6.驚異
泣きたいくらいに、切ない。
季節が変わる度に色を変えていく庭園。 白を意識して造られた繊細で複雑に彫られた噴水、辺りを囲む凛とした紅い薔薇。
紅い薔薇からはじまり、桃色、黄色、白と変化していく迷路のような石畳はいくつに分かれている。 立ち入り禁止の場所は、左側に。 目の前の道はしばらく歩くけば文官や騎士達の建物の前に。
右側は、厳重な許可を得れば誰でも過ごすことのできる公園のような場所がある。
何も変わらずそこにある。
この薔薇園を過ぎればマグノリアが上品に香る場所に出る。
第二王子に初めてお会いした日も、こんな穏やかな日。
同じ年代の子息や令嬢が集められた庭に、王妃様に連れられて現れた第二王子。 そこにいた令嬢達は息を呑み礼儀も忘れ見惚れた。
私もそんな一人だったことを思い出す。
「大丈夫か? リーシャ」
顔を覗きこんでくる下の兄、アレクサンダーは普段のガサツさなど微塵にも見せずに、庭の奥に足を踏み入れるたびに、表情が乏しくなる私に気づかってか何度も聞いてくる。
そんなに顔色が悪いのかと思うが、お茶会の日が迫ってくるにつれ、無口になっていく私を心配したのだろう。 アレクお兄様は 「当日は俺も行くから安心しろ」 と、胸をドンと叩いて任せとけと。 そんな下の兄の姿を母は微笑ましそうに、父は、少し気難しそうにしていた。
だが、思う。
第二王子とお会いした日は、兄はいなかった。
「大丈夫ですわ、アレクお兄様」
「ならいいが、気分が悪くなったらすぐ言えよ」
「わかりました。 ありがとうアレクお兄様」
これの繰り返しである。
母はそんな下の兄を何度か咎めようとしたが、気持ちがわかるのか苦笑いしながらゆっくりと庭園を歩いていく。
「お前は大丈夫だ。 お前ほど賢くて天使のように可愛いやつなどいない。 お前が一番だ。 ねえそうでしょう母上」
「・・・・・・」
自分のことのように自慢げな兄。
「ええ、そうね。 でもねアレク、貴方がそう言う度に、リーシャの心に負担が増すと思うのよ」
「・・・なぜですか?・・・・・そうなのかリーシャ」
いや、気を落ち着かせてくれてるのがわかるので、答えられない。 とりあえずと思いニコリと笑顔を作った。
覚悟は決めてきたけど、決めてきたはずなのに、見慣れた場所に入るたびに、懐かしさが込み上げる。
それは私が感じることではないのに、頭の中の記憶がそう思わせる。
言葉には表すことが出来ない複雑な心境の中、会いたくない、会いたいと二つの心がぶつかり合うように心が揺れている。
ああ、ここだ。 ここでお会いした。
思いにふける前に、母が言った 「さあ、リーシャ。 行きましょう」 それは強く、そしていつものように優しい声だった。
「はい。 お母様」
私は頷いて顔を上げた。
雑念を振り払う。 公爵家の名に恥じぬよう、気品を胸に気合を入れて一歩を踏み込む。
開けた場所に設置されたテーブルの周りには、数名のご婦人とその子供達がいた。 ざっと20名弱。
ザワリと一瞬だけその場がざわついたが、母を先頭にした私たちの姿をみたご婦人達は、淑女の礼をとるとその子息、令嬢達も頭を下げる。
母は、「御機嫌よう」 と、声をかけながら優雅に前へと進んでいく。
さすがに、王妃様の主催のお茶会である。 子息も令嬢も自分の立ち位置を知っている。
爵位の下の者が、上の者に声をかけてはならないと言う暗黙のルールがあるが、それを破るものはここには揃ってはいないのだろう。
兄は兄で、まるで騎士のように私の背後にピッタリと張り付き、周りを警戒し威嚇しているようだ。
これはこれで考え物だが・・・・。
「あら、ロヘル侯爵夫人、御機嫌よう。 そちらが、ミレーネ嬢ね、可愛らしい方ね」
「ダグラス公爵夫人、御機嫌よう。 はい、この娘が長女のミレーネですわ。 ほら、ご挨拶を」
この令嬢、覚えている。
オレンジのかかった茶色の髪に真っ赤なリボンが引き立ち、控えめにフリルをあしらったドレスも真っ赤だが、下品には見えない。 顔だちも整っている。 母親に托されながら淑女の礼をとる令嬢を黙ってみつめた。
第二王子の婚約者候補。
短い候補だったが、私に操られ男爵令嬢をいじめ抜いた人物の一人でもあり、最後は伯爵の二男と婚約を結ばされ結婚した可哀想な令嬢。
「は、はじめまして、わたくしロヘル侯爵当主の娘、ミレーネと申します。 よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げるミレーネ様は、噛んでしまったことが悔やまれるのか、密かに眉を寄せ顔を赤らめた。
太陽の光を浴びたクルクル巻いた髪がオレンジ色を強くする。
「はじめまして、ミレーネ様、アリーシャと申しますわ。 こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
「い、いえ、あのこ、こちらこそ」
やわらかそうな巻き髪がキラキラと光り、ほんのりと頬を染めたミレーネ様の愛らしさが倍増である。
思わず零れた笑みで返す。
「ミレーネ様のオレンジの髪、夕陽のようにキラキラして綺麗ですわね」
夕日に染まる海に映る色だと思ったので、素直な感想を言っただけなのだか、彼女は何故か息を呑んで、数秒足らずして真っ赤になった。
変なことを口走ったのかと心配になり、思わず母を見上げればニコニコと笑顔がそこにある。 変なことはいってないみたいで安心したが、数歩と下がった場所にいたミレーネ嬢が目の前にいて驚いた。
「わ、わたくしなんてとてもとても、月の女神様のようなそんな方に褒めらるなんてとんでもございません! わたくしなんて足元にも及びません」
ガシッと手を握られ、真っ赤な顔が迫ってきた。
「えっ? ・・・・・あの、・・」
「おこがましいですが、わたくしをぜひ取り巻きの・・」
「ミッ、ミレーネ!!」
「でも、お母様わたくし、アリー」
「おやめなさい! 失礼ですよ」
ミネ侯爵夫人の咎める声に引き摺られて行く令嬢、くすくすと笑う母の声。
アレクお兄様は、肩を震わせて 「ゥグッ・・・く・・・」と、笑いを堪えている。
―――― 私、何のボタンを押したのでしょう?
