番外編1 問題の始まり
うららかな午後の日差しが、窓から差し込んでいる。
暖かな部屋の中で、私は赤や黄色の、色鮮やかな花と野菜をはさんだサンドイッチを口にした。
紅茶のカップを傾ければ、馥郁とした味わいと香りが広がっていく。
ほっと息をついたところを見計らうように、隣に座る大神官様が、私に声をかけてくれた。
「レイラディーナ殿、次はこのクリームを試してみませんか?」
彼が差し出すのは、花弁がちりばめられた真っ白なクリームを載せた、パンケーキのお皿だ。甘酸っぱそうな赤いベリーのソースもたっぷりとかかっている。
見ているだけでよだれが出そう……と思いながらも、私は躊躇した。
今日はちょっと食べ過ぎなのではないかしら?
それを、足りないと勘違いされたのかもしれない。
「気に入って下さった時のために、もう二皿用意してありますから、沢山食べて下さいね」
笑みを浮かべて、しかも一切れをフォークで刺して、私の口元に運んでくる。
「さあ、その可愛らしい口を開けて下さい」
「…………!!」
食べさせる行為だけでも夢のようなのに、甘い褒め言葉もついてきて、私は頭が沸騰するかと思った。
可愛らしい口!?
そんな褒め言葉に、私が抗えるわけがない。
ありがたさのあまりに涙目になりながら、口を開ける。
するとそっと唇に触れて行くフォークの感触。甘くてふわふわのパンケーキの触感が舌に届いて、クリームのまろやかさが広がっていった。おいしい……。
気付けば、あっという間に一皿分を胃に収めていた。
「もっと食べて下さい。今日はまた王宮へ行くのですから、すぐお腹が空いてしまいますよ」
私の食べっぷりに満足そうな笑みをうかべながら、大神官様がそう言う。
確かに、それなら食べられるだけ食べなくてはならない。
大神官様が王宮で国王陛下と会う時には、必ず聖霊術を使う。
国内の自然状況について、聖霊に尋ねたりするから。
私はそのお手伝いをするのだけど、聖霊術を使うと……食べて補った分の力を消費してしまって、どうもお腹が空いてしまう。
それもこれも、大神官様にお願いして聖霊術を使えるようにしてもらったおかげだし、聖女になれたのもそれが理由だけど。
……聖霊術が弱くなっても大丈夫な状態にする、というようなことを仰っていたけど、どうされるつもりなのかしら?
私は大神官様のお顔を横目で見る。
私の大食漢な状態を治すのには、聖霊術を弱くする必要がある。でも聖女選定の日に、誰の目から見ても聖女に選ばれて当然な状況を作ろうとして派手にしたせいで……、私は聖霊術が強い聖女として認識されてしまった。
急に力が弱まってしまうと、選定の時に何か反則をしたのではないかと思われかねない。
だから時間をかけて少しずつ……ということなのだと思うけれど、聖女に就任して二週間。今の所、大神官様が何か行動を起こすということもない。
どうするつもりなのか問いかけても、今は内緒だと言われている。
代わりに、前よりもさらに私を甘やかすようになってしまった。
以前も自分が食べさせようとしていらっしゃったけれど、前よりも頻繁になったわ。そしてさっきみたいに、甘い言葉をつけてくださるの。
……だからほんの少し、私は期待してしまう。
もしかして大神官様は、私のことを女性として気に入って下さっているかもしれない、と。
まだ、それを心の底から信じるというわけにはいかないけれど。
だって私に食事をあげることを、ペットのへの餌付けのつもりで始めたはずなの。それに大神官様の秘密を知ってしまったから、こうして保護して下さるだけかもしれない。
だから勘違いしないようにしたいのに。
「レイラディーナ殿」
呼ばれて振り向いた瞬間、大神官様の指先が私の口の端を拭って行った。
大神官様が差し出した、大きすぎる一切れをほおばって食べたせいなのか、クリームがついていたらしいのだけど。
「ありがとうござ……!!」
大神官様は、クリームのついた指を舐めてしまう。
そうして「どうしました?」と微笑んで首をかしげるのだ。
「あ……うあ……」
私はしばらく、言葉が出なくて……誤魔化すために手近な果物を口に突っ込んだのだった。
そんな赤面するようなことをされた食事の後、私は大神官様と一緒に王宮へ向かった。
聖女になってから訪問するのは、もう二度目だ。
まだお昼になって間もない時間だからか、王宮の中へ入っても使用人の姿しか見かけない。
静かな回廊を進み、階段を昇って、国王陛下が執務で使っている部屋に入る。
国王陛下は、私の顔を見るとやや視線をさまよわせた。
それから「聖女様におかれましては、ご機嫌麗しく……」と一礼するのだ。
婚約内定破棄のことが、相当後ろめたかったのでしょう。王妃様の言うことを優先して、ルウェイン殿下本人に確認せずに婚約を決めてしまったのですもの。
今はもう、謝罪してくれた殿下のおかげで色々なこともわかっているの。
殿下が不服そうだったことで、国王陛下がどたん場で内定という形にしたこと。
それに怒った王妃様がそれを広めたせいで、婚約を取りやめた時に大騒ぎになってしまったのよね。
当の王妃様については、シンシアを婚約者から外すこともできなくなって、ご不快なままだという。教えてくれたのはシンシア嬢だけれど。
国王陛下の方は、公の場で認めた以上シンシア嬢を庇ってくれているみたい。
その分、ルウェイン殿下に口酸っぱくなったという話を聞いたけれど。
そんな国王陛下とのお話合いは、少しだけ時間がかかる。
一時間ほどかかってようやく終わるのだけれど、その頃には聖霊術を使ったせいで少々お腹が空いてしまう。
腹の虫が鳴らないよう、そろそろと歩いて神殿へ戻ろうとするけれど、この時間はさすがに王宮に出入りする貴族達も多くなる頃合いだ。
ドレス姿の貴婦人や令嬢、精巧な刺繍をほどこした高価な上着を羽織った貴族達が居る中を、アージェスと神官達、そして私は歩いて行く。
けれどみんなの視線が、大神官様に集中している。
男女ともに凝視していた。
それは大神官様が少しでも被っている紗が翻って、そのお顔を見たいという欲求のせいだと思うの。
先日、大神官様が王宮でルウェイン殿下とシンシア嬢と会った時に、天使の彫像のようなお顔を少しお見せになったせいなのか、その評判が広まってしまったらしい。
でも、大神官様にも顔をお隠しになる理由があるのだもの。こうして何事もなく過ぎて行けば、そのうち噂を聞いて凝視する人も減るかもしれないわ、と思っていたら。
「きゃああああっ! 虫が!」
悲鳴を上げ、中庭から駆け込んできた令嬢がいた。
金茶の髪を綺麗に結い上げた彼女は、ちょうど大神官様の前に飛び出し、そこで転んでしまう。
さすがの大神官様も、足を止めて声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「はい、お気遣いありがとうござ……」
大神官様の手を借りて起き上ろうとした令嬢は、大神官様の顔を見た瞬間に言葉を止め、見惚れるように目を見開いた。
大神官様も、じっと彼女を見る。
ご令嬢も、シンシア嬢よりはやや大人びた感じの美しい人で、手を触れあう二人の姿は……とても綺麗で。
その光景を見ていた私は、心がちくりと針で刺したように痛んだ。




