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哲学者ヴィルゲン氏へのインタビュー

本インタビューは先年の9月11日に、仏グリマール社が行ったインタビューの邦訳である。インタビュアーはグリマール社の記者ジロドゥ氏、インタビューを受けたのは世界的に高名な哲学者の一人である、ヴィルゲン氏である。ヴィルゲン氏は十年前、画期的な哲学書『思考の領界』を出版し、またたく間に時代の寵児となったのだが、その後、十年間近く人前に姿を見せずに隠遁生活を送っていた。しかしこの度、その長い沈黙を破り、グリマール社のインタビューに答えていただいた。



 

 ーーー今日はインタビューに答えていただき、ありがとうございます。まさか、インタビューに答えていただけるとは思いませんでした。


 

 「どうしてでしょうか?」



 ーーーそれはあなたもよくご存知だと思います。だって、あなたはあの伝説的著作『思考の領界』を出版されてから、十年以上も沈黙されていました。あなたには、その間、様々な伝説が飛び交いましたから。死亡説まで飛び出たくらいです。



 「そうですか。でも、不思議な事ですね。僕の書いた『思考の領界』は、あの当時は誰の興味も引きませんでした。僕はあの当時、若かったし、随分、出版しようと骨を折ったのですが、どこもあの著作を相手にはしませんでした。ある編集者には、言われましたよ。『君、今頃、こんな古臭い「哲学批判」をしてどうなるのだね。こんなもの誰も読みはせんよ』って」



 ーーーしかし、あの著作はその後、主に若者達の間で伝説的な著作となりました。解説もたくさん出て、他国にも翻訳されました。しかし、あなたはその間、全くと言っていいほど、メディアに出ませんでしたね。それは、どうしてだったのでしょう?


 

 「それはあの著作とも関わりのある事ですね。あの書物に対して、今の私はやや批判的になりつつあります。私はあの作品で全ての哲学問題を解決したと信じていました。そしてその後に残されたのは沈黙であると、私は感じていました。だからこそ、私はその沈黙を『生きた』のです」



 ーーー「沈黙を生きた」と言いますと?



 「つまり、今に至るまでの沈黙した十年間の事です。私はその間、哲学の問題を放棄していました。何せ、全ての哲学問題は解決されたと信じていましたから、それ以上哲学をやるのは愚かです。だから、私は働いて、普通に生きていました。私は今、結婚しているし、子供もいます。そしてこうした全てはおそらく、私にとって何ものでもない。本当の事を言うと、私の生は私の哲学の残滓なのか、あるいは哲学が私の生の残滓なのか、どちらなのか、私には今もってわかっていないのですよ。…とにかく、あの頃は若かった。それだけですよ」



 ーーー確かに、あなたはあの著作の後、十年も沈黙しておられました。しかし、どうして今になってあなたは、このインタビューの要請に応じたのでしょう? 私が最初に言った、困惑にまた戻る事になりますが。



 「そうですね。ですから、その問いに対する答え自体が今の私ーーーつまり、私のあの最初の著作に、私自身が疑問を持ち始めたという事ですね。全ての哲学問題に答えきったというのは、若造のいい気なものだったんじゃないか、と今の私はそういう事を思い始めています。しかし、今の私が自殺もせずに生きているのはこの世界の奇跡だと、今の私には感じます。と、いう事はこの世界があるという事もはやり奇跡なのでしょうね。神が自殺を考えても、おかしくはなかった。私が神だったら、やるべき事がないんだから、とっとと自殺を考えますがね」



 ーーー神の問題、ですか?



 「そうです。神は私にとって、常に中心的課題でした。しかし、私はある点から、神になりたいと願っていたのかもしれない。ニーチェは神を殺しましたが、同時にその時、自分自身が神になる事を宣言したのでした。つまり、彼は狂人になる事によって神になったという事でしょう。真理というのは哀しいものです。そこに到達するやいなや、やる事がなくなってしまう。だから、後に残るのは投身だけという事になる。まあ、人間というのはやる事があってよかったと思います。労苦、というのはいいものです」


 

 ーーーですが、全ての人というのは何らかの答えを求めるものではないでしょうが? つまり、私達はどこかに完全な真理があると考えたり、神がいたりすると、どうしても考えがちですが?


