことも知りたいですし」

《なるほど……あの、保護者の方に相談させてもらって考えてもいいなら、》

「ありがとうございます! では、私の保護者の電話番号を教えさせていただきますね。名前は青田(あおた) 貴成(たかなり)です。矢津さんから連絡があるだろうことは私から伝えておきます」


 何か事情があるのだろうというぐらいすぐにわかる。

 父とは交友関係があるようだ。しかし虎斑が本当に娘だという確証はない。

 話すうちに冷静になって、疑いが芽生えてきたのだろう。

 それでも話を繋げようとするのは、話したいことがあるからだ。

 冷静さを取り戻したのは虎斑も同じ。相手の提案を次々進めていく。


《えっ? は、はい、わかりました。ではまた》


 流れるように電話番号をメモした矢津が通話を切る。

 誰が切っても虚しいツーツーという音色が、心臓の音のように安心できるものに感じられた。

 勢いがあればコミュニケーションに優れるというわけではない。

 交渉技術としては稚拙もいいところだろう。悪い印象を残していないか心配だった。


「ふぅー」

「お疲れさまです。で、行くんですか?」

「まだわからない。とりあえず青田さんに連絡するみたい。身元確認かな?」

「優唯って子に会いたいって言ったとき動揺してましたが、まだなんかあるんですかねえ。最初は本来の両親や妹の幻覚を見ていたとありますが、解決したみたいですし」


 資料には、幼い頃の優唯は非常に強いストレス状態にあったとある。

 妹が先に別の家庭にひきとられたのもある。

 しかし最大の理由は、矢津 優唯は《天使》とは非常に珍しい双子だったからだ。

 そもそも突然現れる《天使》が同時に二人、しかもそっくりというのが興味深い例であるのはわかる。

 新聞の切り抜きから、出現当時、そして事件の際も少し騒がれたことが見て取れた。

 引き取りの際も、正式に決まるまで物珍しさから引き取ろうとした人間が後を絶たなかったそうだ。

 もっともそういった人々はたいてい考えなしに申し出て、候補以前に省かれた。

 子供を引き取る条件をクリアしても、厳正な審査によって双子の顔を見ることも叶わなかったという。

 矢津家に引き取られて以降はストレスも減り、次第に幻覚はおさまっていったらしい。


「《天使》である彼女に会いたい、というのならおいそれと話したくはないだろうね。だから警戒されるのは仕方ない。むしろそれでも話そうというのだから、よほどのことがあると思っていいんじゃないか」

「面倒ごとになるのでは?」

「やってみなきゃわからない」

「こうなったらテコでも動かねえな。はいはいわかりました、あと俺にできるのは青田さんがアンタの期待を裏切ってくれるのを待つだけですね」

 

 尋也はふてくされて椅子に座り、スマートフォンをいじりだす。


(そこまでいやなら放っておけばいいのに)


 そういってしまうとますます不機嫌になることは目に見えていたので、とりあえず虎斑は冷蔵庫に向かった。


「アイス食べるかい? そのあとは、連絡があるまでは掃除ね」



 結論をいえば、青田は見事虎斑の希望を叶えてみせた。


「お父さんのほうの矢津さんは近々大きな仕事があって、ちょっと時間とれないかもしれないって」


 スーツの上着を脱ぎながらの報告に、最初にガッツポーズしたのは尋也だった。


「でも、娘さんにはぜひ会いに行ってほしいそうだよ」


 次に虎斑。対照的な二人に苦笑して、仕事終わりの青田は椅子に腰を下ろす。


「もう七時だけれど、尋也くん、おうちに連絡は?」

「先輩が夕飯つくってくれるってあらかじめ約束してくれてたんで。八時に帰る予定です」

「ならよかった。親御さんを心配させたくないからね」

「貴成さん、そんなことより矢津さんは?」 

「そんなことってねえ。まあいいか。いくつか条件付きで優唯さんの家に泊まらせてくれるそうだ。どうせ一日じゃ帰ってこれないでしょ?」


 一番近いとはいえど、片道だけで数時間かかる。

 日帰りにしようと思えば簡単な話しか聞けない。それでは虎斑は納得いく答えを得られないだろう。

 それを見越して、随分思い切ったことをしてくれたことに感嘆の声をあげる。

 素直に喜ぶ虎斑の隣、尋也は重箱の隅をつつく。


「父親不在で若い娘の家によそ者を招こうだなんて、一体どんな脅し方をしたんですか」

「人聞きが悪いなあ。別に今回は揺さぶりなんてしてないよ。君たちの予想通り、かなりおかしいことになっているみたい。だから客人を招いても、甘く考えて乗り込んだ方が後悔するわけさ」

