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 ギャロとレウも馬車を降り、手ごろな草むらに並び立ってズボンの前をあけた。草間にじょぼじょぼと水音が砕ける。

「ところで、弟子入りの話だけどさあ」

 唐突に、レウが切り出した。

「何のために、わざわざ今の仕事まで投げ出す必要がある?」

「ただの輪投げ屋よりも、実入りが良さそうだからな」

「そんなに甘いもんじゃねえよ」

 一つ一つ手作業で、客の注文を受けてから細工をするのだ。その手間を考えれば、一晩に作れる本数には限りがある。

「だからって、値上げすりゃぁいいって話でもねえ。たかが飴に、しかもガキが払う小遣い銭なんて、たかが知れてらぁな」

「それでも、人寄せにはなるだろ。うちの座の、看板にはなるだろうさ」

 飴をさばく見事な手つきは、それだけで立派なパフォーマンスだ。見物人が集まる。そのうちの何割かは、周りの屋台やテント小屋に流れてくれるはずだ。

「全体の収支としちゃあプラスだろうよ」

「旅座で一生を終えるってなら、それも良かろうさ。だけど、女房はどうするんだい?」

 ズボンの前を直しながら、レウは尋ねた。

「せめて乗り合いじゃなくて、家族馬車ぐらいは買ってやりたく無いかい?」

 意地悪な質問だ。レウは昨夜、美也子から事のあらましを聞いているのだから。

 ズボンの腰紐をひねり回して、ギャロは黙り込む。そして、意地悪を仕掛けたレウ本人は、その様子をにらみつけながら、自分でも思いがけない感情に戸惑っていた。

(どうかしてらぁ。他人のことなんか、放っておきゃいいじゃねえか)

 だが、あの娘の泣きそうな顔を思い出すと妙に腹が立つのだ。この男の、ふにゃふにゃとだらしない態度が癪に触る。

 だから会話の中に、ちょっとした爆弾を混ぜ込んでみた。

「なあ、あんたが大事にしてやらねえなら、俺が美也子をもらっていいか?」

 異質な呼び名は、昨夜、会話を交わすうちに聞いた。この男は気づくだろうか、そして、どう反応するだろう……それは、思った以上の効果であった。

「手前ぇ! どうしてその呼び方を知っているっ!」

 レウはいきなり胸倉を掴まれ、草むらの中に引き倒された。ぼてっと重たい中年男に組み敷かれながらも、にやりと笑ってみせる。

「女ってのは、どんなときに秘密を話しちまうと思う?」

「ぐっ! 俺の女房に手ぇ出しやがったな!」

「心も、身体も寂しい思いさせられてるみたいだからな、慰めてやったんだよ」

 ギャロの頬がぷくっと大きく膨れ、すぐにしぼんだ。それから再び膨れ上がり、そのときにはもう怒りで真っ赤だったのだが、喉の奥でごろりと鳴るような、低い声で男に囁いた。

「……あれは俺の女だ」

「へえ? 自ら望んで手放そうとしてるのに?」

「美也子からどこまで聞いた?」

「異界に返してやろうとしてるって事まで、ほとんど全部さ。あ、心配すんな、夜の生活までは聞いちゃいないからさ」

 レウはギャロの身体を押し返し、その中年腹の下から逃れる。

「ってか、イイコトもしちゃいねえよ。あの娘っこが言うには、俺が父親に似てるんだと」

 ギャロは妙に納得した。

「ああ、美也子は父親に対する憧れが強いからな」

「それは、昨日話していて俺も思ったさ。似てるってだけで、見ず知らずの俺なんかに何でも話しちまうってのは、危なっかしいな」

 世の中は善人ばかりではないのだ。異界人を、毛色の変わった『生き物』と見る輩だっていないわけでは無かろうに。

 レウの大きなため息を受けて、ギャロも軽くため息をついてみせた。

「あっちの世界に帰りゃあ、そんな心配もなくなるだろうよ」

 異界人だから希少なのだ。同族ばかりの世界にいれば、美也子も『普通の女』でいられる。

「俺だって、いろいろと考えた末での結論なんだ」

 ぽそりと呟かれた吐露を、レウは鼻先で笑った。

「ああ、たいしたお考えだ。恐れいったよ」

 遠くで馬車の出発を告げる呼び声。今一度、ズボンの腰紐を締めなおしながら、レウは低い、むしろおどしつけるような声音を出した。

「なあ、ぶん殴ってもいいか?」

「なんでお前に殴られなきゃならんのだ」

「あの子の親父さんの代わりだ」

 半ば本気なのであろう。握り締めたこぶしの関節をごりごりと鳴らす。

「それが、本当に幸せだって、あんたの女房は言ったのかい?」

「……美也子は……」

 ここに至って、ギャロはやっと気づいた。美也子は、良しとも悪しとも言わなかった。

 レウはさすがにこぶしを開いた。

「あんたたち夫婦は、もっとお互いにわがままを言うべきだ」

「わがままなんか言ったら、喧嘩になるだろう」

「それでいいじゃねえか。喧嘩するほど仲がいいって、昔から言うだろ。ありゃあ、そういう意味なんだからよ」

 さっきよりも大きい声で、誰かが集合を告げている。レウは歩き出した。

 ギャロはその後ろを、黙ってついてゆく。うなだれた蛙頭はきゅっと口元を引き結び、目玉は地面ばっかりを眺めている。何かを深く考えているのだろう。

 そのしょぼくれっぷりが腹立たしくて、レウはバリバリと頭を掻いた。

(本当に、こんな男にくれてやって大丈夫なのかよ)

 美也子に対して感じる愛情の正体は心得ている。娘に対する父性愛と言うものだ。

 だからこそ、あの娘の幸せのためならこんな男など殴り倒し、自分の手元に引き取ってもかまわないのだが……

(しかたねえじゃないか。あの娘の幸せってのは、この男と見つけていくモンなんだからよ)

 歩調と共に揺れる左手が、こぶしを握りそうになる。

(早く気づいてやってくれよ、婿殿)

 このこぶしを使うことの無いように、と、レウは祈った。


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