 

 「そうですね。そういうものだと思います。だからこそ、私はあの最初の著作『思考の領界』を書いたのでした。本当を言うと、私はあの著作を書く事によって、世界と決別するつもりでした。つまり、私はあの作品を書いた時に自殺するつもりでした。ーーー本当の事を言うと。どこやらの映画では、ゴッホは、「カラスのいる麦畑」を書き終わった時に、拳銃自殺したという事になっているらしいですが、しかし、自殺というのは思われているほど綺麗なものではない。それがあの著作を書き終わった時、私が感じていた事でした。大体、私はあの著作を何としても出版社からだそうとしてもがいていました。しかし、今から死ぬ人間が熱心に自分の本を売り込むというのも、滑稽な事です。そういう事をぐるぐると考えている内に、私は自殺するのをやめました。そしてその代わりに生きる事にしました。しかし、生きるにしたって、それは私にとって死ぬ事と同じでした。何せ、全ての哲学問題は明瞭な形で提出されたのですからね。今は私に対する批判も色々あるそうですが、まあ結構な事です。しかし、私があの時、何を感じていたのか、理解できる人はごく少数でしょう」



 ーーーあなたは、あの作品、「思考の領界」を後悔しているのでしょうか?



 「『後悔』という言葉の意味がよくわかりません。『後悔』というのはどのような意味なのでしょう? 過去を後悔して、今この時に何の価値がもたらさられるのでしょう? 私はあの作品に対して別に後悔はしていません。あれはああいうものだった、とただそれだけです。そして今の私は、あの頃の私ではない」



 ーーー「思考の領界」は若者を中心に熱狂的な人気を生みました。あの作品は難解な哲学書だったにも関わらず、どうしてあれほどの人気を得たのでしょうか? 著者であるあなたご自身は一体どう思いますか?



 「…どうでしょうかね。それも先ほど言った事と関わりありますが、結局、若い人というのは、全ての問題を性急に解決したがる所がありますからね。全ての人生問題に性急に答えを与えようとする。つまり、何らかの神を打ち立てないと気が済まないのですね。そういう所に、私の著作はヒットしたのかもしれません。しかし、今になると、それは私の罪なのではないかという気がしています」



 ーーー「罪」というと?



 「彼らを間違った方向に導いたのではないか、という事です。私は、アインシュタインが犯そうとした間違いのような事をやってしまったのではないかと、それが今になると気がかりなのです。アインシュタインは幸い、自然科学の分野の人ですから、誤ろうとしても、誤りを絶対化できなかった。自然というのは厳粛なものですかね。それに比べると、哲学というのはかなり曖昧な所があります。そして私はその曖昧な部分を利用して、何か、ーーこの世界そのものを一つの真理に還元してしまったのではないか。今の私はそれが気がかりです。例えば、この世界が、次の式に表されるとしましょう。つまり、この世界は『E=mc2』であると。例えば、そういう風に決めたとしましょう。そして、そういう式が一度出ると、その式がまるで全てを表しているような気がしてきます。つまり、その式こそが絶対である、と。パスカルはある時、彼にやってきた真理の言葉を書き付けて、それを肌身離さず持ち続けたらしいですが、今の私の考えでは、それは間違いだと思います。つまり、世界がある一つの等式に還元されたとしても、世界は以前、そのままの形でそこにあるのです。苦悩が、単に数式にすぎない、生理学的、精神医学的にこれこれであると言われても、以前、苦悩は存在するのです。そしてそれが生きるという事です。しかし、それに至る道筋として、哲学は利用されても良い。今の私はそう考えています」



 ーーーでは、あの「思考の領界」は全て過ちだったと?



