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……ギャロと身体を交わしたあの時、彼が佇んでいたのが墓所の入り口だった事は知っている。大雨の中に一瞬だけ墓石の群れが垣間見えたのだから。だが、彼は墓所に踏み入ろうとはしていなかった。あの時……背中を押してやれば良かったのではなかろうか。彼が母親への慕情と恨みの間で葛藤している事は明らかだ。弟に会いに行こうとしない理由が、おかしく他人行儀な遠慮だということも知っている。ならば、ただ一言、可愛い妻のおねだりという形で勧めれば、優しい夫は素直に弟を訪ねるのではないだろうか。
だが、言葉が惑う。
秘密を誓って小さな指と絡めた小指の感触が思い出される。それでも、彼は、夫婦で秘密は無しだと言った……。
ふわりと、若草に似た体臭が離れる。
「いいから、食っちまおう。ここから夕方にかけてが稼ぎ時なんだ。忙しくなったら、飯も食っていられないぞ」
ギャロの大きな口がぱっかりと、屈託のない笑いの形に開いた。美也子も思わず、少しだけ笑う。
「ほら、これなんか美味いぞ」
渡された笹包みは温かく、温められたソースの香ばしい匂いが食欲をそそった。開ければ、お好み焼きに似た外見。中身もそれに良く似ている。
キャベツではなく、数種の野菜。それをしんなりするまで炒める。合わせる肉は脂身の多い豚。この油を野菜が吸い込んでうまみを増すと言う寸法だ。卵を多めに混ぜこんだ小麦粉で、それらをとじて焼き上げる。ヘラでかえしながら、片面は程よい狐色に、もう片面は色濃い焦げ目が模様をなすように加減し、その店ごとに調味された秘伝のタレをぽったりと塗って……笹包みを両手で抱えてかぶりつけば、口一杯に湯気が満ちた。
ふは、ふはと呼吸で温度を調整しながら、噛む。奥歯の間で柔らかくつぶれる生地と、しゃっくりと断ち切られる野菜の繊維。同時に、唾液を呼ぶソースの塩気、それを追う酸味、スパイスの香り。
「いい食いっぷりだ」
ギャロの長い舌がペロンと、美也子の頬についたソースを舐め取った。
「ちょっと、ギャロ! 人前で!」
「すまない、つい……可愛いから……よ」
隣の屋台から、ネロの野次が飛ぶ。
「あ~、あ~、あ~。胸やけがするほど甘いな、あんたらは」
確かにギャロは、でれでれに甘い。ことあるごとに軽く身体に触れ、心を摺り寄せてくるのは甘ったれた幼子の所業だ。もしかしたら母親から得ることのできなかったぬくもりを求めているのかもしれない。だとしたら、ここで秘密など作っては、彼を傷つけてしまうのではなかろうか。
「ねえ、ギャロ、話が……」
言いかけた言葉を、しかし、遮ったのは、小銭を差し出した幼子の声。
「一回」
「はいよ」
わっかを拾い集めるための細いカギ棒をとって、ギャロは立ち上がる。
「細かい事はいいから、食っちまえって。ちょうど、夕方からの奉納舞を見物しようとするやつらが到着する頃だ。本当に忙しくなるぞ」




