苦あれば幸福が待っている?
翌日、私ははらはらしていた。
今日は聖女候補者全員の、聖霊術の能力を試されることになっていた。
聖霊術の強さ弱さを早く確認するのには理由がある。
候補者の能力の限界を見て、選定の日の儀式で何をするのかを決めるらしい。
万が一の場合に、令嬢方の家に諍いが起きないようにするためだ、と私は他の聖女候補の令嬢に教えてもらった。
王族が候補者の中にいた頃、木っ端貴族の令嬢がその王族を差し置いて聖女に選ばれた時に、色々あったせいらしい。
でも今回は、シンシア一択になってもおかしくはない。彼女は王子の婚約者で、聖霊術に秀でているのだから。
……でも、そうはさせない、と私は唇を噛みしめる。
本当に悪魔は私に強い聖霊術が使えるようにしてくれたのだろうか、と疑う気持ちを心の奥に押しこみながら。
小さな鉢を並べた台に、一人ずつ近づく聖女候補者達の様子をみつめる。
聖霊術の強さを試すために用意されたのは、種を埋めた小さな鉢植えだ。
今回の聖女候補者の令嬢達は、ほどほどに聖霊術が使える人が多かったらしく、芽吹かせることに苦労はしていないようだった。そのまま、茎が伸び葉っぱが生えそろうほどに成長させられる人が多かった。
でもシンシア嬢はやはりすごかった。
ゆるゆると茎と葉を伸ばしていった植物は、つぼみまでつけたのだ。
本当は花を咲かせられたのかもしれない。彼女は少し周囲の様子を気にして、そこで止めた。……なぜ遠慮しているのだろうか。
さて私の番だ。
今までの私だったら、他の候補者と同じように「草だなー」とわかる程度にしか成長させられなかった。
しかし私は、昨日悪魔と契約した。代償がどういった形で現れるのかはわからないが、ここでやらなければ危険を冒している意味がない。
不安と期待を胸に、いざ神官様の持つ小さな鉢植えと土の上に置かれた種に向かい合う。
えいやっと力を込めるようにして種に手をかざすと、その手にまとわりつくように白い影がふわっと湧き上がる。
聖霊の影だ。けれど今回は、そのままはっきりとした輪郭を描いて行く。
……あれ?
私は首をかしげた。聖霊は鳥の姿だとは聞いている。でもこれ……なんだろう。
薄紅色の冠毛がある、白いひよこ? 聖画で見る聖霊って、もっとすらっとした美しい鳥の姿で……でも足が四本あるし、間違いない?
と思っていたら。
「……わっ!」
手を除ける勢いで種から茎が伸びた。手を離してからもわさわさと葉が増え、瞬く間に花が咲いてしまった。
「すごい!」
「まぁ花が!」
周囲のご令嬢方が驚き、鉢を持っていた神官も目を丸くしている。
一方の私は急激にお腹がすいて、血の気まで引いてきた。
「え、なに、これ?」
まさかこれが代償? 使ったら一気にお腹が空くの!?
気づいたものの、既に手遅れだ。空腹のあまり目が回ってその場にへたり込んでしまった。
「レイラディーナ様!?」
私の様子に気づいた人が駆け寄ってくれる。大丈夫かと聞かれたけれど、症状を口に出すこともできない。
お腹が空いてるだけだなんて!
あげく、今にもお腹が鳴ってしまいそうだ。とにかくこの場から逃げなければと、私はよろけながらも立ち上がって歩き出そうとしたのだけど。
「いけませんわ、そんなに足がふらついていらっしゃるのに!」
「誰かレイラディーナ様をお運びしてあげて!」
「待っていて下さい、人を呼んで来ますから!」
ご令嬢達に引き止められ、神官様にもここで待てと言われ、私は詰んだ。
もうすぐ、お腹が鳴る……。
このままでは、心配配そうに見守ってくれる皆さんの前で、腹の虫が盛大な音をたてるのだろう。
なんたる屈辱。大神官様がおわす神殿で、私は淑女としてありえない恥を晒すのだわ……。
恥ずかしくて、涙が滲みそうだった。
しかも空腹で気が遠くなりそう。気を失った瞬間に、ぐーと鳴り出すに違いない。
その時が迫っているのを感じつつ、もう何もかも諦めてしまおうと目を閉じた時だった。
「体調不良で倒れているのですか?」
「聖霊術を使わせたらこのように……」
穏やかな声が聞こえた。
ずっと側で聞きたくてたまらなかった声……大神官様?
目を開けたい。側にいらっしゃるならお顔を見たい。だけど一度閉じた目がなかなか開いてくれない。
「治療をしましょう。私は一度準備をして行くので、聖堂に運んでくださ……」
その時ようやく、私は瞼を上げることに成功した。
きらめく淡い金の髪と、それ以上に輝く大神官様の麗しい顔が見えたかと思うと、指示をするため近くの神官を指さした姿勢のまま、一瞬にしてその姿がかき消える。
「……え?」
思わず声を上げた私と同様、他の聖女候補達も驚いて口元を押さえていた。
神官様がそんな私達に説明して下さった。
「大神官様は聖霊術によって、一瞬にして場所を移動することもできるのですよ。さ、私達はレイラディーナ殿を運ばねばなりませんから、聖女候補の皆様はお部屋でお待ち下さいね」
そう言って、神官様達が私を運んでくださった。
移動先は、神殿の大聖堂とは違うこじんまりとした聖堂だった。背もたれのない座席に寝かされると、ほどなく大神官様がやってきた。
今度こそ、大神官様の顔を見逃すまいと目をかっぴらいていると、表情を曇らせた大神官様が側に膝をつく。代わりに運んでくれた神官様達は、なぜか聖堂の壁際まで離れて行った。
「気を楽にして、これをお食べなさい」
ささやき声で言われて差し出されたのは、小さな砂糖菓子だ。
なんでもいいから食べ物が欲しかった私は、口に運んでくれることに恥ずかしさを感じる余裕もなく、素直に口を開いて飲み込んだ。
すると、水が体中に行き渡るように力が戻ってくる感覚があった。空腹感もすぐに消えて行く。
「聖霊術を使い過ぎたのでしょう。少し力を分けましたが、いかがですか?」
「はい、かなり体が楽になりました。お礼申し上げます大神官様」
二度も私の危機を助けてくれた大神官様に、起き上った私は深々と一礼する。
「急に強い聖霊術が使えるようになると、こういう状態に落ちることがあります。聖女候補となった方々の体調を気遣うのも、神殿の責任。できるだけ私が様子を確認したいのですが……」
え、大神官様が毎日私に会いに来てくれる!?
ドキドキしてしまった私だったけど、大神官様が視線を横に向けると、離れていた神官様がちょっと難しい顔をしていた。
「お一人だけを、毎日大神官様がご診察なさるのは……」
そうよね……。一人だけ特別待遇するのは、難しいわよね。
しゅんとなって落ち込んでいると、不意に大神官様が言い出した。
「それなら、明日からの修養期間、彼女を私付きにしておけばいいのでは」
「ご予定にはありませんでしたが……本当に宜しいのですか?」
「前大神官はしていたのですから、問題ないと思いますよ。細かなことは、この後で打ち合わせましょう」
この話の流れは、まさかと思っていると、大神官様が私を振り返った。
「明日から、午後は私の元へ来て下さい。いいですね?」
間違いなく、私は大神官様について神殿の仕事を学べることになったようだ。
「はいっ」
もちろん即答した。