 「それは難しいところですね。私自身、あの書を完全に否定できるわけではありません。あの書の最期にはこう書いてあります。『人は私が示した真理に到達しさえすれば、そこに至るまでの道を捨ててしまっても構わない。論理というのは一つの沈黙に至る為の道具に過ぎず、我々は道具を目的にしてはならない』と。私はあの言葉を、今も正しいように自分では感じています。そして私はそう生きました。私は沈黙しました。そう、アルチュール・ランボーが、その詩業を打ち捨てて世界放浪の旅に入ったように。あの時、私の哲学は投げ捨てられたのです。しかしながら、世界の謎が了解されたとしても、世界はなお存在し続ける。その事が、私には不思議でした。私はあの後、いわば普通の人生を送りましたが、しかし、その事が自分でも不思議で仕方なかったのです。つまり、私が生きるべき理由がないのに、私が生き続けているという事実が」



 ーーー人は理由がなければ、生きていかれない生き物でしょうか?



 「どうでしょうか。例えば、こういう問いがあります。『どうして人を殺してはいけないんでしょうか?』 こういう問いに、世の大人達はあまり明確に答えられません。私もこれにきちんと答えられる自信はありません。ただ、次の事ははっきりとしています。そう質問した人は、理由さえあれば、人を殺してもいいと考えている事。この事はドストエフスキーもまた考察しました。つまり、正当なる理由、理性にたいする正確な訴えさえあれば、それが人を殺してもいいという理由になりうる。我々は皆、そんな風に考えているのじゃないでしょうか。なので、私としてはこういう問いに対しては、次のようにしか答えられない。『人を殺してはいけない正当な理由というものは私にはわかりません。ただ、あなたが私を殺そうとすれば、私は身を守るために、場合によってはあなたを殺します』と」



 ーーーもう一度、「思考の領界」に戻りましょう。あなたは、あの作品にある種の過ちを認めていらっしゃる。では、それは一体どんな点なのでしょうか?



 「あの哲学書で、私は色々な記号論理の言葉を用いました。そして厳密な論理性を用いました。そして厄介だった事は、妙に人々を刺激し、熱狂させてしまった事というのは、私のその厳密な論理性と、その論理性と世界との結びつきの問題なのです。あの頃、私はそれをほとんど考えていませんでした。物事は単純である、と私は見ていました。ですから、単純な事から、複雑な論理形態に至って一つの解答が現れる、と私は信じていました。そしてそう実行しました。しかし、今や、私はそれについて疑問を持っているーーー。こういう事は妙ですが、しかし、仕方がない。私は、厳密な論理と、世界全体のあり方、あるいは倫理、道徳の可能性という、論理的かどうかわからない曖昧なものを簡単に結びつけてしまいした。そして私がその結びつきを軽く見た事が、正に人々を、あのような方向に刺激し、熱狂させたのだ、と今はそう感じています」



 ーーーもう少しその点詳しく語っていただけませんか?

 