「そ、そんなに?」

「そんなにー」


 虎斑が運んできた夕飯の親子丼を嬉しそうに両手で包む。

 早速食べようとしたが、話を急かす尋也に睨まれる。青田はわざとらしく肩をすくませた。


「僕も調べてみたんだけれど、ここ最近で急に治安が悪化したらしいね。なんでも通り魔だとか。いやなイメージがついちゃうから、情報が外にでないようにしてるみたい」

「通り魔ぁ? 刃物もって襲ったり? ヤバイじゃないっすか」

「ヤバイよぉ。刃物じゃなくて鈍器、バッドの類で軽く殴って、振り返る前に逃走っていうのがお決まりのパターン。幸いなのは全力で殴りはせず、あざができる程度にとどめていること。死傷者は出ていない」

「バッドで全力、だなんてぞっとしないな。骨折で済めばいいほうだろう」


 そんなものが野放しとなれば、確かに危険極まりないだろう。

 尋也などは露骨に顔を歪める。


「でしょ? そんなところにまだ中学生の優唯ちゃんを一人暮らしさせているから、心配みたい」

「ひとり暮らし? なんで? 普通でもヘンですけど、《天使》を人間から引きはがすような真似はご法度みたいなもんじゃないすか」

「僕にいわれてもねー」


 尋也が驚愕するのも無理はない。

 《天使》は人間の精神を模倣して成長する。人間でいえば栄養を摂取して血肉を作るようなものだ。


「あんまり体の形成に時間がかかると、体の構築が不完全で病弱になるというね」


 実際、虎斑の知り合いにもそういう《天使》がいる。

 代表的な症状は、感情が激しく動くと体を構成する『基盤』がぶれて出血するなど。

 精神さえ安定すれば命に別状はない。


「娘さんが心配ならば、実家に連れ帰った方がいいんじゃないっすか。危ないならますますそうですよ」

「家にお子さんがいるから安易に連れ帰れないんだそうだ」

「まさかそれで無理だっていうんじゃないだろうね」


 よそはよそ、各家庭の事情はあるだろう。

 だが思わずかみついてしまった。

 咎めるようにまわしたままの電子レンジが甲高い音をたてた。


「だから僕に言われてもさあ。いや、本当。最初は仲良くやってたらしいよ? ただ……あ、二人ともイマジナリー・フレンドって知ってる?」

「何を突然。えっーと、幼い子どもがつくる、空想上の友だちだっけ」

「そう。幼児の二十パーセントから三十パーセントもの子どもが経験し、一人っ子か女性の第一子に多い。現実の対人関係を知ることで自然消滅する。普通はそういうパターンが多いんだとか」

「つまり優唯くんは例外だったと。具体的には?」

「彼女は今でもイマジナリー・フレンドと会話する。しかも成長するごとに、ポルターガイスト現象が起きるようになった」


 優唯が全ての条件に当て嵌まることもあり、すっかりそうだと思い込んだ。

 だからこそ、一年が経ち、二年を過ぎて、小学校高学年になっても『空想の友達』と会話し続ける少女を、異常だと、得体のしれないものだと感じてしまった。

 実子が誕生していたこともあり、彼女が新しい愛娘になにかするのでは、と恐れた。

 幸か不幸か、少女一人の為に安アパートを借りられる程度には夫妻は経済的に豊かな類であった。

 それはかつて優唯のために努力した結果でもある。


 暖めたミルクを手元に運び、青田は軽く頭を下げてから口を付けた。


「で、妹が十三歳になるまでそちらで暮らしてほしいと頼んで、律儀に約束を守っているみたい」

「ポルターガイストねえ。《天使》ならそこまで変な話じゃないな」


 《天使》は育った人格に応じて、物理法則を無視した超常的な力:《異能》をひとつ発現する。

 ポルターガイストということは重いものが宙を飛ぶようなこともあったのか。

 幼い子供がいるなかで怖い、といわれれば、優唯も頷くしかなかったのだろうか。


「で。父親はせめて不自由のない暮らしをさせるために仕事に励んで時間が取れない。母親は幼い子どもの育児で忙しく、会いに行けない。親戚は事情をきくと怖がって断る、という始末」

