婚約『内定』取り消しってどういうこと?
――やっぱり無しで。
婚約をしていた相手にそう言われたら、誰だってムッとするだろう。
しかも私の場合、婚約の内定だったからなのか、詫びの挨拶に来るどころか、書状を一通送りつけられて無かったことにされた。
衝撃のあまり、先方から渡された書状を読んだ後の記憶がほとんどない。
父侯爵が「可哀想にレイラ。可哀想に」と同情して泣き、「レイラディーナお嬢様、お気を確かに!」と召使いが呼びかけていたことは、うっすら覚えている。
翌日、召使い達から聞いたところによると、夕食の川平目のソテーもしっかり完食したらしいが。
そうして周囲の人々に励まされ、大好きなものばかり食べて、三日でなんとかまともに思考ができる程度になったところで気づいた。
一月後には、婚約発表の場へ『招待客』として出席しなければならないことを。
なにせ出席しなかったら、正式な婚約をしていないというのに欠席した変な人、と他の貴族達の間で噂になってしまうからだ。
だから大人しく、一か月後に私は馬車に乗って王宮へ向かったのだけど。
「むかつきますわっ!」
私は思わず叫んでしまう。
「私に失点はありませんのよ!? なのに一か月経っても直接の謝罪もないなんて!」
なにせ婚約は、侯爵家の擁する港が生み出す利益を欲した王家が主導したものだった。だというのに……第一王子ルウェインを別の女と婚約させることにしたからと、王家は「それナシで」と一方的につきつけてきた以後、何の音沙汰もない。
この一か月の間に、せめて王子本人からの詫び状くらいは届くかと思ったのに。
「おかげで私の経歴に傷が、傷がっ! ……げほげほっ」
馬車に乗ってからも、独り言を言い続けてしまう。
「レイラディーナお嬢様、興奮し過ぎです。落ち着いて深呼吸なさって」
側にいた黒髪の侍女が、激怒して叫んだ拍子にむせた私の背中をさすってくれる。
「それに、建前上はまだ傷がついていないわけですから」
「確かにそうよね……」
言われてみればなるほど。『内定』だったので、他の人には知られていない。
「でも悔しいわ。このままずっと黙っていなくちゃいけないでしょう? 仕返しさえできないなんて……」
侍女がとても嫌そうに尋ねてきた。
「お嬢様の考える仕返しとは……?」
「もっと地位の高い男と結婚して、貴方なんて目じゃないわって見せつけることよ!」
私の答えに、侍女は深く納得したようにうなずいた。
「なるほど。レイラディーナお嬢様らしい発想ですね。でも相手がこの国で一番身分の高い若い男だったから、その手が使えなくて憤っていらっしゃる、と」
「そうなのよ……。これ以上位が高い方なんて、隣国の王族とか、神殿の大神官様や神官長様ぐらいでしょう? 結婚なんてとても無理よ……。ルウェイン殿下の婚約者に内定したことだって奇跡だったのよ?」
すると侍女が頬に手を当てて言った。
「確かにそうでございますね……。お嬢様はお顔立ちこそ悪くないのですけれど、ちょっと釣り目気味……いえ猫のように可愛らしい目でいらっしゃって、少しこわ……いえ威厳が滲み出ているというか。何よりこう、食べ物に釣られやすいところもご令嬢としていかが……ごほん、少々お茶目でいらっしゃるから、王子妃になるのも、ゆくゆくは王妃になられるのも少々ふあ……」
「普通に言ってもいいわよ、マイア……」
「え、本当ですか?」
侍女のマイアがぱっと顔を明るくしたので、私は即座に取りやめた。
「あ、やっぱりダメ。あなたのことだもの。きっと食べ物につられてるうちに大事なことを忘れるとか言うに決まっているわ!」
「仕方ありません。お嬢様は食べるのがお好きですから。それでもあまり大量にお召し上がりにはなれないので、ふくよかすぎる体型になられることはなくて、私や召使い達もほっとしております。唯一の美点であるご容姿が、散々なことになってしまわれますものね」
「マイア……あなた私に何か恨みでもあるの?」
尋ねると「いいえ?」と心底不思議そうに首を横に振った。
そんなマイヤと私を乗せた馬車が止まる。どうやら王宮に到着したらしい。
「さ、到着しましたわ。私がお伴できるのは入り口まででございます。決して王子殿下を罵倒なさらないよう気をつけていってらっしゃいませ、お嬢様」
侍女に笑顔で送り出されて、私は渋々馬車を降りたのだった。
第一王子ルウェインの婚約披露会場は王宮の庭園だった。
そこへ一歩足を踏みいれただけで、周囲の視線が突き刺さり、ひそひそ話が始まった。
しかも、彼らの話の内容が衝撃的だった。
「……内定していらっしゃった婚約が、取り消されたんでしょう?」
「よくお顔を出せましたわね……勇気があるというか図太いというか」
なんで知っているの!?
耳にしたことが信じられなくて、驚きで表情を変えそうになった。でも、こらえる。
一緒にいたお父様にとっても、寝耳に水だったらしい。
「レイラ、お父様はちょっと状況を確かめて来るから。ここにいなさい」
そう言って、壁際のあまり人がいない場所に私を置いて、情報収集に走った。確かめてもらわなければと思った私は、うなずいてお父様を送り出す。
けれど待っている間、わざわざ近くに来てまで噂話をしていく貴婦人達もいた。
「でも急に取り消されるなんて、何か不敬なことでもなさったのではないの?」
私は奥歯をぎりぎりと噛みしめる。
私に、どうやって不敬を働けばいいと言うの?
あの王子とは内定の返事をしに王宮へ上がった時以来、全く会っていない。内定決定の書状と一緒に、義務みたいに一度花束は送ってきたけれど、本人は私を王宮に招きさえしなかった。
それも全て、あくまで内定だからだと思っていたから……。
正式に発表するから、王宮へ伺候してほしいという知らせを、ただ待ち続けていた私はなんだったんだろう。
うつむいて唇を噛んでいると、お父様が戻ってきた。
いつもはつやつやとしていたお顔が真っ青になっているので、かなり悪い話になっていることは想像できたのだけど。
「レイラ、落ち着いて聞いておくれ。どうも王家が、他の貴族家からの婚約の話に対して、お前の名前を出して断っていたそうなんだ」
「え……!?」