4.先手必勝(2)
朝の一時を私の発言で台無しにしてしまったが、有能な執事のロイドは、給士の使用人たちを即座に下がらせ、指定の位置の扉の前に戻ると無表情を保った。 母は母で、咳き込む父を気にしながら、父と私を交互に見、何か言いたげだが口を挟むつもりはないようだ。 ただ、華奢な手で胸を抑えた母に、胸中で謝罪した。
その間、誰も父に声をかけないのはどうしたものかと思うけど・・・。
「・・ゴホン・・・・いきなり、どうしたんだい?」
やっと咳が止んだ父は、若干涙目になりながら真面目な顔をして問いかけてきた。
ここで大丈夫ですか? など声をかけてはいけない。 言いたい事は言えずに終わってしまうだろうし、のらりくらりと交わされ、気が付けば第二王子と婚約しておりました。 と、そんなことにはなりたくはない。
気合を入れなおし、背筋を延ばして上座に座る父を真っ直ぐと見つめる。
「いきなりではございませんわ、お父様。 貴族の娘に生まれてきたからには政略結婚など義務だと思いますし、そう教えられています。 お父様やお母様のような恋愛結婚は少数だと聞き及んでおりますので、覚悟はしておかなければならないと思いますし」
「い、いや・・リ・」
ここで負けてなるものかと、聞こえなかったことにする。
「そうですね、子供だからといえ何の相談もなく、まして打診もなく勝手に誰かをあてがわれるのが嫌だと思いましたの。 あ、もちろんお父様は私の気持ちを一番に考えていてくれると思いますわ。 考慮し、厳選し、選り好い方をみつけてきてくれると信じておりますわ! そうですわね? お父様!」
言い切った事に満足をして、私は満面な笑顔を浮かべ唖然とする父を見つめ返し、極め付けのセリフを口にする。
「お仕事で忙しいお父様とは、お話する時間もお茶をする時間も限られてますので、少しの時間も大切にしたいのですもの! そんな時期が来るまでは私、家族といたいのです」
コテンと首を傾け、両手を胸の前で握り上目使いでじーとお父様を見つめた。
この仕草は、日頃盗み見る母を参考にさせていただきました。 はっきり申し上げますが、小さな声で唸っている父には効果覿面のようです。 チラリとロイドに目を向ければ、思いっきり頬をひきつらせているし、母は神妙な面持ちで父を見ていた。
「お父様、私は我儘をいっており・・」
さらに、悲しい顔をつくれば、父は慌てた立ち上がった。
「い、いや! リーシャ、我儘なんて思ってないよ! そうだよリーシャ! もちろんだよ! 愛しい可愛い娘に早くから苦労はさせたくはないと常日頃思っているからね! そうだよ、縁談などは丁重にお断りしているから安心をしておくれ! では父は、仕事へと向かうからね。 ロイド支度を! 今日はここでよいよ! では行ってくる」
父はそこまで一気に話すと、ロイドをつれ足早に出て行った。 入れ替わりに母の侍女のリリーとノアが入室をしてきたが、部屋の中の微妙な空気を感じとったのかリリーは黙ったまま母の後ろに控え、ノアは私の後ろに控えると、小さな声で「紅茶のお替りはいかがなさいましょう」と、聞いてきたので無言で首を振振った。
緊張としゃべり過ぎたせいで喉は渇いていたが、部屋の中は気まずい空気が流れていてお替りを要求することは躊躇われる。
言いたいことを言えた満足感はどこかに消え、残ったのはなんとも言えない罪悪感。
沈黙に耐え切れなく「私は、間違っておりますか?」と、母に小さな声で問いかけたが、母は首を傾げて「ふふっ」と微笑み、「また後で話しましょう」 とリリーを連れて部屋を後にした。
母が出ていく後姿をぼんやりと見つめながら、早まったかもと思ってしまった。
後悔はしていないが、母の考えがまったくわからないから、余計に恐い。
ノアに声をかけられるまでそんなことを考えていた。
母の私室に置かれている家具は、一流品だと一目でわかるものだが、色を統一させているので派手さをまったく感じさせない落ち着いた部屋だ。
広々とした部屋の窓際に、置かれているソファに対面して座った私に、母はニコリと微笑んだ。
「緊張しているの?」
「はい・・いえ・・」
「ふふっ。 緊張なんてしなくても大丈夫よ? ここは貴女と私の二人なんだから」
「はい、ありがとうございます」
と、言われても緊張しないわけがない。
朝の爆弾発言から数時間、心拍数を上げながら前触れがくるのを待っていたのだ。 部屋に入れば母は刺繍をしていたが。
まず先に、お菓子や紅茶を進められそれを頂いてから、正面に座る母を見つめた。
少し首を傾げ、長い睫毛をふせ小さなため息を吐いた母に、構える私。
