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子供たちですら、手伝いのために出払っている。馬車に残されたのは美也子一人なのだから、ネックレス作りはたいそう捗った。それでも窓の外から時折、威勢のいい掛け声など聞こえてくる。
作り上げた12本目のネックレスを床において、美也子は目を閉じた。ギャロの声が聞こえる。ここからでは何を言っているのかまでは聞き取れない。作業の指示などしているのであろうが、ただの大声として認識できるだけだ。
それでも喧騒の中から切り取るように、彼の声だけを拾うことができる。
昨晩、雨音よりも近くで聞いた声……夫婦の蛙のように啼き交わし、男女としてつながった行為を思い出すと、少し……疼く。彼の唇が触れた証を確かめたくて、美也子は襟元に手をかけた。
そのとき、扉を叩く小さな音。
「はいっ!」
慌てて返事を返すが、扉はもう一度小さく鳴る。
「だあれ?」
乗り合いの仲間が忘れ物でも取りに来たのかと思ったが、それにしては小さな手で叩く音だ。座長のところの甘ったれ娘か、それとも他の子供たちか……いぶかしみながら扉を開ければ、そこには、固く口をひき結んだ蛙頭の少女が立っていた。木の実集めを手伝ってくれた、あの少女だ。
「あら、どうしたの?」
美也子の優しい声に安心したのか、その子は下瞼を少し引き上げる。大きな口が笑いの形に変わった。
「あのおじちゃんは?」
「ギャロに用事? その辺で屋台を作っていると思うから、呼んでこようか」
「いいの、いいの。え~っと……」
きゅるりと馬車の中を見回した蛙娘は、床に並んだネックレスに目を留める。
「あれ。あれを作るの、お手伝いしようと思って」
明らかな思い付きの言葉だ。それでも美也子は気づかぬフリをして、少女を馬車に招き入れた。
「じゃあ、これを紐に通してね、こういう感じで……」
どうせビーズはたくさんあるのだから、一本分ぐらいはこの少女にくれてやってもいい。そう思ったのだが、この少女はギャロの姪だけあって、ひどく器用であった。それに、飲み込みも早い。飾りのこぶを作る『サルのこぶし結び』なども、一度か二度、手本を見せただけですっかり覚えた。
「すごい、これならお店に並べれるわね」
美也子が褒めれば、少女は短い首をすくめて「へへへ」と笑う。その表情は、ギャロにそっくりであった。
ならば、どこまでをこの子に明かすべきか。異界人である美也子から見ても、これほどに似ているのだ。この子も、ギャロが少なからぬ身内であることを気取ったからこそ、ここに来たのかもしれない。
惑う美也子よりも先に口を開いたのは、次のネックレスを作り始めた少女のほうであった。
「あのね、私の名前、ギャリエスっていうの。おじさんの名前からとったんだって」
美也子が手元で作りかけていたネックレスを取り落とす。
「あのおじちゃんの名前、ギャロっていうんでしょ?」
落ち散らばった木の実を拾い上げようとした美也子は、自分の指先が震えているのを見て取った。
こんなに惑う必要など無いはずだ。彼の名前を、そして伯父なのだということを伝えれば言いだけの話……震えているのは、それに続く彼の生い立ちを教えることをためらってなのだ。
「ねえ、あのおじちゃんの名前は!」
さっきより少し強い少女の言葉に、美也子の体がびくりと慄いた。
(ああ、そうか……怖いんだ)
昨晩、やっと重なった肌。それは少し体温が低く、人間よりも柔らかく粘るように張り付く皮膚が心地よかった。そして肌のふれあいの中で、やっと手に入れた彼の心! それを失うことが怖いのだ。勝手に彼の過去の傷に触れるような真似をして、嫌われることが恐ろしい。
それでも、幼子の声は容赦なかった。
「お姉さんは、あのおじちゃんの奥さんじゃないの?」
その言葉が、美也子の心をほんの少しだけ押し上げる。
ギャロは言ったではないか、「結婚の腕輪を買おう」と。今朝だって甘い甘い、ただ甘ったるいキスを交わしたではないか。あれはただの甘美な愛欲ではない。これから掛かる辛苦も、諍いも、すべて二人で乗り越えようと言う真心の愛なのだと信じるべきだ。
指先の震えがとまった。美也子は顔をあげて少女を見る。
「ギャリエスは、ギャロが自分のおじさんだって知っているのね」
少女は大きく、こっくりと頷く。
「おばあちゃんが良く自慢してた。ものすごく有名な道化師なんだって」
「おばあちゃん……が?」
もちろん、ギャロの母親のことだ。
「もう一度会いたいって、良く言ってた」
あの自伝の中でギャロに無情の仕打ちを与えた姿と重ならない。だが座長は「全て本当の話」だと言っていた。ならば、どこかに誤解があるのだ。
死んだ人間はいいわけをすることができない。だからこそ、伯父と姪として二人を引き合わせたいと、美也子は思った。
「ギャリエスは、伯父ちゃんに会いたい?」
「うん。それに、おばあちゃんから預かったものがあるの」
形見だろうか。ならばなおのこと、母親から捨て去られたわけではないのだと、彼は知るべきだ。
「もう少し詳しく、おばあちゃんの話を聞いてもいい?」
「いいよ」
笑顔とともにくるりと動く目玉の動きは、本当にギャロにそっくりだった。