 「そうですね。例えば、今話題の経済学者で、ビケティとかいう人がいますね。私は彼の書物は読んでいませんが、その概要を見て、すぐにピンと来ました。つまり、彼はデータをいじくって、厳密な論理性という事で、私達にある種の都合の良い解答を見せているわけです。つまり、富の不均衡はどんどん拡大しているのだから、これを税制によって直すべきである、と。この場合厄介なのは、結論は極めて凡庸なのですが、そこに至るプロセスは厳密に見える、という事です。実際、経済学にしろ哲学にしろ、非常に曖昧で茫漠としています。そこでは同じデータから全く逆の推論をする事が可能でしょう。だから、人はその無数の道を辿って、自分達の欲している答えを導き出す。しかし、その答えというのは、実は我々が最初から用意していたものなのです。つまり、私達が望んでいる答えを誰か偉い学者が厳密なデータと論理性によって明証してくれれば、間違いなくそれは評価されるに決まっています。しかし、この点が危険な所です。論理というのはそれほどありがたいものでしょうか? 私は自分の哲学が誤っている方向に向かったのではないか、と今になって考えているのはつまり、そのような事です。私は自分の哲学が全ての哲学問題を解決したと信じました。しかし、何故、私はそう信じたのでしょうか? その事が今の私には不思議です。しかし、今の私にとって、あの書物がたった一つだけ正しかった事、つまり、それがビケティその他の書物と違う事は、人は真理の後には沈黙しなければならない、という事です。沈黙が、雄弁な真理に劣らず大切な価値を持っているという事です。私が厳密で、幾何学的な表現をした事に、人々は目をくらまされたかもしれません。しかし、私が言おうとしている事は実は単純なのです。私は、実は世界は、あるいは真理というのはシンプルなものだと今では思っていますが、それが厳密な論理性を必要とするのは何故かと言うと、真理というものが論理的でないから、と感じています。今では。私が今考えている事は、真理は厳密でない神秘的なものであるがゆえに、論理によって、厳密なものを認識していけば、最期に真理が残るーー今はそのように考えています。つまり、「思考の領界」の根本的方法論は今も私の中に残り続けています。しかし、真理なんてものはなにか。そんなものはなくても結構。そう考えても、もちろん、結構です。しかしながら、全てが結構だと高をくくっても、以前、この世界は存在し、そして生きる事は苦行としてあるのです。ですから、ではどうするか、という問題が未だに残されているのです。私の考えではーーー哲学者は全てに対する最終解答を導き出すものではありません。それは宗教家のする事です。私は宗教家じゃありません。おそらく、哲学者というのは、解答を導く存在ではなく、問いを提出する人々なのです。世界に対して一つの問い、それぞれがそれぞれの人生によって解決しなければならない問いを提出すべき存在なのです。一部の人々はもちろん、何らかの絶対的な最終回答を欲します。しかし、真に生きる人達にとって必要なのは答えではなく、問いであるはずです。私がこれから指し示すべき事は、人々のたどり着く最終到達点ではなく、むしろ、人々が歩み出すそのスタート地点であるべきです。そしてそれが哲学の課題です。だから、あの時、私は「思考の領界」によって、間違って最終回答のようなものを出してしまったのではないか、とそう感じているわけです」



 ーーーあなは、それを『後悔」していると?



 「後悔………そうですね。…ハハハ、さっき、私は『後悔』を否定しましたっけ。まあ、いいや」



 ーーーええ、あなたは先ほど、「後悔というのは理解できない」と言いましたよ(笑) …では、あなたはこれから、そのような「最終回答」ではない哲学を続けていく、と考えてよろしいのでしょうか?



 「そうですね。そういう事になるのではないでしょうか。…私の考えでは、別に、哲学でなくてもよいのですよ。私がこれから、私の人生問題を解決するにあたって、私が哲学や分子生物学などの知識に頼らないといけないという事は別にないと思うのです。私がこれから、全ての私自身の問いに答える為に農業を始めたって、それはそれでいいのです。毎日、土を眺めてその様子を見つめ続けたって、それはそれでいいのです。ただ、私には哲学が習い性になっているので、それに戻るという事だけです。ですから、私はそのような形で、これからは哲学に関わっていきたいと思っています。しかし、私の哲学がなんであるかという事は、人々の上を飛び去るでしょう。なんだか、私はそんな気がしています」



 ーーー人々の上を飛び去る、とは?



 「あまり、人々に好まれない、という事です」



 ーーーなるほど。わかりました。ところで、今日のインタビューは、これぐらいの所で切り上げようと思っています。時間も時間ですし。「思考の領界」についてのあなたの考えも随分うかがう事ができました。それでは、最期にこのインタビューの読者に対して、何か言いたい事…あるは何か言っておくべき事はありますでしょうか?


