7.安堵のため息
記憶の中の王子はまさにこの世の王子様であったが、今の王子はただ無愛想で目つきの悪い、礼儀もしらない子供だ。
私よりは2歳上になるけど。
表面は、にこやかな笑みを浮かべている王妃様の扇を持つその手は小刻みに震え、今にも王子の頭に落としそう。 それに気づかない第二王子は、仁王立ちし私を睨み付けている。
第二王子が私から視線を変え、背後から横に並んだ兄を見上げて一瞬だけ怖気づいたのが手に取るようにわかったが、私に戻した視線はしっかりと上から目線。
あまりの衝撃で言葉も出なかったことは悔やまれるが、おかげで冷静になりました。
「・・・・・・・・・」
ここは大人であった余裕をみせつけて差し上げましょう。
場数なら任せておきなさい。
昔とった杵柄ともうしましょうか、誰もが見惚れた姿をおみせいたしましょう。
ドレスの裾をつかみ、右足に力を入れ左足を後ろにしてつま先だけを地面につけ、膝を曲げ腰と頭を真っ直ぐ下げる。
足の指先から頭上まで神経を張り巡らせて、頭の位置腕の位置に気を付けながら、一寸の狂いなど見せずに優雅に且つ優美な礼を。
「はじめまして、殿下。 ダグラス公爵の娘でございます。 どうそお見知りおきを」
今出せる最大級の笑顔を顔にのせて、にっこりと。
青の瞳が丸くまるく見開かれ、喉仏が上下したのを視界に収め、再度にっこりと笑顔を作り首をほんの少し傾けて問いかけた。
「いかがないさました?」
「・・・・なっ? お、おいお前、無礼だぞ!」
まあ、当然でしょうね。
第二王子は一瞬ポッカーンと口を開けたが、一気に顔を真っ赤にしそのまま怒りの表情に変えていった。
「無礼を承知で申し上げますが、私は、お前と言う名ではございませんわ」
「なっ! お前が名を名乗らぬからだろう!」
「まあ? 名乗っていただけませんでしたのに、名乗る必要が?」
「っ、こいつ・・・おいっ! アレクお前の妹っ」
ついつい条件反射で言い返してしまったが、不敬罪とかになってしまわないかと内心ヒヤヒヤして、目線だけで王妃様の様子を確認したが、扇で隠れて口元は見えない。
傍観するのだろうと解釈した。
それにしても、アレクなどと愛称を呼ばれるくらいには二人は親しいとは知らなかった。 まあ、兄の事なので、言う必要性も感じなかったかもしれない。
うーん。 こんなおちゃらけなしのアレクお兄様を初めてみたけど、ジュリお兄様が君臨しているみたいで薄ら寒い。
「殿下、本日もご機嫌麗しゅう存じます。 で、わたしの妹の何が無礼なのでしょうか?」
「!」
「いや、まさか殿下。 上の者が己の名を告げなければ、相手の名を知る必要性がないと解釈され、下の者は名を名のることはできないと、貴族の暗黙のルー・・」
「あ、アレクまっ」
「いやはや、私の妹を是非とも殿下に紹介したかったのですが、残念ですね、さあ、リーシャ帰ろうか」
いや、兄よ、王妃様にお呼ばれしているのだが・・・。
まったく残念そうではない兄は、神妙な顔をして私に腕を向けてきたので、そこで気づいた。
アレクお兄様はこの第二王子をからかっていると。
意図がわかったと意味を込めて、少し困った顔を作り兄の腕に腕をからめれば兄は、満足気に微笑み王子に向き合った。
「では、殿下。 御前失礼いた・・」
「ちょっと待った!!! 待ってくれ!」
大きな声を出さないでほしいと言うか、気安く腕を掴まないでほしいのだけど。 ソワリと肌が栗立ち、鳥肌が・・・・ 「っいたっ!」 と、王子の声と同時に掴まれた手が離れた。
兄は、私の掴んだ王子の手首を叩き落としたようだ。 その時間数秒・・・「私の妹に気安く触らないでください」 と、吐き捨てたかと思えば、私の体は兄の後ろに隠されましたよ。
早業というか、反射神経がいいのか。
アレクお兄様カッコイイ!! って、黄色い悲鳴を上げているのはどうやら私だけではないようで、ここにいる令嬢達の桃色の視線は、兄一点に絞られている。
ご子息達は、顔を真っ青にしているが・・・、まあ、王子の腕を叩き落とせばね?
兄がご立腹と言うは、空気でわかる。
たぶん、王子の腕を叩き落としたことなんてどうでもいいのだろう。 どうでもよくはないが、誰も口を挟めない。
さあ、この空気どうしましょうか。
庇ってくれた兄の顔はつぶしたくはないし、ここで私が口を挟めば女のくせにはしたないとか思われそうなのだが・・・・。
悩んでいるうちに、バチっとものすごい音がして兄の背後から顔を出せば、王子は頭を抱えてしゃがんでおり、その後ろに王妃様が何事もなかったように、扇を開いては閉じております。
・・・・・もしかして、扇で?