この方は、前世の私の言うことを聞きながら、私を陥れようとした令嬢だ。 悪事がばれ無理やり伯爵子息と婚約を決められても、最後まで第二王子の婚約の地位を諦めなかった人。
それが?
なんとか笑いを収めららしい兄が、身を屈め小さな声で 「友達になれそうだな。 よかったな」 と、ささやいた。
はい? と声に出さなかった自分を褒めてやりたい。
ギギギッとミレーネ様に顔を向ければそこには、侯爵婦人の横から、ギンギラに瞳を輝かせ頬を染めるミレーネ様がいた。
「皆様、王妃様がお見えになります」
侍女らしき声が届き、その場から道を開けるように並ぶ。
アンジェリカ・リルフィ・クレール王妃。 漆黒の髪に知性溢れる藍色の瞳、スラリと長く細い手足に、豊満な胸にくびれた腰。
歴代の王妃を凌ぐ才の持ち主であり、民の生活環境や福祉に力を注ぎそれを発揮し、もっとも民から慕われる王妃と言われている。
王妃を最後に見たのはいつだったか。 お呼ばれもしなくなり、嫌煙されていた自分と、男爵令嬢を陰ながら応援していた王妃。
「・・・・っ・・・」
落ち着け、落ち着け、私は公爵令嬢。 感情に飲む込まれるな、母がいる兄がいる、絶対失態は冒せない。
「今日はお集まりいただいてありがとう。 さあ、ゆっくりくつろいでくださいな」
王妃の紅い薔薇のような凛とした声が響く、冷や汗をかく手を握りしめる。
「リーシャ?」
「はいお母様」
「ねぇ、大丈夫? 緊張してる?」
小さい声だが、母の声は聞こえる。
大丈夫だ。 私は大丈夫。 答えることもできる。
心配そうに覗き込む母ににっこりと微笑んで、「少しだけ緊張してしまいました」とおどけて見せた。
ホッと息を吐いた母は、頭をなでた。
「噂は聞いていたけど、本当に綺麗な子ね。 セシリア様にそっくり」
「本日はお招きいただきましてありがとうございます、王妃様。 お褒めいただき恐縮です、娘のアリーシャと申しますわ」
すぐそばにいたのかと内心ヒヤヒヤとしたが、視線はまだ上げない。
背が高いはずなのに、子供の目線に合わせてくれる王妃様。
このお方も変わらずに気高く美しい。
「はじめまして、アンジェリカ・リルフィ・クレールよ。 この国の王妃をしているけど、貴女の母親とは昔からの友達なの、だからそんなに緊張しないで」
私だけに聞こえる声でそう伝えてくれるが、礼儀を怠ればそれは刑罰だ。
親しき仲にも礼儀あり。
「・・・・・・・・・・・」
逸らしている視線の先に、黒髪を靡かせた少年の歩く姿をとらえてしまったが、咄嗟に目を逸らす。
神経が王子に集中してしまうのを、ググッと息を殺し、そしてゆっくりと吐く、その時指先までも神経をめぐらせて誰もが魅了するようにと淑女の礼をとった。
「お初にお目にかかります。 私、ダグラス公爵当主の娘、アリーシャ・ルナ・ダグラスと申します」
「まあ! 本当に良くできた令嬢ですこと! 頭を上げてちょうだい。 ほらレオン、貴方も挨拶をしなさい」
記憶が確かならば、王妃は大輪の薔薇のように微笑んで、第二王子を紹介しただけだ。
王妃様の少し後ろに第二王子がいるので、顔を上げないままではいられない。
ドクリ、ドクリと心臓が大きな波を打つ。
「・・・チッ・・・はじめまして、この国の第二王子です」
―――――― はい?
晴天の空のような瞳の色、サラサラに流れる黒髪。 目が合えば、にっこりと微笑んでくれた第二王子。
・・・・・・えっ・・・・・。
前に出ることもなく、名さえも出し及んだかのような無愛想極まりない声。
言葉を呑む。
えっ、えっ、えっ? いや、いや、何かが違う。
舌打ちしました?
えっ? 私の気のせい?
「賢いとか聞いていたが、・・・女はこれだから・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
ボソリと呟いたようだが、しっかりと耳に届きましたよ、王子様。
腹が立ちますわね。




