大神官様のご決定
翌日、大神官様は視察を切り上げて神殿へ戻ると決めた。
慌てたのは公爵家の人々だ。
ルセラード公爵は、顔を真っ青にして大神官様にとりすがった。
「大神官様、私どもが何かそそうを……!?」
「ええありましたね。まずご子息が同意なく聖女に触れようとしたことでしょうか」
公爵が「えっ」と言ったまま動きが固まる。
どうも公爵は、オーレスさんがしたことが大神官様の不快の原因だったとは、思わなかったようだ。
それをとりなそうとしたのだろう。ローラ様が大神官様の側にやってくる。
「ご不快な思いをさせて申し訳ございません、大神官様。でもそんな。すぐにこの地を去られてしまうだなんて……。しばらくの間大神官様とお会いすることができないとなれば、私寂しくて……」
ローラ様は上目遣いに大神官様を見て、目に涙まで浮かべてみせた。
「…………」
私はとりなすのだと思った自分の考えを取り消した。
これはとりなすというより、どちらかというと誘惑して失態を打ち消そうとしているように見える。
……嫉妬心のせいじゃないわよね?
私はそう思って、不安になる。
一方の大神官様は、そんなローラ様にも爆弾を落とした。
「あなたもですねローラ殿。普段視察に伺う領地では、聖女の対応は同性の夫人や令嬢がしてくださっていた。あなたがなぜか私のそばに貼りついて動かないせいで、あなたの兄が聖女の対応をするという異例なことになったのです。なぜあなたは、私にばかり構おうとなさるのですか?」
「え……」
あまりにはっきりと言われて、ローラ様は数秒、返す言葉を思いつけなかったみたいだった。
けれどすぐに顔に笑みを貼りつけ直した。
「あの、当家は母が既に亡いもので……。それで、大神官様への対応は領主夫妻で行うものと聞きまして、私が代わりを務めることにしまして。他に女手がないものですから、やむなく聖女様には兄に対応を……」
「いいえ。先の大神官様も、対応は領主ご本人のみとされていたはずですよ。この二日で、既にあなたまで同行する必要がなかったことはわかっていたはず。初日にも、あなたは同行させてほしいと頼んでいらした。ということは、公爵様は当初あなたを視察に同行させるおつもりがなかったのでしょう? なぜ私の対応をしなければならないということになるのですか?」
大神官様は、ローラ様の言い訳をあっさりと否定した。
「兄に任せたと仰いますが、あなたは他家の館に訪問した時に、ずっと応対をおざなりにされた上で異性に任されたと知ったらどうしますか? しかも、その家の令嬢は予定していなかった相手の応対に出てしまったのだとしたら」
そうして大神官様は、移動の準備のために集まっていた神官達に指示を出す。
「帰り支度を進めて下さい」
次に、呆然としたままのローラ様の後ろにいた公爵様に告げた。
「聖女は我が神殿の大事な象徴です。それを無下にされたのですから、私どもの祈りは必要ないと判断いたします」
その言葉に、公爵様がようやく動いた。
「ど、どうかお待ち下さいませ大神官様。せめて、せめて奈落の跡……フェルテの森だけは」
そこへ大神官様に行って欲しいのだろう。床に膝をついてまでとりすがる公爵様に、私は驚いた。
一方の大神官様は、少しだけ表情を和らげる。
「最初からお伝えしていたように、元から私の目的はそこでした。かの土地は巡って行きます。けれど聖女のためにも、公爵殿の関係者には同行していただく必要はありません」
「承知いたしました……」
公爵様は、とりあえず重要な場所に大神官様が行くという約束をとりつけられたからなのか、安心したようにうなだれた。
その間ローラ様は、呆然としたままで。
「そんな……少しは意識してくれたと思ったのに……」
ぽつりとつぶやいたのだった。
速やかに準備を終え、私は大神官様と共に馬車に乗った。
ルセラード公爵の館はみるまに遠ざかって行く。
こうして離れてしまうと、ほっとした。
可哀想だと思わない私は、少し冷たいのかしら。でも、最初からローラ様を大神官様に近づけようとして、寄付と視察をお願いしたのだと思うので、あまりそういう気持ちは湧かない。
もちろん神殿も、何かの思惑があって寄付や視察の依頼をしたことはわかっていて受けたのでしょうけれど……。その辺りは、少しお付き合いはしたのだからいいわよね?
それに大神官様は、公爵様が気にしていた土地には視察に行くという。
「そういえば大神官様、フェルテの森は行くつもりだとおっしゃっていましたが、重要な場所なのですか?」
確か、まだ奈落を消した後でも、まだ緑が戻っていない場所だと聞いている。
奈落が消失した後も、不毛の土地になるのだろうかと、私は少し不安になった。
「重要というか……どうしても、無視できない土地なのです。私にとって」
問題の場所までは、ある程度ならされた道を進んで近くの町まで行き、そこから馬で向かうことになった。
最初は、特になんの変哲もない畑と木々の風景だった。
それが少しずつ減り、立ち枯れた木と若木が目に映り始め、そのうちに目的地に到着したことがわかった。