「あら、旦那様、・・・に、陛下」
母の落ち着いた声に含まれた単語に、ギョッとしたのは私だけではないだろう。
母は道をあけてすぐ礼をとると、職務の途中なのか、上質なのだろうが簡素な服装で現れた王様がいた。
しかも、父も後ろに控えている。
「皆の顔を見に来たのだが、楽しんでいるのか? レオンお前はどうした?」
未だにしゃがんでいた王子は、頭を抑えたまま立ち上がったが、涙目だ。
笑える。
なんでもありませんと、答える王子に王様は、目を細めがた何も言わない。 辺りを見渡した王様は一言。
「おや、まだ始まってもいないのかい?」
「ええ、これからですのよ」
王妃様は平然とした口調で王様ににっこりと微笑んだ。
誰も声など出せない。
王様の砕けた口調はありがたいが、威圧感がすごい。
王族様々な服装ではないのに、漂う空気が違う。 そして眼力が半端ない。
この国の王様を至近距離で拝見することのない子供達の反応は様々で、キラキラと目を輝かせる者もいれば蒼白して固まっている者もいる。
「陛下、お仕事は?」
「ああ、抜け出してきた」
「まあ? 大丈夫なのでございますか?」
「ああ、だから宰相も連れてきた」
後ろを見ずに父を指差す王様。 父は王妃様に軽く挨拶をすると、私と兄を見て手招きをした。
・・・・来いと言うことだろうが、行きたくない。
兄も王様と父の登場に驚いたのか、今度は焦りを感じる。
兄の名前を小さく呟けば、喉をならすと私の手をとってゆっくりと歩き始めた。 ギュッウと繋がれた手に私も力を込める。
大丈夫という意思を込めて。
「陛下、アレクはご存じですよね」
「ああ」
「リーシャ、おいで」
王家と血の繋がりがあると知っていても、やはり別世界の人物だと思う。
兄達は御会いしたことがあっても、私は初めてだから。 でも、父と王様のやり取りが簡潔すぎて、どんな顔をしたらいいのかわからない。
「当家の娘のアリーシャです」
父の素っ気無さに私は礼をとるタイミングを逃し、「やれやれ」 と小さく呟いた王様は呆れ顔、その少し後ろに控える王妃様も苦笑いしているが、王子はムスーとした顔を隠していない。
それはないでしょう! と、言いたい気持ちもよくわかります、王子。 まさに先ほどの立場と同じようなものですものね。
でも、それはそれ、これはこれ。
背の高い父を見上げると、和らげな顔をした父が私の肩を優しくなでた。
すぅと息をのみ、王子にしたそれと同じように最敬礼する。
「はじめまして、陛下。 只今紹介に預かりましたダグラス公爵の娘、アリーシャ・ルナ・ダグラスと申します」
公式の場であれば、面を上げよと言われるまでは上げてはならないが、ここはお茶会なのでそこまでする必要もない。 姿勢を正せば満面な笑みの父と、感心したように頷く陛下の顔。
失敗はしてないようだと、内心胸を撫で下ろすと、陛下は少し腰を屈め父と同じアメジストの目を細めた。
「君に逢えることを楽しみにしていたよ。 まあ、君の父親は会わせたくなかったようだがね」
片目を瞑り、含んだ笑いを見せるお茶目な陛下。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・陛下、そろそろ時間ですが」
低い低い父の声に、「まったく、うるさい奴だ」 と、陛下の小さな小さなボヤキが聞こえるが、時間なのだろう残念そうに 「では、楽しんでくれ」 と言葉を残し、父を連れ壮快に立ち去って行った。
「残念な王子様だったのですか・・・・。 噂とは違いますのね」
「そうね・・・」
外出用のドレスから普通の動きやすいドレスに着替えた私は、ぐったりと椅子の背に持たれていた。 さすがにノアも咎めることはせずにいてくれる。
心配顔で迎えてくれたノアに、簡潔な報告をすればなんとも言えない表情で没頭のセリフだ。
重くなる瞼をそのままにして、大きなため息をついた。
陛下達がいなくなった後は、王妃様は機転をきかし重い空気をガラリと変える話題を提供し、母もご婦人達もそれに乗る形で気持ちを切り替えていったようだ。
子供達は皆、金縛りから溶けたように緊張をほぐし、マナーよく喉を潤してそれぞれ気の合う仲間と過ごしていた。
私は兄に連れられて人のいないベンチで休むことができた。
兄に助けてくれたお礼を言えば、当然だと笑ってくれたが、お互い顔を見合わせてコツンと額を合わせた後、「お父様に怒られそうだ」 と、同じセリフを吐いてしまい思わず二人して吹き出してしまった。
「お兄様、お父様から庇ってくださいね?」
「・・・・・・・・がんばる」
「絶対ですわよ」
「・・・・おう、まかしとけ・・・たぶん?」
帰りの馬車の中でそんな言葉を繰り返しながら、屋敷へと戻ってきたのだ。
「王子様は、いなくなっていたのですね」
「ええ、いつのまにかいなくなって、戻ってこなかったわ」
ノアの問いに、瞼を開けて答えた。
王子はいつのまにか消え、私たちが帰るまで姿を現さなかった。
私はそれでいいと思う。
あんなに緊張し、眠れぬ夜を過ごしたというのに結末は呆気なく終わった。
呆気なすぎて乾いた笑いが出てしまう。
「でも、疲れたわ・・・」
これでいい、これで一安心だ。
ほぅと安堵の息がもれ、目を閉じる。
王子と会う機会はない。
10年後の社交界デビューまで会うことはないだろう。
私はこれからの人生を始めるのだ。