「貴女はとても賢い子で、我儘一つ言わない子。 沢山本を読み知恵をつけようと努力する子、誇りに思うと同時に私たちはとても淋しく思うの」
「・・・・・・淋しい、ですか?」
母は頷いて、「そうよ、淋しいのよ」と微笑んだ。
「だって、もっと甘えてほしいし、我儘も言ってほしいのに、全然言ってくれないもの~。 ドレスだっておねだりされたこともないし、お願いすることと言えば本がほしいくらいだもの~。淋しいでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なんて応えていいのかわからない。 疑問視する私をよそに、母は続ける。
自分のその頃は、ほしいものは強請り、嫌いなものは嫌いと理不尽なくらい我儘な少女だったと。 侍女を困らせ、講師を泣かせていたと。
王である父を最大級に困らせたのが、ほぼ内定していた婚約を蹴り、この公爵家に嫁ぎたいと申し出た時だったこと。
「あの時のお父様ったら、顔を真っ青にしたと思ったら真っ赤にして”馬鹿なことを申すな”って、すごい剣幕だったのよね~」
「・・・・・・」
それはそうだろう。 と、しか思えない。
「でもね~。 最終的には許していただいたから、絶対幸せになってみせると思ったの。 誰よりも幸せになって、お慕いする旦那様も幸せにしたいと思ったのよ」
当時を思い出しているのだろうか。 少女のように頬を染め陽の光のような瞳を輝かせる。 私が考え付かない色々な事があったと思う。
「では今、幸せですか?」
愚かな質問かもしれないが、本当に幸せなのかは本人にしかわからない。
キョトンとする母は 「もちろんよ~」 と、とてもとても眩しい笑顔で言った。
「愛する旦那様と愛する可愛い子供達がいて、お義父様もお義母様も大変すばらしい方で好くして頂いて、陰なり日向なり支えてくれる者もいるから、私は世界一幸せだと思うわ」
こんな溢れんばかりの笑顔をみたら、わからないなど言えない。
「リーシャ」
「はい・・」
見上げれば、母はいつもと変わらない柔らかな笑みを見せていた。
「ねぇ、リーシャ。 貴女はもっと我儘でもいいの、もっと強欲でもいいの。 もっと甘えてくれないと私たちは差し出す手を躊躇ってしまうのよ」
「・・・・・・」
「だから今日、貴女の率直な意見を聞けてとても嬉しいのよ?」
「・・・・我儘ではないのでしょうか?」
母は首を何度も左右に振り、いきなり立ち上がると私の横に腰を下ろした。 びっくりする私の握りしめた手を取り、包む。
「できれば、賢く正論を淡々と告げるよりは、結婚などしたくはな~~~い! って、盛大に暴れてくれればもっと良かったけどね」
「はっ・・・ええっ?」
「だから、私がやったように・・・ではなくてね? えっと・・・・・・だからね、大丈夫よ! 貴女は私が守ってあげるから」
盛大に暴れて承諾を頂いたのですね? お母様。
誤魔化したようですが、まったく誤魔化せてないですよ、お母様。
「・・・・えーと、リリーには内緒にしてね?」
私の手をギュッと握り母の顔は、真剣だ。 父ではなく、リリーに内緒と言うのが母らしいと言うか、納得できるものを感じるので、コクリと頷けばホッと表情を緩めた。
母は、一度大きな息を吐いて、私を覗き込んだ。
「・・・・話が逸れてしまったけど、婚約の話を貴女がどう捉えているのかはわかったわ。 少なくとも私は貴女にも上の息子達にも、急いで婚約者を決めようなどとは思ってはいないわ、現に、ジュリアルにもいないでしょう?」
「・・・・はい」
「ちなみに、ジュリアルはね、旦那様に”頼むから他国の姫君なんぞを連れて帰ってくるな!”と、念押しされているのよ? まあ、ジュリアルは父上ではあるまいしとかなんとか言っていたけどね?」
「・・・・・・」
「私はね、私のように、いえ、私より以上に、貴方達には幸せになってほしいと思うから、急がなくてよいと思っているの。 そして、私も親の意見だけで結婚相手を選ぶのは反対よ? お父様が探してきた相手に間違いはないとは思っていても、お会いした方が自分に合わなければ、その方がいい相手だとは思わないでしょう? すべての意見を呑む事は不可能かもしれないけれど、お父様も私も無理意地だけはしたくないの」
「はい」
「私がこうであったから、貴女にもこうしてほしい、ああしてほしいなどは言えないけれど、貴女が幸せになる道を探していきましょう」
「はい、ありがとうございます。 お母様」
鼻の奥がツンとして涙腺が緩みそうになった。 慌てて頭を下げる私の髪に、優しい口づけを落としてくれた母にギュウと抱きついた。