「……わかった! ここで文句をいっても仕方がない! 虎斑は優唯くんに会いに行くぞ。そして父さんの真相を知り、優唯くんとも友達になる」

「いうと思った。とめはしないから、せめて逐一連絡は欠かさないように」


 青田の指示に敬礼で応じる。

 もう方向性は決まってしまった。尋也は己の金髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。

 続けて「よしっ」と何か覚悟を決めた様子で居住まいを正す。


「青田さんは仕事があるから付き添いとか、できませんよね」

「うん。あれ、尋也くんはいかないのか?」

「女の子ひとりで行かせるわけにもいかんでしょ。勉強も教えてもらわなきゃならねえし、ついていきますよ」


 こうして数日後には身支度も整え、はりきって優唯宅に出発したのだが。



 優唯には彼女の両親が連絡し、虎斑たちと会う約束を取り付けた。

 離れ離れになっても険悪というほど憎み合っているわけではないらしい。

 あまりに不器用な関係に複雑な思いを抱いて、かすかに曇った夏の午前中、二人は優唯宅のインターフォンを押した。


「……はじめまして。お話はうかがっています。今日は蒸し暑いですし、どうぞなかへ」


 いやにかしこまって迎えた少女は、元気そうとはいえなかった。

 やや天然がかかった柔らかな髪、ぷっくりした唇に幼い印象を受ける。

 思わず守りたくなるような大きく丸い瞳も相まって、愛らしい容貌の少女だ。

 しかし前髪は時に目にかかるほど長く、表情はかたい。

 軽く挨拶を交わした後、一体どう切り出したものかと様子をうかがう。

 部屋のなかは水玉模様の家具が多かった。


(色合いはパステルカラー。女の子だな)


 そんな感じでしゃべれば好感度があがるだろうか。

 脳内で作戦を立てては、気まずい沈黙の経過でボツにする。

 電話や通信機器を介してなら割とグイグイ話せるのだが、顔を合わせるとつい余計な心配をしてしまう。


「あの」


 困った声をあげたのは相手の方だった。

 そして異常が起きたのも、優唯がストレスに顔を歪めた瞬間だった。


「いい加減、聞きたいことをおっしゃってくださらないと」

「……あ」


 怒り、というより怯えて自らの両腕をさする。

 招き入れた居間らしき場所で振り返った優唯は、虎斑と尋也の方向を真っ直ぐにみた。

 かたまった二人の表情に、なかなか言葉が紡げない。

 二人もまた、優唯の後ろに立ち上っていく黒い影に言葉を発する能力を失っていた。


「えっと、いやな言い方になってすみません……。でも、その、あたし、おしゃべりは」

「後ろ」

「はい?」

「後ろだって!」


 優唯が不安の色を濃くするほど、不穏な色をした影ははっきりと形を得ていく。

 やがて人の形を成したそれは、バッドを持っていた。

 虎斑が叫んだ瞬間、尋也が優唯にタックルするように突進して移動させる。

 バッドが床にたたきつけられる嫌な音がした。


「え、あ、やだ、また」


 優唯は髪を握りしめ、瞳を右往左往させる。

 そのまま彼女を抱え上げた尋也は、無為に自己否定を繰り返す少女の背中を軽く叩く。


「そんなこと言っている場合じゃねえぞ。ポルターガイストっていうか完全に実体もってるじゃん!」

「またってことは解決方があるのかなあ!?」

「あ、あ、えっと、なんとか時間さえ立てばそのうち消えます」

「よし、尋也くん! 適当な部屋に避難! ついでに虎斑も運んでおくれ」

「変に動かないでくださいね!」


 致命的に足が遅い虎斑も抱え上げ、両腕に二人の少女を抱え込む。

 うっと鈍い悲鳴が聞こえたが無視する。

 そう長い間持ち上げられないのは自明だった。

 尋也は自らを鼓舞する雄たけびをあげ、一番に目に入った適当な部屋へ駆け込んだ。



 そうして数時間。バッドで扉を叩かれ続けた時はどうなることかと思ったが、なんとか無事だ。

 資料から子どもたちがみな厄介な状況になっているのは知っていた。

 しかし現実は想像を超えていた、と虎斑は何度か柄にもなくため息をついてしまった。


 どうしてこうなったのか。答えは現象が異常なだけにわかりやすい。

 複雑な家庭環境と生い立ちから、優唯くんにはストレスがたまっているのだ。

 ストレスで異能が暴走している。

 彼女のイマジナリー・フレンド。かつての友。

 彼らは今や勝手に彼女の妄想を飛び出し、街に繰り出して治安を悪化させ、時に優唯自身を襲う。


 異能というのは使い方さえわかれば便利なものだ。

 そして、わかるまでが大変なのだ。

 説明書なんてない。道具と違って目的があるわけでもない。人格を反映しただけの個性。

 優唯自身でさえいったい自分が何をしているのかさっぱりわからない。


 このまま放れば目覚めが悪い。本来の目的も果たせないだろう。

 どんなに困難であったとしても、それだけなら虎斑の決意は変わらない。



 ここまで書けば大丈夫だろう、と筆を止める。

 途端、強烈な睡魔が虎斑を襲う。


「改めて書いて思ったのだけれど、初っ端から大ピンチ。愚痴らせて。スリリングにもほどがあるんじゃないかな。以上。愚痴らせてくれてありがとう」

「どんまいっす」


 テーブルを離れてソファに近寄り、倒れるように横になった。

 適当な毛布を持ってきた尋也に曖昧に礼を述べ、丸くなる。

 尋也も相当疲れているだろう。後でなにか礼をしなければと決めた。どんどんやるべきことがたまっていく。

 先はまだまだ長い。


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