 

 「そうですね。あまり、ないのですが。ただ、私はあの頃ーーー「思考の領界」を書いた頃は、若かったと思うのですよ。若かったし、全てが沸騰していた。不思議なのですよ、あの頃の私が、今の私からすると。人間というのは、年を取ると、思いもかけない事に気づいたり、理解できたりするようになりますが、その最たるものが、私達が頭で考えている事がこの世界の全てではない、という事です。若い頃は沸騰していますし、自分の全情熱、自分の人生全てを掛けられる、そのような対象を探し求めるものです。そして私はその対象を主に論理学、そして哲学に見出し、そして私は来る日も来る日もその事を考え続けました。それこそ、気がおかしくなるくらい、私は考え続けたのです。そして私はとうとう人生を置き去りにして、全ての解答を出したとそう感じて、哲学を去りました。しかし、それは今の私からすると、あまりに颯爽としているのではないかという風に感じます。まあ、ロマンのようなものはありますが。全てに対する解答を出したとしても、全ては手付かずのまま残っている。私が、あの後、ずっと不思議だった事は、私にとって全てが終わりを告げたのにも関わらず、私が現に生き、世界は回っているという事でした。私は、ルーマニアに行った時に、パスポートと財布を盗まれて、随分大変だった時がありました。その時、私はこう思ったんですよ。『私という存在はもう全て終わってしまったにも関わらず、どうして人は私から財布とパスポートを盗もうとしたりするのだろう?』と。もちろん、それは奇妙な問いです。でも、私にはそうした事はとても不思議でした。世界が終末を迎えた後も、世界はそのまま、ありのまま存在しているのです。なんだか、私はいつも逆立ちをして歩いているような感じでした。でも、私は生きている内に、ふと気づいたのですよ。逆立ちしているのは私ではなく、世界の方ではないかと。あるいは私は、死の視点から生を見ていたのかもしれない。私は、ある点からこの世界をひっくり返しました。しかし、世界はやはりそのままありました。私は亡霊だったのですが、世界は実在でした。私は過去に、「思考の領界」で、世界を一つのフィクションに変えたのでしたが、その結果、フィクションに、亡霊に変わったのは私の方でした。そこから、私の信念は少しずつ変化していきました。全ての最終回答などというものは、これまでの私が考えているほど大したものではないのではないか、と。言ってみれば、一神教ではなく、汎神論の方が正しいのではないか、というような事です。禅の教えにもこれに近いものがあります。つまり、禅の師匠は弟子に言うわけですよ。『お前は仏に会いたいのか?』『はい、会いたいです』『そうか、では、仏に会わせてやる。仏とは、お前自身の事だ』 私はかつてはこういう問答をいい気な、衒学的なものだと感じていましたが、しかし、実はこれは当たり前の事ではないのですか。世界がひっくり返っているのではなく、ひっくり返っていたのは私の方だったのではないですか? 世界は、一つの解答を出すためのたたき台ではなく、むしろ、一瞬一瞬それが答えになって生きていけるような、そのような場ではないのですか? そういう風に、私の中に信念の変化が起こりました。そういう事が私の中に起こったのです。そしてそれは非常にゆったりとした、生活の時間、あるいは単に年を取っていく時間の中で訪れた変化でした。つまり、東洋的に言うなら、自然が私の理性に勝利したという事でしょうか。とにかく、私の中には、あの著作以後、暫時、そういう変化が訪れました。そして今の私がここにいるわけです。私がこのインタビューに応じたのも、そういう意味があります。そうです、それが今私がここにいる意味です。私は若年の妄想を捨てーーそれにも意味はありますがーー、もう少し堅実に物を考えなくてはならない、と今は考えています。つまり、過程そのものが瞬間瞬間の結果であるように、物事を考えなくてはならない。生は答えではなく、問いなのです。そしてそれが問いである事がわかるや否や、生きる事そのものがそれにたいする答えになってくる。私の哲学もそうでありたいと、とにかく、これからはそうでありたいと願っています。そしてその為に、その始まりの段階として私はこうしてこのインタビューを受ける事にしたのです。元々、世界に自分を露出させる事など、私は嫌いでした。しかし、隠遁していたって同じ事なのです。何故って、私は私を見ているのですからね。そこには、私の目というメディアがたしかに存在する。だとしたら、それが一千万の人間の目に触れようと、結局、私一人が私を見る事と同じ事です。そういう事ーーそのような事を今の私は考えています。そして私の歩む道をたどる事のできる、忍耐強い人が私の著作を買って読んでくれれば、それ以上の光栄はありません。とにかく、全ては、そのような事です。では、以上で終わります。私の、あなたの質問への解答は」




