番外編2 不安になる理由は積み重なる
そのご令嬢は、ルセラード公爵家のローラ様だった。
色々なパーティでよくお見かけしていたので間違いない。
「お気をつけになって下さい」
大神官様は、彼女が立ち上がった後はそれだけを言って歩き出した。けれど一度少しだけ振り返って、彼女を気にしているようだった。
大神官様が女性を気にする。
それだけで、私にとってはかなりの大事件だった。
もちろん大神官様は優しいので、礼拝に来た貴婦人にも穏やかに対応する。
そう、ローラ様のように転んだりしたら、間違いなく手を差し伸べて下さるだろう。泣いていれば声を掛けて下さる。
ただ、じっと見つめてしまうことも、気にして振り返るというのも珍しすぎた。
(まさか)
と心の中に不安がよぎる。
(大神官様が、ローラ様に恋をなさったのでは……)
お互いのことを知っているという風ではなかった。だから、気になる程度の淡い思いなのかもしれない。
……一目ぼれして突っ走るようなことをするのは、自分ぐらいだって分かっているのよ私。
だけど相手がその気なら……どうだろう。
さっきのローラ様は頬が少し赤くなっていたし、凝視したのだから大神官様のお顔を垣間見てしまったのだと思うの。
お顔を見たのなら、ローラ様だって大神官様に惹かれないわけがない。
(そういえばローラ様ってどんな方だったかしら)
私は歩きながら、記憶を掘り起こそうとする。
ルセラード公爵家のことは知っている。王都から南東にある山と森と平野が広がる穀倉地帯だ。かなり古い貴族家で、うちのカルヴァート侯爵家と同等の豊かさがある。
ルウェイン王子の婚約者に選ばれなかったのは、第二王子の方と少し離れてはいるけれど縁戚関係があるからだろう。確か公爵夫人の従姉妹が第二王子の母君だったはず。
元々、綺麗な人だという噂は聞いていた。実際に見た時にも、美しい人だと羨ましく思ったの。
大人しいというより、大人びた感じの方で、ゆったりとしたしゃべり方をする所に、心の余裕のようなものを感じたものだった。
一方で……まだ婚約者はいなかったはず。
本当は第二王子と縁づかせたいのかもしれないけれど、年齢差があるからそれはむずかしくて、けれどルウェイン王子と結婚させるわけにはいかず……と、選り好みしているのだという話を耳にしたことがある。
その時は、選り好みできて羨ましいと思っただけだったわ。家柄としても美貌としても、引く手あまたのはずだもの。
だからこそ……不安になるの。
大神官様は、公爵家のご令嬢が結婚するのには問題ない相手だ。
むしろ神官と結婚できれば、領地で避けられない災害が起こった時にも、何かと援助してもらえるかもしれない、という思惑もみんな持っているもの。
だからローラ様が大神官様を望んだら……公爵様も、大神官様にお話を持っていってしまうのではないかしら?
そして大神官様の方も惹かれていたとしたら?
ようやく王宮のエントランスの階段を降り、馬車に乗った私は、顔を覆って呻きたくなった。
いつかは、大神官様もどなたかと結婚するかもしれない、とは思っていた。片想いをすると決めた時に、それも覚悟していたの。
だけどこんなに早いだなんて。
せめてあと半年。できれば一年。いえ、二年ぐらいどうにか……。
心の中だけで唸っていたら、大神官様に声をかけられた。
「レイラディーナ殿、どうかされましたか?」
考え事に没入しすぎて、アージェス様がお菓子を差し出して下さっていたことに気づかなかったようだ。
どうしよう、なんて言って誤魔化そう。
「あ、大丈夫です、えっとその……お腹が空きすぎたせいでしょう」
慌てたあげくに、私は空腹を理由にした。あまり腹ペコを主張したくはないのよ……ますます女性よりも、餌付けしている相手という印象が強くなってしまうもの。
その日は、これ以上は何事もなく神殿に戻った。
しかも特にローラ様が神殿の礼拝の日にやって来ることもなく。大神官様を直接訪問してくることもなかった。
一週間ほど経過して、私はほっと息をついたものだ。
大神官様は、あの時一瞬だけローラ様の何かが気になっただけなのだろう。だから恋をしたわけでも、一目ぼれを感じたわけでもないのだ、と。
でも私は油断しすぎていた。
10日経った頃、私は大神官様の神殿の執務室で突然に聞かされることになった。
「え、訪問ですか?」
目を見開いてしまった私に、老齢の神官長様がうなずく。
「そうです。ルセラード公爵領より依頼がありましてな。領地へ訪問と視察をお願いしたい、と」
ルセラード公爵領! その名前をきいただけですぐにローラ様のことを思い出した。
え、まさかローラ様が大神官様に会いたくて、公爵様に頼んだの?
私の脳裏に、領地の城で手をつないで見つめ合う二人の姿が思い浮かぶ。う、まだもうちょっと先でお願いします。
そんな気持ちから、つい大神官様に尋ねてしまった。
「でも、国王陛下の元では『現在のところは問題ない』とおっしゃっていませんでしたか?」
大神官様は、一日おきに神官長様達と大きな術を使い、この国の中に問題が発生していないかを調べる。
もちろん、自然災害のみのことだ。
それで国内に危険や災害が起こっている地点などを大まかに調べ、緊急性などがないようであれば、週に一度国王陛下に会う日に伝えることになっている。
そして先日も、王国の東や南などに問題はないと、大神官様がおっしゃっていたのだ。
言ってしまってから、わがままを口にしたと気付いた。大神官様や神官長様だって、そんなことは重々承知の上だと思うのに。
謝ろうとした私に、大神官様が優しい表情で教えてくれた。
「世知辛いお話ですが、視察を要請するためなのでしょう、かなりの寄付までいただいてしまったので、神殿としても断りにくいのです。受け取ったのも、公爵領の神殿の方なものですから今さら断ることも難しく……」
「それでは仕方ありませんわ……」
私は納得した。神殿は寄付によって運営されていることは、私にもわかっていた。なにせ私が消費する膨大な食料についても、寄付によって賄われているわけで。
お父様にお願いして少し寄付していただいたけれど、申し訳ない気持ちでいたのだ。
それに受け取ってしまったものを、つき返すわけにはいかない。
ただ一つ、心の底から懸念していることがあった。
「大神官様。あのご事情の方はどうされるのですか?」
大神官様は、一つ重大な問題を抱えていらっしゃる。
それが神力が枯渇すると、自動的に神殿のお住まいに転移してしまうことだ。
「住まいに代わって同じ術で戻れるようにした、馬車を用意します。ですから大丈夫でしょう」
微笑んだ大神官様は、さらに告げた。
「あとレイラディーナ殿も、聖女としてご同行をお願いいたします」
その時ようやく、私は自分も一緒に行くことを知って、叫びそうになった。
え、待って。ローラ様と大神官様のやりとりを、間近で見なくてはならないの!?
もし二人が引かれあうことにでもなるなら、せめて目に入らないようにしたかったのに。
けれど私は、ローラ様が大神官様に熱っぽい視線を向けている姿を、間近で見なければならないようだった。