                                ※※※

                              


                               「終わりに」  


                                                   (記者ジロドゥより)


 本インタビューは長時間に渡り行われた。我々は始め、大御所の哲学者をインタビューするという事で、非常に緊張していた。しかし、ヴィルゲン氏に指定されたホテルで彼に始めて出会った時、氏は我々を歓待する様子を見せてくれた。氏は我々を見るやいなや立ち上がり、親しそうに一人一人に握手をして回った。その様子に、気難しい哲学者という、会う前に抱いていた我々の先入観はほぐれたのだった。あるいは、氏はそこまで想定して、そのような事を行ったのかもしれない。

 氏のインタビューは非常に緊張に満ちたものであり、私は度々、氏の言葉の意味を自分の中で問答しなければならなかった。そして氏が「思考の領界」の頃の自分と今の自分とは違うのだと何度も力説する時、「思考の領界」に魅せられた私としては幾分残念な気がしないでもなかった。しかし、氏とのインタビューは何にもまして、知力を使う、非常にやりがいのある濃密な時間だった事は間違いない。

 記者である私がダラダラとこんな風に語っても仕方ないのだが、私は最期にある小さな出来事について言及しておきたい。我々のチームはインタビューを終えると、ヴィルゲン氏に丁寧に挨拶をしてから部屋を出た。ヴィルゲン氏は戸口まで我々を見送ってくれた。我々は一種の、静かな興奮の中でホテルの廊下を歩いていたのだが、その時、後ろから誰かが私達を呼び止めるのに気づいた。若い女性の録音スタッフが振り向くと、そこにはヴィルゲン氏がいた。氏は我々のところまで、わざわざ走ってきたのだった。氏は私に、紙袋を差し出した。それは、我々スタッフが彼の部屋に置き忘れた書類の一式だった。ヴィルゲン氏は我々にそれを渡す為に、わざわざ廊下を走ってきたのだ。私は、偉大な哲学者が我々の為にそんな事をしてくれた事に対して感動していた。しかし同時に「思考の領界」の、あの尊大な哲学的宣言を思い出していた。私には目の前の氏の真摯さと、あの屹立した哲学的宣言のイメージがどうしても一つに一致しない、不思議な思いを抱いた。

 「ヴィルゲンさん、わざわざありがとうざいました」

 と我々は氏に心からの礼を行った。私が紙袋を受け取った。「いや、いいんだ」とヴィルゲン氏は言った。そして氏は振り返って、元いた部屋に戻っていった。

 私達は氏の後姿をじっと眺めていた。それは、ごくありふれた普通の中年男の背中だった。私の目からは、何故か涙がこぼれそうになった。私はその時、本当言うと大声で泣きたかった。ヴィルゲン氏のそうした行動は、私以外の二人のスタッフにも、何らかの感化を及ぼしたようだった。それを、私は感じ取った。しかし、私は泣かなかった。二人も泣かなかった。何故なのか。今では私はその問いに答える事はできない。そして泣く代わりに、私は照れ隠しのようにこう言ったのだ。

 「さ、帰ろう。仕事は終わった」

 二人のスタッフは無言でうなずき、そした私達はホテルを出て行った。その間、我々はずっと無言だった。そして我々の心の中にはずっと、奇妙な、蛇のような生き物が這っていた。そしてそれが何であるかは私達自身にも理解できないものだった。





                                             (日本語翻訳:山田一二三)


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